光の中で

written by さくらさま








「信じられない、、」

マヤは呆れた顔で真澄を見た。

「何がだ?」

真澄は至ってクールな面持ちでマヤを見返した。

「何がって、、これじゃお礼どころの騒ぎじゃないじゃない!」
「別に騒ぐ必要はないと思うがな。」
「そういうことじゃなくて! 言葉の揚げ足取りしないでよ。」
「揚げ足を取ってるつもりはないぞ?」
「そういうのが揚げ足取りなのっ!」

マヤは大きな溜息をついた。

遡ること数日前、真澄に呼ばれ大都芸能の社長室を訪れたマヤが言われたひとこと。

「誕生日のお祝いのお礼がしたい。」

そしてマヤは真澄とともに今ここに立っている。
ここニューヨーク、ラジオ・シティ-・ミュージック・ホール前に。

チャップリンからトシカニーニまで、音楽とレビューが息づいている全米最大の屋内劇場だ。
1932年12月27日オープンしたアメリカン・アール・デコ様式の神殿のような劇場。
1979年に修復され、オープン当時そのままの建築美で来訪者の目を驚かせる。

「お礼のお礼、困るじゃない。」
「お礼のお礼として欲しい物はちゃんとあるから困ることはない。」
「えっ?」
「さあ、時間だ。中に入ろう。」
「えっ?ちょっ、ちょっと待って。」

真澄に引っ張られる形で劇場の入口をくぐった。

メインロビーに入ると深々としたジュータンに足が沈みこむ。
頭上には世界でも最大級のシャンデリアがきらめいている。
各々の重さは2トン、すなわち水晶1トン、スチール1トン。
客席数5,882席の大劇場の壁や天井は、ゆるやかなカーブになっている舞台と観客席を隔てるアーチ
(高さ18m)へとつながっていく。
現代技術の粋をこらした舞台には、3基のエレベーターと3区分のターンテーブル、オーケストラ専用のエレベーターなどの装置があり、演奏を続けながらあっという間に壁の背後や床の下に姿を消すことが出来る仕掛けになっている。

「ここは女性ダンスグループ『ロケッツ』の拠点劇場だ。中でも今日見る『ラジオ・シティー・クリスマス・スペクタクル』はニューヨークの冬の名物とまでいわれるものでね。140人以上の配役、豪華な衣装、このショーのために作られた音楽がショーを盛り上げでくれるのさ。『クリスマス・スペクタキュラー』はラジオ・シティ・ミュージック・ホールが完成した翌年の1933年に始まったんだ。当時祝日の「贈り物」として映画上映の合間に行われていて、現在の90分の公演になったのは1979年からだ。昔から世界の人々に愛されてるレビューだ。第70回目となる今年は11月7日に始まり来年1月5日まで200回以上の公演を行う。1日5回公演の日もあり120万人の観客動員数が見込まれているそうだ。」
「140人、、」
「ああ。すべてオーディションで選ばれたプロのダンサーたちだ。」
「すごい、、、」
「舞台に立つ者として彼女たちから学ぶことも多いだろう。」
「うん。うん。」

すでにマヤは興奮気味で言葉にならない。

「そろそろ始まるぞ。」

場内の照明が静かに落とされるとともに、先程までのざわめきも影を落とした。

ショーは3Dムービーで幕を開けた。

サンタのソリがニューヨークの空を駆け巡りプレゼントの包みがばらまかれる。
あらかじめ手渡されていた3D用サングラスをかけたマヤには、そのプレゼントがまるで自分の手元に落ちてくるように見えた。
周りからは歓声が沸き起こる。

セントラル・パークやマディソン・スクエア・ガーデンなど実在の名所がふんだんに登場し、やがてソリはラジオシティ・ミュージックホールの楽屋口に横付けされる。

次の瞬間にはサンタがステージに登場し、楽しい語り口でショーのホストを努めるという展開。
サンタのセリフも時代を繁栄し「子供たちからの手紙をEメールで受け取った」と言って観客を笑わせ、自宅で待つミセス・サンタとは携帯電話で会話をしたりもらしい。

お馴染みのバレエ「くるみ割り人形」のシーンで主役のクララを勤めるのは、サンフランシスコ出身の中国系バレリーナ、コレッタ・チャン。
まだ14歳だが長いシークエンスにも関わらず、疲れをまったく見せずに軽やかに踊ってみせた。

何十人ものサンタによるユーモラスなダンスシーンでは笑いが巻き起こり、ラジオ・シティ・ミュージックホール専属の名物ダンス・チーム、ザ・ロケッツは「おもちゃの兵隊」で一糸乱れぬマス・ゲームのようなダンスを披露した。

