Chapter 2


翌週の火曜日、朝10時。
マヤは、清瀬駅南口に降り立った。
バスに乗り換えること10分、「資料館前」でバスを降りる。

先週、大都芸能とTV局から園の見学を依頼したところ、
ドラマがハンセン病啓蒙に役立つという事で特別に今日、個人見学の許可をもらった。
午後3時までは国立ハンセン病資料館見学と書籍閲覧、
午後4時まで、火曜定例見学の看護学生たちとともに療養所の施設見学、
最後に療養所の事務長と特別に個人面談を行い、夕刻に終了の予定である。

“速水さんに、手料理でもごちそうしたかったんだけど……”
足早に歩みを進めつつも、梅雨の合い間の晴天の下、マヤが思い出すのは真澄のこと。
つい数日前に真澄へのわだかまりから涙したことなど、コロっと忘れていた。

仕事上も所属事務所社長…私生活でも恋人、と接点が多いから無理もないが、
“それにしても演劇と食べ物と速水さんの事以外、何にも考えてないな〜”
マヤは苦笑した。

今日、夜8時頃に来ると真澄から連絡を受けていたのである。
「悪いなマヤ、見学と重なって。どうしても今週は今日しか時間作れなかった。」
「速水さん、食事でもって言ってたでしょ? あたしご飯つくる?それとも待ち合わせる?」
「見学は終日だろう? マヤの苦手な活字とも格闘するんだ、予定を入れすぎると疲れるぞ。」
真澄に言われて、今日は夕食は各自で済ませることにしていた。

この春、改装されたばかりという国立ハンセン病資料館。
思いのほか外観は現代的で、難病を語る辛さなどみじんも感じさせない。

だが館内に一歩入ると、ハンセン病患者に対する差別の実情が克明に示されており、
その苛烈さは、マヤの予想を遥かに上回っていた。

説明ビデオや展示パネルによれば、
ハンセン病患者に対し、国は「らい予防法」という法律を作り強制的隔離政策を取った。
患者は世間との一切の交流を禁じられた上、
本来の戸籍や名前を抹消され『らい病院』専用の偽名で過ごさざるを得なかった。
皮膚疾患や麻痺で歩行さえ厳しいのにろくな治療も受けられず、
過酷な強制労働に従事させられた。
のみならず患者は、忌まわしい遺伝病患者として強制的に断種…堕胎させられ、
あろうことか堕胎された胎児の標本を園内に展示するということまでが行われたのである。

更に驚くべきは、戦後、ハンセン病が遺伝病ではないと判明し、
薬(プロミン)で後遺症なく容易に治癒可能な病気となったにもかかわらず、
1996年の「らい予防法」廃止まで、同様の人権侵害が続いたということである。
もっとも、21世紀以降も、未だ元患者の宿泊拒否といった差別が残っている。

“なんてひどい……!!”
もし自分が患者だったら、と思うとマヤは背筋が寒くなる。
“隔離って身体だけじゃないのね…。
戸籍や名前を消すなんて殺されるようなものじゃない!“

シナリオにも、隔離された八重が破談になってしまい、
井深家から戸籍までも抜かれ『堀清子』と称したと書いてあった。
『聖なる=Holy→ほり』と読めることからレゼー神父が名づけたそうだ。

“自分の家族や大事な人が入院させられたのに、
戸籍つぶしてなしのつぶてで、井深家の人は平気だったの?
あたしは、大事な人がそんな目にあったらがまんできない。
もし速水さんが同じ目にあったら、一緒に感染したっていい、絶対取り返すのに。“

憤りも限界近くまできたところで、マヤははっとする。
“でもあたしは、母さんを取り返せなかった。”

自分に、井深家を非難できるのか。
戦前当時、隔離政策は国家政策だったと展示にも書いてある。

“国が平気でこんなことしてるなんて、狂ってるわ。”
連絡を取れば厳しく罰せられ、下手すれば『らい病院』と関わるだけで
知人親戚まで皆が後ろ指をさされる時代だったのだ。
そう思うと、ただ非難すればいい訳でなかった事は、マヤにも想像ができた。

逆に自分は井深家に比べ全く自由に連絡できる状況であったのに、
突然家出しなしのつぶて、母の病気を知ったあとも警察に捜索願さえ出さなかった。

薄暗い室内の展示ケースに両手を掛けたまま、その場に座り込むマヤ。
ぼろぼろと、両の瞳から涙がこぼれてくる。

“あたしってば井深家の人よりヒドイじゃない!”

