涙の理由 前編

(続・伝えたい思い)

written by かつみぱぱ様











ACT1



ある晴れた土曜日

春の風が吹いていた

都会に偶然咲いた僅かな桜の樹・・・

最後の花の1枚が、その風に乗って宙を舞っていた・・・

やがて、大沢演劇スタジオの半分だけ開けた窓に吸い込まれていった・・・




演劇スタジオの7階では、紅天女候補、北島マヤの黒沼チームが稽古をしていた。

黒沼たちは、ジェーンの時にいた稽古場に戻ることができたのだった。

本来の実力が認められた黒沼、そして日本中が期待を寄せている北島マヤ・・・・

この二人になら、どんなスタジオでもスケジュールを空けてくれるだろう・・・

但し、先に稽古風景を見なければ・・・



稽古場のひとつ下の階に、会議室はあった。

会議室の壁際には数台の液晶モニターが置かれており、ラックにあるコントロール機能で

稽古風景がリアルタイムでチェック可能だった。



会議室には二人の人物・・・速水真澄・・・そして水城も来ていた。


「・・・真澄様・・・いくらなんでも、このような場所で契約とは・・・」

「・・・良くなかったか」

「いえ・・・別に・・・ただ、いえ何でもありませんわ」


今日は、紅天女の試演を日本演劇理事会が大都芸能とプロモート契約する重要な会議だった。


”ガチャ”

「やあ、お待たせしました・・・」

大沢社長が満面の笑みで日本演劇理事会の理事長、演出家の小野寺と黒沼を連れて入ってきた。


「いやあ、稽古だけでもここでやってくれるおかげで、入門者増えるわCMの出演者探しとか大変ですよ。

但し、あの感じだと間に合うのでしょうかねえ。紅天女の試演に」

そう大沢社長がそう言ったとたん、速水真澄と黒沼が同時ににらんで来たので、たまらず

「・・あとは、ここを使ってください」

と言って、大沢はさっさと5階にある自分の社長室に戻ってしまった。



大筋は決まっているので、契約内容の読み合わせと確認が済むと、無事契約書の調印が完了した。

ついに大都芸能が紅天女公演に事実上大手をかけたのだった。


「・・・真澄くん、ついにここまで来たな」

小野寺がさすがに感慨深く、パイプの煙をゆっくりと吐き出しながら真澄に言った。

「・・・ええ・・そうですね」

真澄の返事は、あまりにそっけないものだった。

”大事な調印だというのに・・・”

水城は少しあきれていた・・・

その理由は真澄にあった・・・


手に持っているスケジュール帳は明らかにさかさまだった。

また、捺印する場所を2度も間違えてしまったり、全員に出たコーヒーをただ一人5杯も

おかわりをしたり、そして何と言っても、会話がちぐはぐで、心がここにない事は明らかだった。


真澄は、自分の正面に座っている小野寺の後ろに見える液晶モニターばかりを見ていた・・・

そこに映し出される映像・・・稽古中の北島マヤしか頭にないようなのだ・・・


”コンコン”

「失礼します」

入ってきたのは桜小路だった。桜小路が、静かに黒沼に報告に来た・・・

「黒沼さん、モニター見てください・・・今日は特にひどいです・・・」

「北島・・・またか・・・」

モニターに写るマヤ・・・演技中にマヤは、また涙を流していた。


「わかった、今日はもう上がれ・・・」

「はい」


桜小路は軽く黒沼に会釈をして部屋を出た。その出る瞬間、ちらっと真澄を見た。

「・・・!」

真澄の鋭い眼光だった。

一瞬たじろいだが、そのままドアを閉めて稽古場へ戻っていった。


「・・・ふう」

その様子を横目で見ていた黒沼が小さくため息をついた・・・


「黒沼くん、北島さんを頼みますぞ・・・」

理事長はそういうと、部屋から出ていった。


「では、私もお先に・・・」

一緒に、小野寺も出て行った。

”怪我の巧妙で奇跡の姫川亜弓・・・それに比べて重圧でベソしかかけない北島マヤか・・・”