ザ・ロケッツの見せ場はなんといっても、あのラインダンス。
40名のダンサーがステージに一直線に並ぶ様はまさに壮観だった。
華やか笑顔と均整のとれたプロポーションを披露し、ついで一斉に足を振り上げる。
単純な振り付けに見えるが、相当の訓練なくしてはできない踊りだ。

ショーの最後は「Nativity」と呼ばれるキリスト生誕の物語。
それまでの明るくにぎやかな舞台セットがガラリと変わり、ホール全体が宗教絵画のような幻想的な雰囲気に包まれた。
幼子イエス、聖母マリア、三人の賢者と共に本物のヒツジやラクダが登場し、マヤは驚いた。

90分のショーは大人も子供も楽しめるまさにファミリー向けの構成で、これが毎年のリピーターを生み、70年間もの長期に渡って愛されている秘密ともいえよう。

鳴り止まない拍手、歓声を上げ次々と立ち上がる観客。
巨大な拍手の波が一気に舞台へ押し寄せた。
と、同時に再び幕が開きカーテンコールに答えるダンサーたち。
観客の興奮は最高潮に達した。

いったい何度目のカーテンコールだろう。
そのカーテンコールの最後に特別なシーンがあった。
主役がひとしきり拍手を浴びた後、出演者が全員勢ぞろいし沢山のサインの入ったポスターを掲げ話し出す。

「みんなでサインをしたこの特別なポスター。売り上げ金はテロの犠牲者への援助に使われます…。」

今までの中で一番盛大な拍手と歓声が送られた。
涙を流しながら頷く人もいる。

ここはニューヨーク、ブロードウェイ。
どんな苦しみにもどんな悲しみにも立ち止まらず歩き続ける街。
夢と希望の街。
ニューヨークは訪れた人たちの心をちょっとずつ手に入れて、そしてまた大きくなっていく。

「すごい、、すごいよ、速水さん。」

マヤは溢れる涙を拭うこともせず、ただひたすら真澄の手を握り締めた。
天性の才能、豊かな感性でもってこの舞台のすべてを受け止めたのだろう。
真澄はそっとマヤを抱きしめた。

マヤは真澄の腕の中で何度もありがとうと呟いた。







ニューヨークにおけるアール・デコ・スタイルの集大成と富の象徴。
ロックフェラーセンター。

ミッドタウンの中心、荘厳なセント・パトリック大聖堂とサックス・フィフス・アベニューの前に位置し、5番街と6番街、48丁目と51丁目に囲まれたエリアである。
1930年代に建設された14のビルと、1945年以降に建てられた5つのビルからなるコンプレックス(複合体)で構成され、約6万5千人が働いている。
当初はオペラ劇場を中心とする文化センターとして計画されたが、1929年の大恐慌で計画が流れ、ジョン・D・ロックフェラーJrによって商業施設として計画されなおした。
ラジオ・シティ・ミュージック・ホールやGEビルを抱えるとおり、ロックフェラーセンターの機能は多様である。

正面には一連の泉水とその両側に四季の花が咲きみだれる花壇のある憩の散歩道。
この遊歩道がチャネルガーデンと呼ばれ、この名前は英仏海峡“ザ・チャネル”に由来している。
花壇の花は、復活祭前の金曜日のイースター・リリーに始まり、季節ごとに規則的に変わる。
チャネル・ガーデンを挟んでメゾン・ド・フランスとブリティッシュ・エンパイア・ビルが向かい合い、古くからかかわりある国々を結びつける意図をも感じさせる。
ロックフェラーセンターは、まさに全体主義やファシズムに対するアメリカ民主主義の表われなのである。

このチャネルガーデンとGEビルの間にある半地下の広場(ロウアープラザ)のまわりには国連加盟国の国旗がはためいている。
ロウアープラザの中央には人類のために聖なる火を盗んだプロメテウスの像が黄金色に輝き、その両側の小さめの像は聖火を受け取る人間を表している。
プラザは夏は野外カフェに、冬はスケートリンクになる。

先程いたラジオ・シティ-・ミュージック・ホールから50丁目を5番街に向かって歩いてくるとGEビルが見えてくる。

GEビル。ジェネラル・エレクトリックビルの通称である。
1933年に完成した地上70階建て、260mの高さはニューヨーク市の中で7番目の高さを誇る。
正面から見ると、垂直にそそり立つと言うか唐突に地面から突出ている。

縦の線が強調されていて、上から下まで非常にすっきりと「立っている」という印象を与える。
頂部のゴシック風の尖頭とラジオ電波をシンボライズしたデザインが特長で、20世紀の技術と中世の建築を結びつけた歴史的建築物である。
窓と窓の上下の間に黒い素材が使われている為に全体が引き締まって見え、マンハッタンのビルの中でも特に洗練され簡素化されたイメージを持つ。
もちろん、どのビルも街の立派な芸術作品であるかのように見事な強弁を誇り、さりげなく美しい。

