動かされた二人
前編
written by 瑠衣さま








ある日、おでん屋で密談が行われていた。
この店は黒沼の行きつけの屋台である。
黒沼と対等に酒を飲み交わしている、そこに似合わぬ才色兼備の女性が一人。
大都芸能社長秘書、水城冴子だった。

2日前、彼女に1本の電話がかかってきた。
相手はあの鬼才の演出家、黒沼龍三。
水城は、なぜ彼が自分に用があるのか解らないまま電話口にでる。
「お電話かわりました。水城です」
「ああ、忙しいのにすまないな。実はあんたに頼みたいことがあるんだ」
「何でしょうか?」
「単刀直入に言う。北島と若旦那のことだ。力を貸してもらいたいんだ」
「マヤちゃんと真澄様のことですか?」
「そうだ。このままでは北島の紅天女は不完全なものになっちまう。あんたなら解るだろ?」

水城はたしかに思い当たる節があった。
真澄と紫織の結婚式まで、あと3週間と迫っている。
マヤの気持ちがわかるだけに、彼女の苦しみは日に日に積み重なり演技に支障をきたしているのだろう。
黒沼先生も本公演を前に決着をつけたいに違いない。
それは私も同じことで。
真澄様の最近の仕事ぶりは、何かを忘れようと必死に許容範囲を超えた量の仕事をこなしている。
少しでも時間があれば愛しい少女のことを思い出すのだろう。
だが紫織との結婚は待ってくれない。
日毎に追い込まれている上司のピリピリとした空気を身近で味わっている水城にとって、この誘いはまさしく救いの手だった。

「わかりました。実はこちらも困っておりましたの。喜んで協力させていただきますわ」
「悪いなあ。今度の公演は何としてでも成功させないといけないからな。また、こちらから連絡する」
「ええ、お待ちしております」

水城は黒沼と約束すると電話を切った。
そして、彼女は今日、黒沼に呼び出されたのだった。

「お待たせしました。先生」
艶やかな長い黒髪をなびかせ隣に座る水城。
タバコをふかしながら大して待っていないという素振りを見せる黒沼。

「おう。仕事は一段落したのか?」
「いえ、いろいろありますが、こちらのほうが最優先事項ですから」と笑顔で答えた。
「そうだよなあ。時間がないからな、お互いに」
黒沼は口元を密かに上げ皮肉っぽく笑う。
「ええ」
「だが、この作戦が上手くいけば少しは落ち着くんじゃないか?」
「いえ、こちらは事後処理が大変で残業の日々が続きそうですわ。
 結婚式まであと3週間ですから」
「そうだな。上手くいけば結婚式はなくなるだろう。
 若旦那の奴、北島と気持ちが通じたら、あのお嬢様と結婚するなんてバカな真似はしないだろうからよ」
「真澄様は熱い方ですから、気持ちが通じればどんどん前に進まれると思いますわ」
「そうなることを願っているよ。俺にとっては北島は可愛い娘みたいなもんだからな。幸せにしてやりたいんだ」
「それは私も同じですわ。マヤちゃんは妹みたいに可愛くて、ついつい世話を焼いてしまうんですの」
「じゃあ、我らの紅天女様の為に早速、作戦会議をしようか」
「はい」
「二人の未来の為に、俺たちの仕事の成功の為に」
酒が入ったグラスを合わせて乾杯する。

その日、二人は酒を片手に朝まで綿密な計画を話し合った。


北島マヤは、試演で速水への想いを胸に秘め、見返りを求めずにただひたすら愛を捧げる紅天女を演じた。
無償の愛を捧げる彼女の紅天女に心を奪われた人達は北島マヤを選び、長年のライバル姫川亜弓を押さえて見事に紅天女の上演権を獲得したのだ。