マヤは、かつて母の死の直後、
春の付添いであった看護婦と喫茶店で対面した時のことを思い出した。
看護婦は、母が離れにたった一人隔離され、結核の進行で目も見えないにもかかわらず、
TVもラジオも故障させていたと言っていた。

体が切り裂かれるような、どうしようもない感覚に襲われる。
“母さん、目も耳も会話も奪われて、どんなにつらかったんだろう…!
 あたしも大バカの親不孝者だし、速水さんだって大バカの冷血漢よっ!”
“八重もどんなにつらかったんだろう…?
どうして八重はこんな状況のところに好んで戻ったんだろう……?“

八重や母の辛さは身にしみてわかるものの、
八重がなぜ病院に戻り看護の道に入ったのかが、わからない。
マヤの頭は、だいぶ混乱していた。

もっとも、ふらつきながら第三展示室を回り、
午後に入って図書室で開架図書にある八重の伝記を読み進むころには、
マヤの気持ちもだいぶ落ち着いてきた。

確かにハンセン病を巡る環境は悲惨なものであったが、
それだけではない様子が、第三展示室の資料には示されていた。
患者たちは、差別の中にあっても互いに人間として敬意をもって接し、
体力の限界の中でも病気への理解促進や差別撤廃…人権回復の運動に根気強く取り組み、
ようやく近年、国の正式謝罪を得て、人権を回復するに至ったという。

当初は自殺さえ考えた八重もまた、絶望のみで1年を過ごした訳ではなかった。
病院ではレゼー神父たちが、献身的に看護や生活指導にあたり キリスト教の信仰を説いた。
神父と接する患者たちの表情は一様に穏やかで、患者同士労わりあいながら労働をしていた。
八重は軽症患者であったから(→誤診だったから当然だが)、英語教師の経験を生かし、
レゼーや他の神父たちの通訳をしながら、共に重症者の看護にあたっていたのである。

“八重は、神父の献身的な姿に感動したから自分も看護をしたかったのかしら?”
心やさしかったであろう八重、
心が動き自分も看護をしたいと思っても不思議はないとマヤは思った。
“でも、ちょっとの間看護やボランティアしたり、外から支援運動するのとは訳が違うわ。”
看護する相手は何も家族や恋人だけではないのだ。
見知らぬ人間、しかも皮膚疾患や神経麻痺などの重篤な患者と365日接する。
しかも、演劇やおしゃれやグルメや恋とも隔絶され、日々世間から冷たい目で見られながら。

『感動した…心が温まった…自分もつらかった』
八重を動かしたのは、その程度の理由ではないはずだ。
でもやはり、マヤにはなぜ八重がそこまでして看護に転じたかが、実感しづらかった。
“難しいわ……”

恐らくは、この部分の心情変化で
いかに八重と同じ境地に至れるか、且つ、八重のこころを
視聴者に的確に伝えられるか、それで今回のドラマの成否が決まる。
マヤはそう思いつつ、伝記を閉じた。

ふと見上げると、図書室の時計が示す時刻は午後3時10分前。
マヤは、集合場所である資料館の会議室に移動する。
既に療養所に向かう私服の看護学生たちが十数名ほど集まっていたが、
TVに殆ど出ていないマヤは、特にその正体に気づかれることはなかった。

施設職員の誘導で療養所の敷地内に入り、暫く見学をする。
現在東京都内に唯一残るその療養所は、『多磨全生園』といった。

約35万平米の広大な敷地内には、病院棟や治療棟、研修棟、看護学校、多目的ホール、
野球場、スーパー、それに神社や各宗派の寺、教会等の宗教施設が建ち並んでいた。
思いのほか住居棟らしき建物が多く、
建物周辺の敷地内には、入所者の植樹によるという広大な森が広がっていた。