マヤは背筋が伸びる街だと思った。
ヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系、国籍や年齢を問わず、皆がシャキッと背を伸ばして歩いている。
たぶんビル群の垂直ラインが意識を上に引っ張っているのだろう。
自分の歩調に合わせて歩いている隣人を見れば、やはり背筋をピンッと伸ばしている。

「フフ、、」

思わず口から笑みがこぼれた。

「どうしたんだ?」
「ううん。あのね、ここは速水さんに似合う街だなぁと思って。」
「俺に似合う?」
「そう。いらないものが何もないくらい洗練されて、でもキレイで・・・」
「綺麗?おいおい、褒め言葉としてはあまり嬉しくない言葉だな。」

真澄は眉を顰めた。

「ううん、速水さんキレイだよ。彫刻みたいにキレイでこの街に溶け込んでる。」
「彫刻みたいに血も涙も通ってないとでも言いたいのか?」
「へっ?」
「俺は『冷血仕事虫』なんだろ?」
「えっ?・・・あぁっ!」
「くくくっ、、、」

真澄は声を押さえながら笑っている。

「もうっ!!そういう意味じゃないことくらいわかってるでしょう!?速水さんなんて、、、」
「大っ嫌い、か?」
「うっ、、、」

マヤは両の手に握りこぶしを作り、わなわな震えていた。

「はは、、悪かった。ニューヨークのビジネス街が似合ってるなんて、ビジネスマンにとって最高の褒め言葉だ。ありがとう。」

嫌味の一つでも言い返したかったが、急に素直にお礼を言われ調子が狂った。

「あ、いえ。」
「お礼をしなくちゃいけないな。」

真澄は両方の口角を少し上げながら囁いた。
この顔・・・何か企んでる顔だ・・・

「!!!」

肩に置かれた大きい手、目の前にある真澄の長い睫、顔にかかる甘い吐息、唇に感じる柔らかくて冷たい感触。
キスしてる、そう理解するのに5秒かかった。
ここが路上であることを理解するのにさらに5秒かかった。
理解した時にはすでに真澄はマヤから離れ、両手で頬を包み優しく微笑んでいた。

「ずいぶん冷えてるな。」
「へっ?」
「唇。」
「!」
「このままでは風邪を引いてしまうな。」

そう言ってマヤの手を引っ張り歩き出した。

「ちょっ、ちょっと待って。」
「ん?」
「どこ行くの?」
「ふたりで温まれる場所。」
「えっ?」
「時間はたっぷりあるし、お楽しみはこれからだ。」
「でも・・・」
「・・・予約してあるんだ。」
「えっ?」
「俺は我慢できない。マヤは?我慢できるのか?」
「、、、ガマン、、、できない、、、かも。」
「じゃあ決まりだな。」

真澄は冷たい外気からマヤを守るように肩を抱き歩き出した。
群青色の空が二人を優しく包み込んだ。

L.ローリー作の『知恵』と名付けられた彫刻の下の入口から中に入ると、1階のロビーを飾る荘重な巨大壁画に出迎えられる。
あまりの巨大さ、芸術性の高さに誰もが言葉を失い、人類の歩んできた道のりをしばし静観する。

「この大壁画は、スペインの彫刻家ホセ・マリア・サートが過去200年のアメリカの発展を描いたものだ。」

壁画を前にして言葉を発することのできなくなったマヤの背後から真澄が呟いた。

「ヨーロッパには18、19世紀の名残が至るところに見られるし、ここニューヨークには20世紀という時を凝縮した面白さがある。日本にはここまで見事に近代と中世が調和した街はないだろう。」

マヤは真澄の言葉に耳を傾ける余裕もなく、ただひたすらに見入っていた。

「このGEビルの地下にはロックフェラーセンターを紹介する小展示室があって、建設時の土地購入資料や設計図、工事現場の写真、彫刻など美術品のデッサンといったものが展示されているんだ。時間があればゆっくり見たいがここで足止めを喰らってる場合じゃないからな。」

そう言うや否や、真澄はマヤの手を掴みロビーを抜けてエレベーターに向かった。

エレベーターの扉が開くと、中には黒人のボーイが笑顔で二人を迎えてくれた。

「何階に行くの?」
「65階だ。」
「65階?」
「ああ。」
「ああって、、65階って言われても想像つかない、、」
「都庁の展望室が45階、当然俺のいる社長室よりも高いな。」
「ええっ?あの部屋よりもっと上なの?」
「ああ。ちびちゃんは高所恐怖症じゃないよな?」
「高いところは平気だけど、、、」
「心配しなくてもいい、十分楽しめる高さだ。」
「あ、でも速水さん、この人に何階に行くって言ってないよ?」
「はは、、このエレベーターは専用エレベーターだから、階を言わなくてもいいんだよ。」
「えっ?」
「つまりこのエレベーターに乗る客は65階にしか行けないんだ。」
「ええっ!?じゃあこのエレベーターって1階から65階まで止まらないってこと?」
「そういうことになるな。」
「すっご〜い。」

