Chapter 3


午後8時。
ようやく自宅の玄関にたどり着いたマヤ。体が棒のようだ。
清瀬から今のマンションがある都心某所に戻るには、約1時間強を要する。
このままベッドに身を投げ出し眠りこけたい気分に駆られたが、今日は真澄が来る日。
風呂だけでも用意しておこうとバスタブに湯を満たし、準備をした。

『ピンポーン』

8時半近くになって、部屋のチャイムが鳴った。
オートロックを解除して扉を開けると、見慣れた顔が、少し照れたように微笑む。

「遅くなったな、マヤ。待ったか?」
片手に荷物を持った真澄は空いた手でマヤの肩を抱き寄せ、唇を軽く合わせる。
「ううん、あたしもちょうど今さっき帰ったところ。速水さんこそ、お仕事お疲れさま。」
「ああ、マヤも一日、大変だったな。顔色がさえないが、大丈夫か?」

ゴチン、と自分の額をマヤの額に軽く合わせる真澄。
とりあえず、発熱などはしていないようだ。
「ふふ、あたしはただ見学して本読んで、だもん。活字は苦手だけど数字より好きだし。
難しい経済や会社のこととかいっぱい降ってくる速水さんに比べれば、全然大丈夫!ねっ?」

マヤはいつもこんな感じだ。
終日稽古や役作りに自身が没頭して疲れ果てていても、真澄が仕事で遅刻しても、
けして愚痴を言うことなく労いの言葉をかけてくれる。

「油断しているとその細身では、すぐ体を壊すぞ。マヤ、ちゃんと夕飯食べたのか?」
「……ん…ぼちぼち、食べたよっ。」

“相変わらず、嘘をつけないというか本音が顔にすぐ出るな、マヤ”
無理にマヤが夕食を作ったりしないよう、食事を別にと提案したのだが、
やはり外食でも自分が作ってでも夕飯に付き合わせればよかった、と真澄は少々後悔した。

「おいおい、それが満腹食べたって顔か?
マヤのことだ、どうせ時間がないとか言ってハンバーガー1個だけで済ませたんだろう?」
「うそっ?速水さんなんで知ってるの?……っと…あわわわ」

健康管理と食事には気をつけろ、と真澄から日頃言われている手前、慌てるマヤ。
もっとも、理由は時間不足ではなく体調不良だが、
真澄が知ったら狂った様に心配するのが目に見えているので、口をつぐむ。

「全く…馬の耳に念仏だな、ちびちゃんは。そんな調子では肝心の撮影時に持たないだろ。
ではお姫様、倒れないようにこれで栄養補給してください、どうぞ。」
「あの、馬の耳?……ってどんな意味だっけ、速水さん?」
「何回言ってもわかってないってこと!
さ、食事じゃないが食べないよりいい、早く開けなさい。
それにはコーヒーが合うだろうから、俺はコーヒーを入れておく。」

真澄は、片手に持っていた箱をマヤに渡し、コーヒーを淹れる支度をする。
「え、これなに?もしかしてケーキ?」
「御名答!!」
「え〜速水さんがお土産にケーキなんて、明日はあられが降るかもっ?」
「なんだマヤ、その言い草は?俺だってケーキを買うぞ。
もっとも、今日のは確かに買った訳じゃない、会社での頂き物だ。」
「大都芸能に仕事できて生ケーキを差し入れって珍しいわ?誰がくれたの?」
「誰だと思う?」

マヤはケーキのふたを開けてみる。
ふわっと漂う濃厚なチーズの風味が香ばしい、いかにも上品な小ぶりの
ホール…ベイクド…チーズケーキ。匂いだけでも、美味しいだろうと想像がつく。
箱のラベルには、「ケーキの店 亜砂呂」の文字。

「亜弓くんだ」
「え〜〜〜っ!!! だって亜弓さん、ずっとフランスだったじゃない?帰国したの?」
「ああ、今日の午前に成田に着いたその足で大都芸能に挨拶に来た。歌子さんも一緒だ。
今回は大学卒業手続きや秋の企画での一時帰国で、2週間ほどの滞在らしい。
自宅むけに購入したが美味しいので是非、と秘書課と社長宛にも1箱ずつくれた。」
「うわ〜会いたい〜っ!ハミルさんは一緒かしら?」
「今回は短期だから彼女一人らしい。秋には二人で来ると言っていた。
 マヤにも会いたいと亜弓くんが言っていたから、じきに連絡がくるんじゃないか。」
「楽しみだな〜。亜弓さん、元気だった?目の具合は?」
「彼女は元気だよ。目は日常生活には全く困らないし、舞台の仕事も可能だ。
ただ、激しい動きや屋外での紫外線照射は長時間しない方が良いそうだ。
…さ、コーヒーがはいったぞ。ケーキを頂くとするか。」
「速水さんも食べる?」
「ああ、少しな。旨そうだし、頂き物の感想を言えるようにな。」