紅天女の後継者となったマヤは、犬猿の中と言われる速水真澄の大都芸能と契約を結び世間を驚かせる。
上演権の管理は速水真澄個人に任せるという異例のことだった。
速水自身も彼女が自分に上演権を預け、大都に所属するとは思っていなかったので戸惑いを隠せない。
契約時、憎まれ続けてきたマヤから静かに語られた言葉。
「あなたなら紅天女をちゃんと守ってくれると信じてるから」
自分を信頼しているという思いが込められているのに驚く。
速水は彼女の気持ちに応えたくて誠心誠意の態度で約束を交わす。
「わかった。俺が君と紅天女を必ず守ってみせる」
本当は聞きたかったのだ。
彼女が何を思って俺に上演権を預けることにしたのか。
しかし、それを聞いて、この関係が壊れることを恐れた速水は、それ以上詮索することが出来なかった。

このとき、マヤは密かに誓いを立てていた。
あなたが今まで私にしてくれたことの恩返しを、これから少しずつさせてくださいね。
紅天女をあなたに捧げて、ずっと速水さんの為に演じ続けます。
私の命ある限り。
どんなことがあっても、あたしはずっとあなたの側にいます。


契約を交わしてからのマヤは、速水のことを「速水社長」と呼び社長と所属女優として、けじめをつけ一線をおいていた。
試演の1ヵ月後に、速水と紫織の結婚式が行われることが決まっている。
マヤは速水への想いが募るのを必死で抑え、自分の心を落ち着かせようとしていた。
速水のことを諦めて心からお祝いができるようにと。
結婚式には所属女優として出席しなければならないのだ。
時間があればすぐに彼のことを思い出してしまうマヤは、本公演の練習を毎日夢中でこなして忘れようと努力する。
私ができることは速水さんの大都での紅天女本公演を無事に終わらせること。
それがあの人への今までの恩返しになるはずだから。

速水もあと1ヶ月に迫った自分と紫織の結婚式を前に悩み苦しんでいた。
彼女の試演の紅天女を見てからは、時間があれば思い出してしまう大切な存在。
マヤへの想いが日毎に溢れ出して止まらないのに、現実には愛してもいない女性との結婚が待っている。
昔の俺であれば政略結婚だと割り切っていたのだろうが・・・。
今の俺はマヤへの愛を自覚して、ひたすら彼女を求め続けている。
こんなことで、この結婚は上手くいくのだろうか?
だが、今更どうすることもできない。
速水の自問自答は日に日に強まるばかりだった。



速水の結婚式まであと2週間となったころ、二人は作戦を実行にうつした。
紅天女の稽古場に強盗が押し入り、マヤを人質にとって立て篭もるというものだ。
犯人役の男は黒沼の友人で、昔、俳優だったが現在は家業をついでいる。
顔が割れていない俳優を探すときに彼のことを思い出し、昔の好で手伝ってもらった。
もちろん、詳しい経緯を話し、犯人役をしてほしいと頼んだ。
おおまかな台本は黒沼が作っていたので、あとは相手に合わせるようにというものだった。
マヤの方は黒沼が担当し、速水の方は水城が担当してこの作戦は始まる。


稽古場で紅天女の稽古に励んでいたマヤを犯人が人質に取った。
一瞬のことだったので、そこに居た者達は何が起こったのか、わからない。
マヤの首筋に突きつけられた包丁を見て、黒沼をはじめ一同の者の顔が一気に青ざめる。
「お前達全員、建物の外に出るんだ。俺は彼女を人質に取り、ここに立て篭もる。
俺の要求が呑まれないようであれば、彼女も道連れにする」
鋭い眼差しで黒沼たちを睨みつけ怯えさせる。
犯人の図体は大きく力もありそうで、みんなが束になっても勝てそうにない。
ましてマヤが人質に取られている以上、下手に動くことが出来ない。
「わかった。あんたの言うとおりにしよう。俺達は出て行く。
 それで、あんたの要求とは何だ?」
黒沼は用意された台詞を顔を歪めながら話す。
さすが演出家だ。
「俺の要求は金だ。この女は北島マヤ、幻の舞台紅天女の主役だ。
 そして、この舞台はかなりの収益があることを知っている。チケットはすぐに売切れるくらいの大人気だからな。
 彼女がどれだけ価値のある人間か俺はわかっているつもりだ。
 返して欲しければ5億円を用意しろ。彼女の事務所の大都芸能が大きいことも知っている。
 金くらいすぐに用意できるだろう」
「わかった。俺がすぐに連絡するから北島には手を出さないでやって欲しい。頼む」
苦悩の表情で深々と頭を下げる黒沼。
「わかった。じゃあ、連絡はあんたに頼むよ。お金を持って来る奴は必ず一人で来るように言っておいてくれ。
 もし、約束を破るようなことがあれば、この女の命はないと思え」
黒沼は、稽古場にいたすべての者を建物から外に出し、すぐに大都芸能の水城に電話をかけた。