エレベーターの上昇とともにマヤは軽い浮遊感を感じ、65階という未知なる高さに胸を躍らせた。

チンッ。

「さあ、着いたぞ。」

エレベーターの扉が開いた瞬間からにぎやかな笑い声とジャズの音色が耳に飛び込み、入口からは早くもニューヨークの夜景が窓の外に広がるのが見えた。
エレベーターの扉のすぐ向こうでボーイが笑顔で出迎えてくれる。

「Good evening sir,madam. Do you have a resevation?」
「Yes, the name is Hayami.」
「Hpld on a second, please. Yes. Please come with me.」

真澄は流暢な英語で予約していることを告げ、ボーイは二人を窓際の席へと案内した。
マヤには話の内容はよくわからなかったが、真澄が自分の名前を言うのは聞き取れた。
たぶん予約していることを伝えたのだろう、黒人のボーイの口元からこぼれる白い歯が印象的だとマヤは思った。

GEビルの65階、レインボーグリル。隣にはダンスホールのあるレインボールームがある。
シックなアールデコ調の装飾で壁面は総ガラス張り、パノラマの夜景が見える有名レストラン。

ニューヨーク、摩天楼。
スカイクレーバーをすべての人々に無理なく連想させる、天に張り巡らされた魔境。
隙間なく埋め尽くされた光群は、この世のものとは思えない異次元的な光景として目に映り、身体の奥底にまで迫ってくる。
目の前にはライトアップされたエンパイア・ステート・ビルがあり、マンハッタンが光り輝く宝石箱のように見えてくる。

マヤの目は宝物を見つけた子どものようにキラキラと輝き、真澄はそんなマヤを心から美しいと思った。

「このレンストラン・バーは映画のロケにも使われているんだ。「めぐり逢えたら」で、メグ・ライアン演じる女性記者がバレンタインデーに婚約指輪を返し、夜景でひときわ目立つエンパイアステートビルに待つトム・ハンクスに会いに行くシーンはあまりにも有名だ。」
「えっ?」
「目の前に見えるエンパイア・ステート・ビルは『インデペンデンス・デイ』で、宇宙からの侵略者にターゲットにされたビルだ。ここニューヨークは多くの映画のロケ地として有名だからな。絵にもなるし。」
「そうなんだ。、、、さすが芸能社の社長さんだね、映画だけじゃなくてロケ地まで知ってるなんて。」
「はは、俺だってロケ地まで調べたりしてないぞ?ニューヨークには仕事で何度か来てるからな。君だって知ってる場所が映画やドラマに使われていたらわかるだろう?」
「うん。この間テレビの旅番組見てたら、速水さんと行った霧降高原の露天風呂が紹介されてて、『あ``〜』って思った。」
「、、、そうか、あの場所が、、、」
「うん。でもテレビで紹介されちゃうといっぱい人が来ちゃうから、ちょっとヤかも、、、」
「そうだな。」

マヤは眼下に広がる光の海を見ながら、あの時見た夜空に輝く満天の星たちを思い出していた。

「I'm sorry to have kept you waiting. 」

突然聞こえてきた英語にはっとして、マヤは現実の世界に引き戻された。

テーブルに意識を戻すとマヤと真澄の前に飲み物が置かれていた。
淡い黄金色の液体は窓の外の光に負けず劣らぬ品位があり、美しい。

「速水さん、これは?」
「ああ、そのカクテルは“ベリーニ”といって、白桃にイタリアワインを混ぜたオリジナルカクテルだそうだ。口当たりも軽くアルコールの苦手な女性にも人気のカクテルらしい。」
「カクテル、、、」

マヤは透明な黄金色に惹きつけられるように一口、口に含んだ。
フルーツの凝縮感があり、ワインの持つ酸もやわらかくまろやかでバランスが良い。
雑味が全くないので爽やかで親しみやすい。
ふわりと鼻をくすぐる桃の香りが余韻を残し心地よい。

「おいしい、、、」

マヤの言葉に真澄は満足し、口にするたびにおいしいと連呼するマヤを見つめていた。
ふと顔を上げると自分に向けられた優しい眼差し。

マヤは急に恥ずかしくなってグラスをテーブルに戻し、見るとはなしに真澄の前に置かれたグラスに視線を向けた。
淡い黄金色に輝き、清々しい白い花を思わせる木目細かな泡。
花の香りが漂ってくるようなエレガンスさを持っている。