小野寺は、出る瞬間に心の中でそうつぶやき、笑みがこぼれた・・・



「速水のだんな・・・ここまで来ると俺もさじを投げそうだよ・・・

あんた、桜小路を怒ってもしょうがないな・・・」

「・・・・・・」

真澄は、黒沼の問いに答えることはせず、じっとモニターに映るマヤを見つめていた・・・




稽古場に最後一人残ったマヤ・・・

桜小路の思い空しく、マヤは一人にして欲しいと告げた・・・

マヤは、あせればあせるほど、演技がわかならくなっていた・・・

今日は、稽古を始めて、魂の演技になった早々に涙を流してしまった・・・

その涙の理由・・・

紫織から告げられた言葉が頭から離れなかったからだった。




真澄は、稽古場でただ一人泣くマヤの姿を、水城がいるにもかかわらず

食い入るように見ていた。


「ちびちゃん・・・マヤ・・・」


真澄は、先ほど入って来た桜小路に対して怒ったのではなかった。

全く演技ができなくなっているマヤに、何もしてやれない自分に憤っていたのだった。

真澄は、そう思えば思うほど、やるせなくなり、怒りが顔に出てしまうのだった。



「なんて恐い表情を・・・」

水城は、あまりに真澄が怒りをあらわにしているので、帰社を促せなかった。



「マヤ、君は何がそんなに悲しいのだ・・・

演技のことなのか・・・

誰かのことなのか・・・

お母さんのことなのか・・・

君に何が起きているんだ・・・俺にできることはないのか!」

心の中で真澄は呟き、ドアに向かって駆け出した。


「駄目ですわ、真澄様!」

「水城君!・・・」

水城がドアの前に立ふさがった。

マヤの元へ行こうとする真澄を制したのだった。


「真澄さま、いくら何でも、婚約者のある、しかも大都芸能の社長がいけません!」

「・・・うっ!」


真澄は我に返り、金縛りにあったように凍りついた。


「・・・万が一録画でもされ、流出したら・・・写真を撮られたりしたら・・・

稽古スタジオでは危険すぎます。あなただけではなく、あの子が誹謗中傷されますのよ」


「・・・そうだな・・・すまない・・・」


真澄の表情は、怒りと使命感の表情から、見ている方が心配になるほど

悲しい沈んだ瞳へ豹変した・・・


しかし水城は、心を鬼にして追い討ちをかけた・・・

「真澄さま、韓国のサマソン社の方が先ほど抑えたホテルに到着しております・・・

これから明日の会議の準備をしませんと」


「・・・ああ・・・わかった」


真澄は、ゆっくりとモニターの電源をオフにした・・・








ACT2



マヤは麗の待つ白百合荘に帰宅していた。


「マヤ、食事の用意がまだなんだよ。先にお風呂に入っておいでよ」

「うん、麗、いつもごめんね。そうするね」


この1年は、いつもこんな感じだった。

月影が梅の谷で療養生活を送っているので、天蓋孤独のマヤを待っていてくれるのは、
いつも麗だった。

マヤは、麗がいろいろな事を手助けしてくれることに感謝していた。



マヤは奥のお風呂場で服を脱いだ。

すらりと伸びた脚。

この1年で背が少し伸びたようだった。

一見、華奢に見えるが、もう十分大人だった・・・

やがてマヤは、肩までお湯につかっていた。

そして、マヤは、お風呂場の壁を見つめ、稽古の時と同じ事を考え始めた。




先週、マヤの稽古場にやって来た紫織・・・

紫織はマヤに告げた。

”もう二人は他人ではないのですわ”