血相を変えた水城が社長室をノックせずに入ってきた。
「真澄さまっ」
いつもは冷静な彼女のあまりの取り乱しように、速水は何事か遭ったと察知して身構える。
「どうした?君が動揺するなんて何かあったのか?」
水城はすぐにマヤが人質に取られたことを速水の耳に入れる。
連絡を聞いた彼は激しく動揺する。
「な、に?・・・マヤが、人質だと・・・」
「ええ、犯人は他の者を全て建物から追い出して、マヤさんを人質に立て篭もっているそうです」
「な・なんて・・ことだ・・・」
速水の顔は蒼白になり、体が床に崩れ落ちた。

真澄さま。あなたが昔のようにもっと強引にマヤちゃんにアプローチをしてくだされば、こんな作戦は実行しなくても済みましたのに・・・。
マヤちゃんに心奪われてから、年々臆病になられてしまって・・・。もう見ていられませんわ。
不本意ではありますが今まで歯がゆい思いをさせていただきました分、しっかり楽しませていただきますわよ。
水城は真澄にはわからぬように口元を密かにあげて、眼鏡の奥の瞳を妖しく光らせた。
さあ、舞台の幕が上がったわよ。


速水は突然のことで頭が混乱していた。

「マヤと・・・約束したんだ。彼女と紅天女を守ると・・・」
自分に言い聞かせるように呟く。
速水はゆっくりと体を起こすと手の甲が白くなるほどギュッと握り締め立ち上がった。
「・・・マヤ。・・・俺が・・・俺の手で必ず助け出してやる」
速水の顔には眉間に深い皺が入り、獲物を捕らえるような鋭い視線が浮かび上がる。
どんな奴であろうと俺のマヤに危害を加える奴は許さない。
静かに決意すると物事を冷静に判断する為にタバコに火をつけた。
たなびく紫煙を眺めながら頭の中は次第に研ぎ澄まされていき、これからの策をいろいろ巡らせていく。

落ち着いた速水は状況を水城に確認した。
「犯人の要求はなんだ?」
「お金のようですわ。身代金は5億円。
 紅天女が収益のある舞台であると事前に調べをつけていたのでしょう。
 ですから最初から彼女を人質に取ったようです
それから、お金は一人で持って来るようにと指示がありました」
「なるほど・・・わかった。金はいくらかかってもかまわん。犯人の要求に応じて一刻も早くマヤを解放してもらう」
「はい。ではすぐに準備いたします」
水城はすばやく社長室を後にした。

秘書室に戻るとすぐに黒沼に連絡を入れる。
「水城です」
「ちょっと待ってくれよ」
水城からの電話を人に聞かれるわけにはいかないので、少し離れた所に行くと話しを始めた。
「それで、どうだった?若旦那の反応は?」
「かなり動揺されてました」
「そうか。若旦那の奴、慌ててるだろうよ。
 大事な女を人質に捕られたと知ったら、あいつのことだ。居ても立ってもいられないだろうからな」
「ええ。もうそれは顔面蒼白で崩れ落ちましたから」
「ははは。あの冷血漢が崩れ落ちただと。それは見たかったな」
「これから計画通りに真澄様をそちらに向かわせますわ」
「ああ、わかった。こちらも準備万端だ。任せてくれ」
「それでは、先生。成功後に美味しいお酒を飲みに行きましょう」
「おう、朝まで付き合ってくれよ」
お互い軽口を叩くと作戦の成功を祈りつつ電話を切った。