「あ、速水さんのは?それもカクテル?」
「これか?これはクリュッグのクロ・デュ・メニル、シャンパーニュだ。」
「シャンパーニュ?」
「ああ。シャンパンとい言えばわかるかな。クリュッグは1843年にドイツから来たジョセフ・クリュッグが創始した家族経営のシャンパンメーカーで、150年以上の歴史をもつ老舗だ。徹底的な伝統を重んじる製法、職人芸的な製法が原点となり、一切の妥協を許さない姿勢を常に保っている。第1次醗酵させる樽はオーク、樫の木でできていて1つの樽は30年以上もの長い間使われるんだ。ブドウも最上の一番搾りだけが使われ、クリュッグの高い品質と独自の味わいへのこだわりをもつ、シャンパーニュの最高峰だ。ヨーロッパには“クリュギスト”と呼ばれる熱狂的なファンもいるくらいだ。」

ひときわ特別なクリュッグのクロ・デュ・メニルは、ただひとつの畑、ブドウ品種、収穫年でつくる稀少なシャンパーニュである。
メニル・シュール・オジェ村にある至宝をクロと呼ばれる石垣に囲まれた、僅か1.8ヘクタールほどの特級格付けのブドウ畑で収穫される、高品質のシャルドネ種のブドウのみを使ってつくられる。
1698年にはじめてブドウが植えられたというこの畑は、19750年まではベネディクト会修道院が所有していた。
1971年にクリュッグがここを買収し、ブドウ樹を植え替え、1979年にようやくクロ・デュ・メニルにふさわしい高品質のブドウが収穫できるようになった。
シャルドネの特徴をよりいっそう際立たせるために2日間で収穫し、オークの小樽で第一次醗酵を行った後に熟成させる。
年間生産量は、ヴィンテージによって変わるものの、9.000本から17.000本とごく僅かしかない。

「飲んでみるか?」
「えっ?」

真澄はソムリエを呼び、マヤの分も注いでもらった。
マヤは黄金色の海の中でくるくる踊る白い小さな花たちに心奪われた。

「いただきます。」

いったいどんな味なのか。
逸る気持ちを抑えグラスをそっと口にもっていった時、ふっと纏わりついた甘い香り。

「あっ。」
「どうした?」
「・・・・」
「マヤ?」
「、、バラの香り、、」

シャルドネそのものの風味とテロワールによるミネラルの香りに加えて、ピーチ、アプリコット、アーモンドの香りが溶け合い、芳醇でクリームのようになめらかに調和している。マヤにはそれがバラの花の香りに感じた。

「ああ、人によって香り方も微妙に違うようだが、大抵は花の香りがすると言うからな。」
「フフ、、」
「ん?」
「速水さんからバラ、もらっちゃった。」

マヤの頬はアルコールのせいかほんのりバラ色に染まり、黒い瞳は光の海を映し出し仄かに揺れている。
唇は水分を含み本来の瑞々しさを取り戻していた。

そんな顔でそんな言葉を言わないでほしい、と真澄は思った。
ここがレストランでなかったら即押し倒していた。

「おいしい、、」

お酒を知らないマヤでもこのシャンパーニュが頂点を極めているのがわかる気がした。

芳醇、華麗、精妙、洗練、優美。
形容し難い、並はずれて繊細で知的美な味がした。

パンが運ばれ、続いて前菜の蟹、海老、牡蠣、イカ、貝などのシーフードサラダが出てきた。
25〜6cmはあるであろう皿に、これだけで一食分になるのではないかと思われるほど盛られたサラダ。
メインの骨付きの牛ステーキはこぶしを2つ合わせたような塊で、厚さはゆうに6cmはある。
付け合せの色とりどりの野菜も自己主張を忘れない。
作り置きは一切なく、注文を受けてから素材を調理するというイタリア人シェフの料理は、ある人の講評によれば「食事のときは大富豪のように、支払いの後は孤児のような気分になれる」という。

食事の途中、黒いスーツを見事に着こなし黒の蝶ネクタイをした人物が二人に挨拶にきた。
正確には真澄に挨拶にきた。

男の名はサルバトーレ・ラカーラ氏。まだ30代前半の若さだというのにこのグリルのマネージャーを任されている。
以前真澄が仕事でニューヨークに来た時に、NBCの会長に連れてこられ彼を紹介された。

NBCとはアメリカ4大テレビネットワークのうちの一つで、GEビルの1階にそのスタジオが入っている。

彼によるとここは著名人も頻繁に訪れる。最近は俳優のジョン・トラボルタ夫妻やクリントン前米大統領が顔を見せたという。
今日はさらに日本の演劇界の至宝、紅天女を迎えることができて光栄だと気品のある笑顔を向けた。