通常の病院では大勢の医者や看護師が行き交うが、ここは散見される程度だ。
数人の入所者らしき人を遠目に見かけたが、皆、相当高齢に見えた。
“なんだか、病院というよりは一つの小さな町のようだわ…
お医者さんも少ないし、違う宗教のお寺がいっぺんに敷地内にあるのね“


見学後、学生達と別れたマヤは、一人事務棟の応接室に通されていた。

「事務長の大垣と申します。本日は遠いところをお越しくださり大変お疲れ様でした。
 北島さんはこうしたところは初めてだと思いますが、いかがでしたか?」
事務長と名乗る柔和な感じの初老の男性が、マヤに話しかける。

「北島です。こちらこそ、お忙しい中を有難うございます。
先に資料館を見学しましたが、日本でもこんな最近まで差別があった事がショックでした。
大変な状況を患者さんが経験されてきたと思うと、言葉がなくて。
療養所もとても広くて、患者さんがまだ大勢いらっしゃるのだと思いました。
すみません、きちんと感想をお話できなくて。」
マヤも何と言えばよいのか判らず、思ったままを正直に口にした。

「いやいや、お気遣いなく……。TVで井深八重役をされると伺ってますが、
北島さんがこうして来てくださり、興味本位でなく
ハンセン病を理解なさろうとした上で演じて頂けるのは、本当に有難いことです。
ここは結構広いでしょう?当園は現在、約650人の方がいらっしゃいます。」
「650人!そんなに多くの患者さんがいるのですか?」
「いえ、実は今もハンセン病の治療中のかたはその1割もいないのです。」
「え?他のかたはもう治ってるのですか?」
「ハンセン病は戦後良い薬ができ大体の方が完治しています。
感染率が低く入院隔離も不要な病気とわかり、数ヶ月の通院投薬で十分治ります。
入園の皆さんは昔入所の方で平均年齢77歳ですと御高齢ですが、当園におられるのは、
隔離のせいで戸籍がなく帰る所がない、心…体を別に病み自活できないとの理由からなのです。」

“ああ、だからあまり病院っぽくないし、お年寄りが多かったのだ…”
マヤは続けて聞いてみる。
「お寺があったのは、隔離で敷地内から全然出られなかったからですか?」
大垣は話を続けた。
「そうです。宗教や信仰は、心のよりどころになりますから。
宗教に心を託すほかない、そんな差別が民主主義になった戦後までも続いたのです。
ハンセン病への偏見自体は減りましたが、元患者は従来の環境のまま取り残されてますし、
ハンセン病以外でも類似の差別が依然として残っています。」
「まだ他の病気でも差別があるのですが?」
「ええ。北島さんもHIV(エイズウイルス)や結核などは御存知でしょうか?」
「!!はい…。」
肺結核。紛れもなく、母、春が患っていた病気だった。

「例えば、HIVなら、精液や血液が直接体内に入らなければまず感染はありません。
性行為やケンカ…大事故の時に注意頂ければ、陽性者…感染者と問題なく共同生活できます。
陽性の方でも工夫すれば、赤ちゃんに感染させずに妊娠出産も可能です。
結核の場合は、感染力はある程度ありますが約数週間から数ヶ月間の隔離で完治します。
隔離といっても、患者に陰圧(気圧の低い)病室に入って頂き服薬、
医師や家族がN95微粒子マスクを装着すれば、あとは普通の内科病棟と同じです。
ところが、感染を必要以上に怖がり、正しい知識を知ろうとしない風潮から、
患者さん達は偏見に苦しんでいます。
たとえば、就職や通学を拒否されいじめにあったり、厄介者扱いされ遠くの施設〜田舎の
古いサナトリウムなどは『らい病院』と同じくその典型ですね〜に何年も隔離されたりと、
感染症が人権侵害の言い訳に使われているという、残念な現状があるのです。」