この言葉がマヤの頭の中でぐるぐる回っていた・・・



「紫織さんから、言われたこと・・・

別に婚約者なのだから・・・

私は関係ない・・・

諦めよう・・・

速水さんは、紫織さんと・・・

魂のかたわれ・・・」



マヤは深い沈黙に包まれた・・・


かなりの時間が経過した・・・


お風呂の温度はすっかり下がってしまった。


マヤはそんな事はどうでも良かった・・・




やがて、やっと、絞り出すように呟いた・・・・


「でも・・・でも・・・紫の薔薇の人・・・諦めるなんて・・・やっぱりできない・・・

ずっと前から、私がお芝居を始めたときから、私を応援してくれた・・・

くじけそうになった時、必ずあなたは私を支えてくれた・・・

若草物語でベスを演じたとき、初めて紫の薔薇を贈ってくれた・・・

ヘレンの時、別荘であなたに抱きしめられた・・・

パックの時、あなたに見てもらうために演じた・・・

アルディスで悩む私に素晴らしいプレゼントをしてくれた・・・

ジェーンの時、あなたが誰なのかやっと私は気づいた・・・

そして梅の里で雨宿りしたとき、はっきりと私は気がついた

紫の薔薇の人、あなたが好きだということを・・・

速水さん、私はあなたが好きです・・・

いえ、心から愛しています・・・速水さん!」


マヤはそう強く言ったが、瞳からは大粒の涙が落ちてきたのだった・・・


「・・・速水さん・・・一言だけ・・・

紫の薔薇は自分だと言ってください・・・

それだけで私は、女優として愛されたということを支えに

この先頑張っていけると思う・・・お願い・・・


でも、あなたは・・・言ってくれないような気がする・・・

速水さん、あなたは紫の薔薇と名乗れない理由があるのですね・・・

何か大きな理由が・・・

うっ・・うっ・・・

お願いです・・・言ってください・・・」

マヤは、本当に泣いてしまい、涙が止まらなくなってしまった・・・






「マヤ・・・」

麗は、なかなかマヤがお風呂から出てこないので、心配になっていた・・・

用意した食事はとっくに冷めてしまっていた。


「マヤ、また泣いているのかい・・・きっと、また速水真澄だね・・・」

麗は、マヤが悲しい心を隠して、笑って出てくるまで待っていた・・・








ACT3



大都芸能の会議室23時・・・

アジア進出プロジェクトを推し進めるため、明日のサマソン社との会合内容を協議していた。

発足時は乗り気でなかった真澄であるが、最近は陣頭指揮に立つようになった。

真澄は、1日2時間くらいしか寝ない日が、週に5日はあった。

その結果、通常1年かけて実行するプランを、半年で実現できそうなところまで来ていた。





水城は言い知れない不安を感じていた。

真澄が、直接陣頭指揮をとらなくても、部長やスタッフにやらせて問題ない業務まで精査し

全てを完璧にコントロールしているプロジェクトの進め方には、全く不安はなかった。

まるで時間と争うように、急ピッチで仕事を進める、真澄の緊迫感に不安を感じていたのだった。



”真澄様・・・

一体なぜ、このようなプロジェクトに・・・

まるで何かから追われているようですわ・・

紅天女試演の準備はどうするのですか・・・”



しかし、プロジェクトは水城のフォローも冴え、あとは配信システムをクリアできれば

韓国にも大都芸能のスターを送りこめるところまで来ていた。




プロジェクトメンバーと夜遅くまで続いた会議を終えた真澄と水城は、社長室に戻った。


「真澄さま、お疲れ様でした。あとは本番ですわね・・・ブルーマウンテンですわ・・・」

水城はデスクに座っている真澄の前にカップを置いた。


「・・・ああ、ありがとう・・・」

真澄はカップを右手で持ち上げた。


「・・・?」

真澄は、カップを持った手が震えている事に気がついた。

そして、視界が暗くなった。


”ガチャン”

真澄はカップを落としてしまい、そのまま目を手で覆った・・・


「・・真澄さま!」

「・・手が滑った・・大丈夫だ」

「わたくしが片付けますわ」

「すまない・・・」

水城は、手際よくデスクを掃除した。



真澄は明らかに無理がたたっていた。

しかし、真澄にはわかっていた・・・わざと無理をしていた事を・・・


”・・・忘れたい時があった・・・マヤ、君が悩む姿を想像したくなかった・・・”


その時だった、

”ビー”

突然、深夜だというのに真澄のデスクの電話が鳴った。


「はい、社長室水城です・・・はい・・・了解しました・・・」

「真澄様・・実は紫織さまがいらっしゃいました。・・・今夜はお引取り願いますか」


「・・・紫織さんが・・・こんな時間に・・・いや、通してくれ」

「・・・わかりました」

真澄は、直感的に、今日見たマヤの涙に、紫織の影を感じた。

しかし、婚約者である以上、会うしかなかった。




やがて、紫織が水城に案内されてきた。

「紫織様、真澄様、わたくしは本日は上がらせていただきます」

「ああ、お疲れさま・・・」

水城はそうは言ったものの、一瞬帰宅して大丈夫か躊躇したが

”二人とも大人ですものね・・・”