しばらく真澄と談笑した後「I wish you good luck.」と言い、二人の席を離れた。

「あの、、」
「ん?」
「あのマネージャーさん、最後に速水さんに何て言ったの?」
「ん?ああ、『幸運をお祈りします』って言ったのさ。」
「誰に?」
「俺に。」
「何で?」
「何でも。」
「だから何で?」
「だから何でも。」
「もう、わかんない!!」
「はは、いずれわかるよ。それよりデザートも食べるだろう?」
「そうやって誤魔化して、、」

真澄はボーイを呼んで耳打ちすると、ボーイは「Yes, sir.」と言って奥に戻って行った。

「マヤ、見てごらん。」

真澄の指差す方を見ると、先程のボーイがワゴンをガラガラ押しながら二人のテーブルにやってきた。

「う、、わぁ、、」

ワゴンの上には何種類ものケーキが綺麗に並べられ、クリームの甘い香りが食欲をそそる。

「ケーキの種類もいろいろあるからな。口で説明されてもわからないだろうから全種類もってきてもらったんだ。」

すでにマヤは身を乗り出し、ケーキ選びに夢中だ。
真澄の話など聞いていない。

「おいおい、ケーキは一人1個だぞ?」
「もう。わかってます!」

ケーキからは目を離さず言葉だけを返すマヤ。

「俺の分のケーキも君に上げるから2個選んでいいぞ?」
「ほんと?」

真澄の申し出にすかさず反応する。
結局アップルパイとベリーのタルトを選び、真澄はコーヒーを、マヤはミルクティを頼んだ。
マヤはミルクティが運ばれてくるのも待てず、皿に取り分けられた2つのケーキを幸せそうに頬張った。







エレベーターを降り外へ出ると物凄い数の人が広場を埋め尽くしていた。
あちこちに警察官の姿も見える。

目の前にはニューヨークにクリスマスシーズンが到来したことを告げる巨大クリスマスツリー。
今日11月30日、73回目のクリスマスツリー・ライティング・セレモニー(点灯式)が午後8時30分から行われる。
点灯式は毎年テレビで世界各国に中継され、日本でも多くのメディアで取り上げられている。
今はまだ7時30分を少し回ったところだ。
まだライティングされておらず、ただただ真っ黒な巨木が天に向かって聳え立ち、異様な空間と興奮を創り上げていた。

「正面にまわろう。」

そう言って人ごみを掻き分け、前へ進んでいく。
寒空の下、逸れないように繋がれた手だけが熱かった。

黄金に光輝くプロメテウス像の前の、夏は野外カフェとなっている場所にスケートリンクがある。
さほど広くはないが10月31日から3月31日まで滑ることができる。
慣れっこになったニューヨーカーでさえスケート靴の紐を締めて万国旗に囲まれた氷上に果敢に挑むとき、思わず笑みがこぼれることが知られている。。

スケート入場料は7ドル50セント。階段を降りた右にロッカールームがありスケート靴を貸してくれる。
もちろん今は誰も滑っていない。

スケートリンクの前の広場には白く輝く天使像が華やかに並んでいる。
顔を上げればレーザー光線によって壁に映し出される天使たち。
動いたり止まったり、まるで天使が優雅に踊っているようなイメージを持つ。
有名百貨店サックスの壁には雪の結晶のイルミネーション。
ありとあらゆる場所が光に包まれ、眩いばかりの光の洪水が容赦なく二人を襲う。

群集に押しつぶされ警察官に助けを求める人の姿。
真澄はマヤの肩をしっかり抱き、押し寄せる人並みからマヤを守っていた。

「寒くないか?」

体感温度5℃。
澄んだ空気、冷え冷えとした月。
頬に当たる風は冷たいというより寧ろ痛い。

「ううん。」

真澄はマヤがこれ以上冷えないようさらに身体を密着させた。

「あったかい、、」

真澄の、マヤを労わる心が温かかった。

「なんか、こうしてると映画のラストシーンみたいだね。」
「ん?」
「だって、クリスマスツリーがあって恋人たちを祝福する天使たちが踊ってて、主人公がここでプロポーズをするっていう設定。絶対ロマンチックだよね。」
「・・・・」

言葉にならない。
この子は俺の心がわかるのか?そう思えるほどマヤの言葉は真澄に動揺を与えた。

「?どうしたの?」
「あ、いや。そういえばこの場所は実際に映画の舞台として使われているんだ。有名なところでは『ホーム・アローン2』のエンディングでマコーレ・カルキン扮するケビン少年と母親が再会する場所がこのスケートリンクの前だし、『オータム・イン・ニューヨーク』ではリチャード・ギア扮するウィルとシャーロットがここのスケートリンクでデートをするシーンがあるな。」
「そうなんだ。そうだよね、セットじゃ作れない本物の芸術が詰め込まれた宝石箱だもんね。使わなきゃもったいないよ。」
「はは、もったいない、か。」
「だってこんな素敵な場所、世界中の人に見せてあげなきゃ。」