深煎り豆から抽出した薫り高いブルーマウンテンを淹れた、揃いのコーヒーカップ。
それから、マヤには特大サイズ…真澄には小さめにカットされたチーズケーキを並べる。

「いただきま〜す!!」
パクッ、と二人同時にケーキを頬張る。
「うわ〜美味しい……亜弓さんの選ぶものって本当に何でも美味しいわ!」
「確かにこれは旨いな。甘いものが苦手な男でも堪能できる。」

ケーキは、お世辞抜きで本当に素晴らしい味だった。
クタクタになっていたマヤも、ケーキのやさしい甘さとチーズのコクに、
少し元気が戻ったように見えた。

「少し顔色が戻ったようだな……無理したんだろう、今日は。園はどうだったか?」
「うん、展示見て伝記とか読んだ後、園を見学して事務長さんとお話したの。
 思ったより差別がひどくて結構驚いたけど、八重のことを知るのに、とても役立ったと思う。」

突然感想を聞かれ、とっさに無難な答を返すが、細かい内容や大垣の話には触れなかった。
今この場で、母の事を思い出すような話をするのはマヤにはためらわれた。

「そうか。なら、行って良かったな。八重の役作りは問題なさそうか?」
「う〜ん。大筋は大丈夫だけど、今回はまだ難しいところがあるの。
 八重が看護婦になる決意するところあるでしょ?
 あんなひどい隔離されたら、あたしもだけど誰だって相当滅入っちゃうじゃない?
 病院を出たいと思って当然なのに、なぜ何十年もそこで過ごそうと思ったのか
動機というか彼女の気持ちがわからなくて…。そこを早くつかまなくちゃ。」
「そこが八重役の難しいところだからな。でも、マヤなら大丈夫だ。」
「ありがとう、速水さん。貴方にそう言われると、ま、大丈夫かなって思うわ。」

“やはり、だいぶ参っていたのだな……。
結核やサナトリウムの話も展示にあるだろうから、母を思い出すのも無理はない。
マヤの顔色の悪さも、恐らくは肉体的な疲労よりも精神的疲労によるものだろう…“

真澄には、判っていた。
マヤの、良くいえば謙虚で欲がなく悪く言えば卑屈とも見える態度が、
母親にまつわる過去の厳しい環境からもたらされていることを…。
唯一の肉親である母親から『何のとりえもない』と否定的に言われて育ったこと。
褒められる事もないままその母を最悪の形で失ったことで自らを責めていること。
母の死をきっかけに、罠にはまって芸能界を失脚し、多くの辛酸をなめたこと。

マヤにはもっとわがままになって欲しい。
つらいことや不満も含めて、なんでも言って楽になってほしい。
日頃から真澄はそう思っていたし、彼女が殊更遠慮がちと感じた時には水を向けることもあった。

しかし、母の件だけは別だった。
“マヤは赦してくれたが、母親を死に追いやったのは紛れもなく俺だ”。
原因を作った張本人が、『元気を出せ』『魂は君のそばにいる』とか何とか眼前で言葉を連ねたとて、
母が帰らぬ今、マヤにとって何の慰めや癒しになろうか。
“却って現在の関係では、マヤは俺を傷つけまいと気を遣い、疲れ果ててしまうだろう”

マヤの母、春の死から早くも丸6年。
“早いものだ、もう再来月には7回忌を迎えるのか……”

しかし、思いが通じたあの日以来、正面きって母の死の話をすることはなかった。
今日だって、きっと八重の役柄から母の境遇を思ったであろうことも容易に想像がつく。
でもマヤは母を思い起こすような話題は一切さけているし、自分からも問いかけられない。

“マヤとこうしてずっと一緒に過ごしてゆくのであれば、一度はきちんと話をしなければ”
真澄はそう思いつつも、マヤのいま現在の心境を確かめることさえもできずにいた。

何とはなしに言葉を発しづらい雰囲気の中、真澄もマヤも暫し無言でケーキを食べ進めると、

“Trrrrrrrrrr、Trrrrrr, Trrrrrrr”
ふと、マヤの携帯から着信音が流れる。

「あら誰? 噂をすれば亜弓さんかな? 速水さん、ちょっとまってて。」
嬉しそうに携帯を開くマヤだが、発信元の表示は亜弓ではない。亜弓なら名前が出るはずだ。
「この番号誰かしら?表示されてるの、東京じゃない番号みたいだけど?」