そう呟くと、社長室を出ていった・・・




「紫織さん・・・久しぶりだね・・・」

「ええ・・・」


一瞬、紫織は何かを思い出したようなで、顔を少しだけ赤らめた・・・


「・・・何か、用でも?」

「・・・嫌ですわ、そんな言い方・・・用がなくても毎日お会いしたいのですわ・・・」

「・・・・」



真澄は、最近紫織が変わったと感じていた。

以前と違い、自分の意志を持って行動しているように感じた。

また、そこに何か恐れを感じた。



「遠まわしな言い方は嫌われてしまうので、本当のことを言いますわ・・・

実は、報告したい事がひとつございますの」

「・・・報告?」

「はい・・・実は、北島さんと先週お会いしました。二人だけで・・・」

「・・・!」



真澄は激しい胸騒ぎと不安がよぎった。

だから聞きたくなかった。


「・・・話は今でなければ駄目なのですか?」

しかし紫織は、そのような真澄の抵抗など構わず続けた。


「真澄様には、何をお話ししたか伝えたいと思いますの・・・」

「・・・一体何を北島マヤに話したのですか」

「話した内容・・・それは、あの日あったこと・・・

わたくしたちは、もう他人ではない、というお話ですわ」

「何!」



真澄の顔色が、急に赤味を帯び、誰にも見せたことのない怒りに満ちた表情に変った。

そのあまりの急変ぶりに、紫織は思わず後ずさりしてしまった。

「・・君って人は・・・そんな嘘を・・・!」

「・・・真澄様、そんなに怒らないでください!どうしても」

”バシッ”

「うっ・・・・」

みるみる紫織の右の頬が赤くなっていた・・・

真澄が紫織の頬を張ったのだった。



真澄は、自分で自分に驚いていた。

思わず手が出てしまったのだった。

「・・・真澄様・・・あたしをぶつなんて・・・

なぜ言ってはいけないのです・・・私たちは婚約者でしょう?

やはり、今でもあの子を好きなのですね・・・

いえ、そんなものではありませんわ・・・

真澄さまは、北島マヤを愛しているのでしょう!」

紫織の瞳から涙がこぼれていた。

そして、本心を突かれた真澄は、思わず叫んだ。

「そうだ!ずっと・・・俺は・・・・」

そこで、真澄の声は途絶えた・・・


”そうだ、ずっと昔から・・・俺はあの子を愛している!”

そう言うところだった・・・

”今そんなことを言って紫織が逆上してしまったら・・・マヤを守らないといけない・・・”

一瞬で、マヤをこれ以上過酷な目にあわせたくないという思いが交錯した。



「・・・それは・・・あの子を好きとかではなく・・・まだ君とは・・・」

真澄は、明らかに本心とは違う言葉を発した・・・

「真澄様、紫織の気持ちをわかってください!こんなに愛していますのに・・・ひどい!」

頬を押さえながら、紫織は吐き捨てるように言った。

真澄は、何もできない自分への怒りを抑えながら、次々と複雑な思いが交錯していた・・・


マヤの母親を死なせたことを懺悔したい思い

マヤを心から愛している思い

マヤへの愛を隠さねばならない思い

紫の薔薇であることを隠さねばならない思い

紅天女に隠された本当の思い

復讐の魂の思い・・・



真澄はだんだんと精神的に追いつめられていた。

紫織が、真澄の顔色が、今度は青ざめてきた事に気が付いた。

その時、突然、激しい痛みが真澄の背中に走った。

「ぐっ・・・」

真澄は、あまりの痛さに目の前が霞んだ。

その直後、デスクのパソコンから、メール到着のお知らせが小さく聞こえた。

”トゥーン”