マヤは自分が今感じている感動をもっと沢山の人たちにも感じて欲しいと心から思った。

「そうだな。でも今日も世界中の人はちゃんと見れるぞ?」
「えっ?」
「世界各国からメディアが押しかけてる。もちろん日本からもな。」
「えっ?」
「もしかしたら俺たちもテレビに映るかも知れないぞ?」
「ええっ?」

マヤは真っ赤になり、慌てて周囲を見回した。

「はは、冗談だ。これだけの人だかりだ、心配することはないさ。」
「もう、ビックリさせないで。誰かに見られたら言い訳できないですよ?」
「言い訳する必要もないと思うが?」
「、、そりゃあ、言い訳しなくちゃいけないようなことは何にもないけど、でも、、」

二人のことはそっとしておいて欲しい、そうマヤは思った。

「いずれ公表するんだから俺としては今日でも構わないが?」

真澄がニヤリと笑う。

「!心の準備ってもんがあります!!」
「俺はいつでも準備できてるがな?」

そう言って真澄は声を立てて笑った。

「もう、はや、、、」

マヤが言いかけたと同時に、地の底から湧き上がる歓声と悲鳴が二人の耳を劈いた。

スケートリンク脇の特設ステージで繰り広げられる夢の競演。

ジェシカ・シンプソン。
透き通るような白い肌、風になびく金髪、どこまでも深い青い瞳の天使。
若干19歳。
幼い頃から教会で歌っていたとあって、その歌声は賛美歌を思わせる。
ふくよかな歌声は聴く者の全身に染み渡り、細胞を活性化するような魅力がある。

次に登場したのはテキサス州ヒューストン生まれのヒラリー・ダフ。
ブリトニーやアギレラを輩出したディズニー・チャンネル出身。
15歳の時リリースしたデビュー・アルバム『Metamorphosis』がビルボードホット200チャート1位を獲得し、全米で320万枚のセールスを記録した実力者。
1stシングル「So Yesterday」もビルボードセールスチャート1位を獲得した。
日本では『メタモルフォシス』で2003年11月にデビュー。チャート上位に登場し20万枚をセールスするなど人気を博した。
女性らしい可憐な立ち振る舞い は見る者を魅了する。

最後は深い憂いを秘めた歌声のクリス・アイザック。
俳優としても有名で、「羊たちの沈黙」ではSWAT、「リトル・ブッダ」ではコンラッドという役をやっている。
VOLVO社車ののCMに使われている“Wicked Game”(ウィックド・ゲーム)は彼の歌の中ではかなり有名だ。

今年も大物ミュージシャンによるクリスマスソングがセレモニーを盛り上げる。
きよしこの夜、赤鼻のトナカイ、ジングルベル、サンタが町にやってきたなどなど。
観客の大合唱。
聞こえてくるのは英語だけではない。
エスパニョール、ジャーマン、フレンチ、イタリアン、メキシカン、アフリカン、アラビック、チャイニーズ、コリアン。

多国籍の街、ニューヨーク。
それぞれのお国の言葉が行き交う街。
マヤも負けじと日本語で歌う。
真澄は声を潜めて笑い、実にマヤらしい姿だと思った。

観客の熱狂が最高潮に達した頃、突然の闇が辺りを包んだ。

「Ladies and gentlemen!」

司会者が高らかに声を上げる。
いよいよツリーのライティングが始まる。
司会者の掛け声とともに会場にいる全員がカウントダウンを始めた。

ニュージャージ州ウェインの個人宅の前に聳え立っていた今年のツリー。
何年もの間人々に見守られ、大切に育てられた雄々しい巨木は、3万個もの電飾は24人の電気技師の手によって着飾られ、この晴れ舞台に立っている。
スワロスキー製の2万5千個のクリスタルで作られた、直径2m90cmの光り輝く星が気の頂上を飾っていた。
何万もの視線がただ一点に集中する。

、、5、4、3、2、1。

高さ22.6m、重さ9トンのクリスマスツリーに灯が点った。
歓喜の声と耳を劈く拍手。
留まらぬ興奮。
地上から湧き上がるような歓声がマンハッタンの凍えた空に滲んでいく。

マヤは泣いていた。
胸の前で手を合わせ、クリスマスツリーを見つめただ泣いていた。

「マヤ。」

真澄の優しい呼びかけにマヤはそっと振り向き、真澄を見上げた。
マヤの瞳からこぼれるダイアモンドの粒。
瞳の奥に映るもう一人の自分。

マヤこそが天使だと真澄は思う。
一生懸命でひたむきな姿に心引かれた、自分の命よりも愛しい女。
何年も見守り続け、愛しんできたかけがえのない存在。
一人の女として真澄という一人の男を惹きつけてやまぬ乙女。
神が自分に与えてくれた唯一の贈り物。