マヤは電話に出た。
「はい、北島です。」
『ああ、マヤさんですか。ご無沙汰しています、源造です。今、電話大丈夫ですか?』
「あっ、御無沙汰してますっ!今もう家なんで大丈夫です。
 わぁ…本当に久しぶりで、一周忌以来ですよね? お体の調子どうですか?」
『はい、梅の里は空気が綺麗なので、だいぶ老体になってしまいましたが元気ですよ。』

「源造さんか、マヤ?」
尋ねる真澄に向かって、大きく首を縦に振るマヤ。

「良かった!今年は終わりましたけど来年も再来年も、
源造さんには『紅天女』見てもらいたいんです、先生の代わりに…
だから無理しないでくださいね。」
『嬉しいことを言って下さる、マヤさん。
ここ1,2年でマヤさんは本当に大人になりましたね。奥様もさぞ、お喜びでしょう…。
マヤさんも『紅天女』で忙しいのに他のお仕事もいろいろあると聞いてますから、
今もちょっとお疲れのようですし、体調に気をつけてください。』
「はい、風邪とか引かないようにしますね。ところで今日は何かありましたっけ?」
『ああ、今急ぎの話ではありませんが、今年の秋は、はやくも奥様の3回忌になります。』
「えっ、月影先生の3回忌??  
ちょっと、あの、丸2年しか経たないのにもう3回忌ですか?」
『もしかしてマヤさん、法事の数え方ご存知ないですか?
1周忌は満一年ですが、3回忌や7回忌などそれ以降の法事は数えの年月なんです。』

驚いて口をポカンを開けているマヤ。
その様子をチラと見ながら机に突っ伏すポーズの真澄を見て、マヤは少々顔を赤らめた。
“もしかしてマヤは、3回忌を3年後だと思ってたのか…?
 という事は、母親の7回忌のことも多分何も気づいてないのか………”

「すみません源造さん、あたしすっかり3回忌が来年だと勘違いしてました。」
『いえ、早めに連絡しておいて良かったですよ。
マヤさん、お手数ですが出席者と場所…日時の希望をまとめてもらえますか?
葬儀と同じなら参加者はつきかげの皆さんに一角獣の堀田さん二宮さん、姫川さん母子、
速水社長、演劇協会理事長と付添いの方、マヤさんと私。あと誰か加わるかどうか。
日時は基本は命日に梅の里ですが、皆様お忙しい方々です。
日程を前後半月程度はずらしたり、場所も東京で行うこともできます。
とくに理事長と速水さん、今迄治療でご欠席の亜弓さんのご都合の確認をお願いします。』

「わかりました!あたしは先生が眠ってるから梅の里まで行きたいのだけど…。
2週間後までに確認しますね。
今の3人は速水さん、劇団関係は麗に聞いて、お返事します。」
『またお電話しますので、よろしくお願いします。
マヤさん、今年は大きな法事が二つ重なるからお仕事忙しいのに大変じゃないですか?』
「え、法事が二つ?」
『ええ、マヤさんのお母様も確か今年が7回忌と記憶してましたので、
つきかげの面々と源造くらいは参加なり供物なり何か、と思うのですが…』
「そんな、あたしのとこはそういう習慣じゃなくって。
3回忌とかも特にしてないし。7回忌もしなくていいかって。
時間が空けば年命日か月命日を選んで、お墓参りしてるし…。」
『そうですか?それぞれご事情があると思いますが、普通は3回忌と7回忌は形をつけますし、
法要できるのが娘のマヤさんしかおられないので…。』
「源造さんに気遣ってもらえて、あたし嬉しいです。ただ色々あったから、
形にするとまた当時の様に外部に騒がれちゃうとか…あたしが悪いんですけど…
ちょっとまだ決められないので、自分で考えてみますね。」
『ええ、お母さんの方は本当にマヤさんの判断ですから。
 …マヤさん、あまりお母さんのことは、色々思いつめないほうが良いですよ。
とりあえず月影先生の3回忌の方、よろしくお願いします。夜分にすみません。』
「判りました。源造さんも何かあったら遠慮なく言ってくださいね!
あたしもまたそちらに行きます。源造さん、おやすみなさい。」
『ええ、マヤさん。では失礼します。』