黒沼グループのメンバーは建物から追い出され、入り口の前では一人捕まったマヤの無事を祈っていた。
桜小路はかなり動揺していて「・・・マヤちゃん、マヤちゃん」と呟いている。
それを黒沼が側で宥めていた。
「北島は・・・大丈夫だ。あいつは紅天女なんだ。・・・神様が守ってくれる」
と彼に言いながら、心の中では笑っていた。
桜小路、お前じゃ役不足なんだよ。悪いが、紅天女の為だ。
早く来いよ、若旦那。主役が来ないと舞台は始まらないからな。

水城がすべての用意を終え、部屋に入ってきた。
「真澄さま。お金の用意が出来ました」
速水は立ち上がると
「わかった。俺が持っていく」
と早速、稽古場へ向かおうとする。
「お待ちください」
すぐにでも出かけようとする社長を水城は引き止めた。
「真澄さま。何もあなたが行かれなくても警察に任せればよろしいではありませんか」
速水は振返ると苦悩の表情を滲ませ、彼女に問いかけた。
「・・・水城君。君は・・・。マヤがあんな危険な目に遭っているのに俺がじっとしていられると思っているのか?」
「ですが・・・あなたにもしものことがあれば紫織様は黙っていませんわ。
 結婚式まであと2週間なのですよ」
「それが、どうした?政略結婚じゃないかっ」
冷たく言い放つ。
「その政略結婚をお決めになられたのは、他ならぬ真澄様ではありませんか。ご自身で望まれたのでしょう」
「俺が望んでいるだと?ふざけるな」
速水は眉間に皺を寄せ、手をギュッと握り締める。
「君は俺のことをわかってくれていると思っていたが違ったようだな」
「いえ、わかっているつもりです。真澄様がどなたを愛しているか存じてますから」
水城はサングラスに隠れた瞳で速水を射抜く。
「それなら、なぜそんなことを言うんだ?俺がこの世で欲しいものはただ一つだ」
速水は水城から視線を外すと無念そうに下唇を噛む。
「では、どうして婚約されたのですか?愛のない結婚を選んだのは真澄様です。私は何度も忠告させていただきました」
「あの時の俺に選択肢があったというのか?」
「ええ、あの時なら充分にございました。真澄様はご自分で欲しいものをお捨てになったのですよ」
「・・・・・水城君。・・・今更、俺にどうしろというのだ?」
頭を垂れて床を見つめる速水。
「一言申し上げるならば、彼女を助けに行かれるのでしたら鷹宮家のことはお捨てください」
「な、なにを?」
水城の言葉に驚いたように速水は顔を上げる。
「それぐらいの覚悟がなくては彼女を守るどころか助けることもできませんわ。相手はどんな凶暴な犯人かしれないのですから」
マヤの身を案じて、心配そうに話す水城。

速水は目を瞑るとしばらく考えた。

「わかったよ。紫織さんとは婚約を解消する。もっと早くに決心するべきだったな」
ゆっくり目を開けると迷いのない瞳で水城を見る。
「ええ、真澄さま」
「自分にとって何が大切なのか解っていたのに・・・今まで動くことが出来なかった。
俺はこれから自分の命よりも大切なあの子を助けに行く。 それで、俺に何かあったとしても後悔しない。
 彼女を守ることができたなら本望だろう。 ここで指をくわえて待っていて、彼女にもしものことがあれば・・・。
 その方が俺には耐えられないし、生きてはいけないだろうから」
速水は瞳に烈しい光を宿して
「後は頼む。行ってくる」と力強く言い切り社長室を出て行った。

真澄さま。やっと決心していただけて良かったです。かなり煽ったかいがありましたわ。
それだけの想いがあるなら、どうして今まで自分で動かれなかったのかしら。
ほんと不器用すぎて歯痒いですこと。まあ、それも今日で終わりね。
あとでこれが仕組まれた事件だと知ったら真澄様お怒りになるかしら?
だけど・・・これで二人の気持ちが向き合えるはずだから、感謝してもらわないとね。
携帯を片手に黒沼からの連絡を楽しく待つ水城であった。










続く










2005/8/28
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