真澄はマヤをそっと包み込み耳元で囁いた。

「マヤ、結婚しよう。」

マヤの瞳から止め処なく溢れる涙。
真澄は冷えた唇でそっと拭う。
マヤは真澄に身を任せ、静かに瞳を閉じた。

「、、フフ、ほんとに映画のラストシーンだね。」
「ああ。でもこれがラストじゃない。これから始まるんだ。二人で始めるんだ。」

真澄は瞼に、目尻に、頬に唇で触れていく。

「マヤ。」
「はい?」
「お礼のお礼が欲しいんだが。」
「え?」
「返事。」

真澄の唇がマヤの口元のすぐそばまで降りてきた時、甘い掠れた声で囁いた。
マヤは背筋が痺れるのを押さえられなかったが、溢れる涙とともに満面の笑みで答えた。

「はい。」

真澄はこれ以上ないほど強く優しく抱きしめ、マヤの唇に己のそれを落とした。

白い天使たちがくるくる踊る。
二人を祝福して。

高らかに天使の笛が鳴る。
二人を包んで。









終わり





さくら様よりのコメント:
日本時間では11日ですね。こちらは10日の夜です。はぁ〜、書いちゃいました。ついに・・・。
ガラパロには1年以上前から嵌り、あらゆるサイトを読み尽くし、
暇さえあればパロを読んで妄想の世界へダイブしてました。
皆さんの書かれるお話に魅了され、憧れ、「私も書けたらいいなぁ。ま、無理だけどね!」と自分で自分を鼻であしらってました。それが『秋の宴』で我慢できずにのこのこ出て行き、ガラかめ熱が再燃!!
「私も書いてみたい。」→「書きたい。」→「書こう。」と一気に上り詰めてしまいました。
もちろんパロなんて書いたこともなく、どーすりゃいいの?状態でしたが、紫苑さんの「速水さんに言わせたい台詞の一言があればあとは何とかなる」(本当は違いますが、私の中では勝手にこう解釈しました)のお言葉に勇気付けられ、とりあえず「書〜こう。」とお気楽に始まりました。
速水さんが絵になる場所は・・・?と考えたらニューヨークがあるではないですか!!
しかもこの時期ったらロックフェラーセンターの巨大クリスマスツリー。クリスマスにこのツリーの前でプロポーズなんておいしいかも、って思ったらワクワクしてきました。
はて、待てよ!?ロックフェラーのクリスマスツリーっていったら、大イベントは点灯式じゃん!一般的にクリスマスはみんな家族やお友達とホームパーティをしてすごしたり、教会へミサに出席したりするし、お店だって休みだらけ。変わって点灯式は盛大なセレモニーが行われるし、世界中に中継される、アメリカでもっとも有名なイベント。これ、使えるかも・・・って妄想が一気に広がり、今に至りました。とりあえず、書き上げたことに満足しており、せっかくのご縁でいろいろお世話になっている紫苑さんに読んでいただきたくて、こうしてポストに落とした次第でございます。>投函するのにも非常に勇気がいったのですが・・・
今はこれが精一杯です。ジカキのノウハウというものもわかりません。ただ、ご迷惑でなければ読んでいただき、一言おっしゃっていただければ今後の励みになります。>ってまだ書くかいっ!
初めて書きましたが、結構楽しいものだということを知りました。実生活中も妄想の嵐は止まらず、夜布団の中でも突然「あそこはこうしたい」なんて思いにかられる始末。本当に面白かったです。メモ帳も初めて使いましたので、どのように文字数を設定すればいいのかもわからず、長〜く読みづらいものとなっていますことをお許しください。
ちなみにパロ中に出てくる点灯式の日時は今年2005年に行われるスケジュールで、ツリーについての解説(大きさや出身地)も今年のものです。アメリカ時間10日午後3時04分にニューヨーク、ロックフェラーセンターに到着し設置されました。セレモニーのゲストについてはまだ発表されていないのでわからず、昨年のゲストを取り上げました。2004年と2005年が微妙に交差してますが、まぁパロ・・・ということでお許し願いたいと思います。


紫苑より:
くるみんさんご主催「秋の宴」に私も参加しましたご縁のさくらさんです。
「ガラスの仮面しりとり」で驚異のしりとりマイスターぶりを発揮されます“しりとりマイスター・さくらさん”の初パロを頂戴致しました。
パロデビューおめでとうございます!
「書きたい」「書いて楽しい」それが二次創作を手がける何よりの原動力ですね。本当に。
ご在住のUSA名所の詳細な記述がとても魅力的な一作です。
遠き異国にあってなお熱いさくらさんのガラかめ愛、大変感銘深いです。
これからもぜひご一緒に末永く43巻を待ちましょう。
このたびは誠にありがとうございました!


2005/11/11



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