マヤは受話器を置くと、
空になったケーキ皿とコーヒーカップを片付けつつ、真澄に話しかける。

「速水さん、話が長くなってしまってごめんなさい」
「君の会話から察するに、月影先生の3回忌の件か?」
「そうなの。それで、日時と場所と出席者の希望を聞いてきてくださいって。
 速水さん、協会理事長、歌子さん亜弓さんのスケジュール確認お願いしていい?
 亜弓さんにはあたしが会えれば聞くつもりだけど。 つきかげ関係はあたし聞いておくから」
「わかった。『ふたりの王女』と同時期だから、亜弓さんの予定も大都で把握したい。
理事長には俺から聞いておくよ。……それからマヤ。」
「え、何、速水さん?」
「俺から話すのは不適切だろうし申し訳ないが…もう一つの件、しなくていいのか?」
法事は7回忌以降、13回忌33回忌は一般的だが略式になる。
 マスコミをシャットアウトして、つきかげメンバー程度で内々に行う手配もできるが。」

母の七回忌が今年と知り、マヤも供養したいと当然に思う。だが……
“法事の手配を速水さんがするとか出席するとかって、かあさんどう思うのだろう。
それに速水さんだってあたしに隠れて墓参をする位だから、気にしてるのはわかるし。
つきかげのメンバー、特にあたし達の関係を知らない
麗以外の3人といきなり法事で顔を合わせたら、相当気まずいんじゃ…。
かといって交際相手で事務所社長なのに速水さん法事に呼ばないのも変だし……“
それらを諸々考えてゆくと、どうも法事という形をとるのが、ためらわれた。
マヤは法事から話を変える。

「…ううん、いいの速水さん。うちは昔から法事やったことないから。気にしないで。」
「マヤ…」
「それより速水さんお風呂まだでしょ?お風呂できてるから使ってね。」
「マヤこそ風呂まだなんだろ?今日はクタクタだろうし、
二人一緒に入れるサイズでないのが残念だが、先に使っておいで。」
「そう?じゃ、お言葉に甘えて先に使います。」

シャワーの湯気の暖かさに、ウトウト…とかすかな眠気を覚えるマヤ。
“はぁ……生きてるからお湯もあったかいんだわ……”

この半年間、真澄が来る日はきまって夜更けまで……時には明け方まで…
彼に抱かれ、逢瀬の一時に身をゆだねるのが二人のならいとなっている。

たぶん今日もそうなる、とマヤは思った。
しかし今日ばかりは、いくら裸身に熱い湯を浴びても、いつものあの感覚、
体の中枢から女として彼を求めるような感覚が、立ち上らずにいた。
“きっと疲れたんだわ、元気出さなきゃね。”
真澄からもらった香水を手首に少々付けてからバスローブを纏い、マヤは浴室から出た。

「おいで、マヤ。」
「はい、速水さん……」

夜の帳が下りるなか、真澄の声に導かれ、マヤは彼に身を預ける。
真澄もマヤが疲れているのは重々承知している…。しかし、
思いのたけを込めた愛撫に敏感に反応し、夜毎感度を増してゆく彼女自身を知ってしまった今、
眼前に委ねられた彼女の躰を開かずにおくことなど、到底できようもなかった。

艶やかな漆黒の髪。
潤んだ漆黒の瞳。
思いのほか豊かな胸。
陶器のごとく白く滑らかな肌。
ほっそりと、しかし均整のとれた肢体。
甘く、少々愁いを帯びた、喘ぎ声。

マヤの躰は、常に劣らず、美しかった。
真澄の背中に腕を回し、ふと目が合うと微かに微笑み返す彼女を見る限り、
今宵もまた二人密かに、悦楽の深い淵に溺れてゆくかのように、見えた。

だが、丹念に愛撫を施しマヤの躰を解してゆくうちに、真澄は気づいた。
“妙だな、明らかに普段と躰の様子が違う……”

確かにここかしこへの愛撫には声を漏らしているものの、
時折マヤの顔からは表情が消えうせ、意識があらぬ方向に飛んでいるかのようだ。
それに、肝心のマヤ自身の反応がことのほか鈍い。
少し指で解すだけで何時も滴り落ちるほどに濡れ、熱を帯びて収縮してくるマヤの内部は、
今日に限って濡れかたが鈍く、熱もさほど帯びていない。
マヤの様子からは、行為自体にやや擦れた痛みを感じている節さえうかがえる。