マヤは、何か言わねば、と思うものの、言葉が続かない。
心なしか青ざめた顔色のマヤに気づき、大垣は慌てて言葉を繋いだ。
 
「あ、八重の話とは直接の関係はない話ですね…。
お疲れのところ長々とお話してしまい、申し訳ありません。
ただ、八重が奮闘してらい病が解決してメデタシではなく、
21世紀の今も我々日本人が、差別によるこうした人権侵害の根絶を
人道的な課題として引き続き負っている事が、何となくでも伝わればと思いまして。」 

「そんな、長々となんて……
今まで知らなかった事を教えて頂くのは演技にすごく必要なんです。
全然申し訳なくなんてないです!
私も、TVを見る人たちに対して、八重を通じて今伺った事が伝わるのは、
とても大事なことだと思っています。」
大垣を慮り、ようやくマヤは掠れるような声を絞り出した。

「私どもからももっと世の中に発信できればよいのですが、普段はなかなか…。
多くの方に自分なりの形で物事を伝えてゆく、これは表現者の方だからこそできる事です。」
北島さんのなさっているのは、とても素晴らしいお仕事ですね。」
「そんな、私なんてほんと表現力とか足りなくて、まだまだなんです……」
下を向いて真っ赤になりながら、ゴニョゴニョ…と返事をする、マヤ。

“今どきの若い子にしては珍しく、随分と素直でひたむきな感じの子だな…。”
マヤの様子を、大垣は微笑ましく感じた。

「北島さんは、『千と千尋の神隠し』という映画はご覧になりましたか?」
「はい、一度DVDで見たことがあります。」

確か宮崎駿監督の代表作で、アカデミー賞を受賞したアニメ作品だ。
通常アニメを見ないマヤであったが、
以前真澄が、大都の俳優が声優で出ており仕事上見る必要があると言って
DVDを持ってきたので、ついでに一緒に見たことがあった。

「そうですか。主人公の『千尋』は、
両親が豚にさせられて別世界に連れていかれたと聞き、自らも別世界に行きます。
そこの『湯屋』という施設で、親を探すために、『千』と名前を変えて働いたことは、
覚えておいでですか?」
「はい、覚えてます。
わがままだった千尋が懸命に親を探して頑張る、彼女の素直さと強い心に感動しました。
それと『湯屋』にいた化け物の『カオナシ』って千尋に会ってから変わりますよね?
千尋を好きになるのに千尋に振り向いてもらいたいばかりに凶暴化しちゃう、
なのに千尋は見捨てずに『カオナシ』から悪い物を吐き出させて彼を浄化させる、
このくだりが、『カオナシ』自身が自分の中のいい所と悪い所との間で苦しんでるみたいで、
あたし切なくてボロボロ泣いてしまいました。」

「よく覚えておいでですね。……実は、この『湯屋』は当園がモデルなのだそうです。」
「えっ?!」
「宮崎監督は、『となりのトトロ』以来多摩の自然を愛し、
当園の森をよく散歩されているそうです。当園の経緯やハンセン病のことを知って下さり、
戦後日本人が経済成長を重視する中、人として大事なものを置き去りにしているのでは
との危機感から、映画の中にメッセージを込められたと聞きました。
『豚』と言われて蔑まれ、名前を奪われたのは、そのまま患者の姿でもあります。」
「そうだったんですか……全く気づかなくて。すみません。」
「設定も名前も全然違いますから、気づかなくて当たり前です。
私やここのスタッフでさえ、監督から伺って初めて気づいたのですから。」
と言いながら、大垣はマヤに微笑みかける。

「でも北島さん、大事なことにお気づきですね。」
「え、そうですか?」
「悪い部分や欠点がゼロの人っていないですよね。
最初は千尋もわがまま、カオナシも無気力で。でも千尋は成長して
身近な人の大切さに気づき、救い出そうと前向きに頑張る強さを身につけます。
そしてカオナシに対しても、凶暴な行動を責めるのではなく、
彼の中にある別の側面に気づき何とかしようとする。」
「最後千尋は、元の世界に帰り湯屋のことを忘れちゃいますけど、すごく成長しますよね。」