ひとしきり愛し合ったところで、真澄はマヤに話しかけた。
「今日はかなり体がきついんじゃないか?マヤ。もう休んだほうがいい…」
「うん…。ごめんね、速水さん。」
まだ少し荒い息遣いのまま、マヤは肩越しに真澄を見上げ、言葉を返す。
「マヤがあやまることじゃないさ。
もともと疲れると判っていて、今日しか空いてないと無理させたのは俺だ。すまんな。」
「ううん、そんなことないわ。お休みなさい……。」
「マヤ、愛してるよ、お休み……。」
真澄とマヤは会話もそこそこに、二人して眠りに落ちていった。


眠りに落ち、意識がどこか朦朧とした世界を漂う、マヤ。

***************************************
雲が垂れ込む空の元、マヤが小道を歩いてゆくと、
道のたもとに一人の婦人が佇み、懐かしい声で語りかけてきた。
しかし何故か、その人の声は怒気を含んでいる…。

“……マヤ、かあさんはね、あんたみたいなひどい娘、見たことがないよ”
“かあさん、かあさんなのね?”
マヤは必死に問いかけるが、婦人は視線をマヤに向けることはない。

“確かに貧乏で手伝いは大変だったろう、それでも一人娘、
かあさんは取り柄もないあんたを健康に育ててきたじゃないか、マヤ。
なのに演劇なんかのために親を捨て、しかもなしのつぶてとはね。“
“かあさん、ごめんなさい…! 
あたし、かあさんにいい所見せたくて演劇でひとり立ちしてから会いたかったの“
“今さら言い訳かい?その演劇の為にかあさん監禁されてこんなことになったんじゃないか”
“かあさん……ごめんなさい……”
“しかも何だい?かあさんを監禁した男に身体を開いて平然としてるとは……“
“そんな! 彼は以前からずっと紫のバラの人としてあたしを愛して支えてくれた人なの!
愛してるから一緒にいるの“
“何を言ってるんだい、マヤ、いくらでも方法はあっただろうに?
おまえを愛してると言うが、どんな目的であれ、愛する人のただ一人の親と知ってて
平気で監禁するなんて、ろくな男じゃあるまい?”
“誤解だわ!かあさん、平気で監禁したわけじゃないわ……”
“もうかあさんはあんたなんて金輪際知らないよ、さようなら!”

母が、涙を目に溜めつつ顔を苦しげにゆがめ、小道を先へと歩き出した。
追いかけなきゃ、話をしなきゃ……

しかし母の姿は、物凄い勢いで遠く小さくなり、
母の姿もろとも、その小道は、あとかたとなく消え去っていった。
“かあさん、まって、誤解なのよ、話を聞いて、まって、かあさん……”

***************************************

「まって……誤解なの……さん…かあさんっっ!!」

自分の叫ぶ声にはっとして、マヤは目が覚ました。
夜の闇に未だつつまれた、いつもの寝室の風景。
気がつくと一筋の涙が頬を伝い、目の前には心配そうな真澄の顔があった。

「マヤ、マヤっ!! しっかりしろ。
ひどくうなされていたが……大丈夫か?どうした?」
「う、あ…夢……ううん、なんでもないの。ちょっと夢見が悪かっただけ。」
「“ちょっと”悪いって顔じゃないだろう、マヤ。
こんなに冷汗をかいてしまって…。体はだるくないか?熱っぽくないか?」
「うん、大丈夫…。」
「ちょっとまってろ、マヤ。」

そう言うと真澄は起き上がり、棚からマヤのネグリジェとタオルを取り出した。
ぼうっとしているマヤの半身を起こし、タオルで手早くマヤの全身の汗を拭く。
「あ、あたし自分でできるから……恥ずかしいし…」
「いいから!冷や汗かいたまま裸で寝たら、それこそ体が冷えて良くないだろ?」
手早くネグリジェを着せて、その上からマヤを抱きしめる。

「これでよし……っと。どうだ、少しは落ち着いたか?」
抱きしめられた服越しに、真澄の鼓動が、ドクン、ドクン……と感じられる。
「うん……。有難う、速水さん。」
暖かい。ここはとても、暖かい。

“速水さん、平気であんな事したわけじゃない…よね?
 速水さん、あたしは今、貴方に愛されてる……よね?
 速水さん、貴方あの時どう思ってたの?今はどう思ってるの?“

思いがけぬ夢に促され、マヤは心の中で真澄に問いかけてゆく。
しかし、今この問いかけを口にすることで、互いの間に波風を起こしたくはなかった。
ただただ、真澄の暖かさを感じていたい……。
マヤは再び、真澄の腕の中で、静かな眠りについた。







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