「私どもは監督のお話を伺って、ハンセン病にも同じことが言えるのでは、と思いました。
 差別自体、勿論許されないですが、差別を恨んだり差別した人を責めるよりも
一人一人が身近な人を大事にする気持ちを常に持っていれば、差別の発生自体防げます。
そして患者と社会とがよい関係で過ごせるにはどう工夫するか、同じ過ちを繰り返さない
ようにするにはどうすればいいか、それな大事だと語っている…と思ったのです。」

大垣の言葉に、マヤは表現者としての宮崎の真剣さを痛感していた。
“宮崎監督って、すごい。あのきれいなアニメにそんな深いメッセージを入れられるなんて。
表現者としてどう自分の思いを表現するか、きちんと考えてるんだわ。
あたしなんて、いつも役になりきるだけだし……“

自分はいつも心から役に入っている、とマヤはふり返る。
役の間は自分はその役の人物、たとえば井深八重であって北島マヤではないから、
自分の演じ方が間違っているとは全く思わない。
ただ、その役の中に在る自我、或いはその表現者自身が意識的に伝えたい事、などを
形にしてゆく表現方法もあるのだと改めてマヤは感じた。
“そういえば、亜弓さんは、『王女』や梅の谷のときも、きちんと考えをもって説明してたわ…。
あたしも、色々な表現方法を役作りの方法の一部として、もっと考えないとなぁ。“

「あたしも、お話聞いて大垣さんと同じように思いました。
先ほどの感染症の差別のお話も今のお話にしても、八重の当時の気持ちを
きちんと出した上で、こうした部分を感じる演技がしたいと思ってます。」
「北島さん、今日貴女にお会いして、貴方なら八重ができると私は確信しております。
 TV放映を楽しみにしております、頑張ってください!!」
「はい。ありがとうございます。今日はどうも有り難うございました。」


敷地を出て歩くマヤの影が、夕陽が未だ高く差す夏至の空の下長く伸びる。
今日は色々なことがあったわ、とマヤは思った。

思ったより、八重役は難しそうだ。
八重の心情変化の理由をどう理解するか。
八重の人生を通じ、どうやって普遍的な『思い』や『課題』を発してゆくか。
“あと半月で何とかしなきゃ…大変だけど、ともかく気づくこと一杯あって、よかった。”

そう思う一方で、マヤは気分が沈んでならない。
“結核患者の隔離が人権侵害って……。戦前じゃないんだし、
あたしが連絡していれば、或いは早く警察なり使ってかあさんの所在を掴んでいれば、
あんな僻地の病院に長期間置かれることもなかったんだわ…。“

それに、マヤの気持ちをあれ程思い紫のバラの人として支えてくれた真澄が、
母の件に限って何故、誰が見てもひどいと思う行動を取ったのか。

結果を考えずに行動する真澄ではない、と、以前水城は言っていた。
今のマヤには、それは判る。彼の自分の対する海のように深い愛を知った今は…。

でも、だからこそ、どうにも腑に落ちなかった。
“あたしは、速水さんを愛してる。ぜったい。それは間違いない。
でも、みそっかすみたいに言われてても、かあさんはただ一人の大事なかあさん。
速水さんもかあさんも、形は違うけどどっちも比べようのない大事な人、
彼を愛してるから彼が大事にしてくれるから、
かあさんの事はどうでもいいとか帳消しって訳じゃないわ。
かあさんの敵だから速水さんを愛さないって訳でもないし。
ただ、いつもかあさんに、敵を好きになってごめんなさいと謝るのは、しんどいな…“

堂々巡りの心に、一日ぶっ続けで昼食も食べずに見学等していた体の疲れからか、
帰りのバスを降りたとたん、マヤは少々の立ち眩みを感じた。
普段は『やせの大食い』そのもののマヤであるが、
夕食の時間帯にもかかわらず食欲が出ない。若干血の気が引き、歩くのがきつい。

“休憩しなきゃ。なんか食べておかないと、家に帰るまえにばったりきちゃうかも……”
視界の先に、紅天女になる前でお金がなかった頃よく買っていたハンバーガー屋があった。
マヤはハンバーガーとホットウーロン茶を購入した。
ほおばると、いわゆる美味ではないが、懐かしい味がした。
それから、テーブルに身を投げ出す。
“疲れたなぁ……。”







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