真澄は痛さをこらえながら、音のしたところを、ただ反射的に見た。

それは、大都芸能専属の芸能ニュースチェッカーだった。

『新着メール:明日の週刊誌情報:スクープ演技中に北島マヤは泣いていた』

「・・・マヤのスクープ!・・・うっ」

真澄は、更に背中の痛みが激しくなり、動悸が激しくなった。

「紫織さん、頼むから、もう・・これ以上・・・何もしないで・・くれ・・・」

やっと言葉を発すると、よろめいた。

「何が・・・仕事の鬼だ・・・ひとりの女性さえ守れないとは・・・」

そう言うと、右膝が床に着いた・・・

「・・・真澄・・・様?」

”ドサッ”

「真澄様!」

真澄はついに倒れてしまったのだった・・・








ACT4



真澄は夢を見ていた・・・


咲き乱れる梅の花・・・


その梅の谷を一人歩く自分がいた・・・



「あれは・・・」

遠くに一際大きな梅の木が見えた。

少し歩くと、その下に人影が浮かんできた・・・・

「マヤ・・・」


やがて、マヤの横に男性らしい人影も見えてきた。

ただし相手の顔はぼやけて見えない・・・

「・・・!」

マヤはウェディングドレスを着ていた・・・

「マヤ!」

真澄は思わず叫んだ。

しかし、マヤは動かない・・・

やがて、男の腕をとり、もたれかけた。

「・・・!」

真澄は、マヤがいなくなる不安を感じた。



次の瞬間、突風が谷に吹き込んだ・・・

梅の花が散る・・・・

そして、花とともに、マヤと男の影もいつの間にか消え、谷が暗くなっていった。

「・・・マヤ、どこへいったのだ・・・」

そう真澄は呟いたとたん、視界にまばゆい光が差し込み、やがて、数人の人影が見えてきた・・・





「・・・お義父さん・・・」

「おお、気がついたか、真澄」

「真澄様!」

「もう大丈夫ですね、このまま眠った方がいいでしょう。点滴に麻酔が含まれていますので

ゆっくり休んでもらいましょう。」

そう医師はいうと、真澄の腕に刺さっている点滴針をテーピングした。

この医師は、真澄が倒れたあと、大都芸能専属の大学病院から呼び出されたのだった。

芸能プロ関係としては、救急車を好まないからだ。

その結果、真澄は、思ったほど深刻な事態ではない事がわかり、速水邸に搬送されてきた・・・

真澄が速水邸の自分の部屋に戻るのは久しぶりだった。



「先生、真澄はどこが悪いのだね」

速水英介は医師に尋ねた。

「激しい過労と精神的なストレス、軽い過換気症候群でしょう。かなり体力が消耗しています。

2、3日念の為休養させてください。明日安定剤など処方しましょう。」

「・・・うむ。社長に紅天女にアジアプロジェクト・・・確かに重責かもしれんな」

英介はそう呟くと、今度は紫織に声をかけた。


「紫織さん、あとは大丈夫だ。もうすぐ朝になってしまうな・・・」

「わかりましたわ・・・また来ます。」

「うむ・・・送らせよう」

英介は運転手に紫織を送らせた。



真澄は深い眠りに落ちていた。

部屋には、真澄と英介だけになった。

車椅子の英介は、寝息を立てる真澄を見つめた・・・


「過労と精神的なストレス・・・本当にそれだけか、真澄・・・

わしにはわかるぞ・・・いつぞや、わしが北島マヤを潰せと言った時から

お前はおかしくなった・・・北島マヤを徹底的に無視するような態度だったな。

そのくらいわかるぞ・・・まるで仮面をつけたようだ。

お前に会社の全てを徹底的に教えたわしだからな・・・

紫織さんと、いつまでたっても一緒にならん理由・・・

それは北島マヤだな、真澄・・・」


そう呟く英介は、驚くべきことに、優しい表情を浮かべたのだった・・・


「・・・真澄・・・お前はわしに隠していることがあるのもわかっておる・・・

お前は母の復讐をするつもりであろう・・・

わしは、もうそれ程先は長くないだろう・・・

もう少し待て、真澄・・・


わしは、どうしても紅天女を復活させたいのだ。

それさえ成し遂げれば、お前の好きなようにするが良い。

わしは、月影千草と、お前の母に大きな負い目があるのだ・・・」



英介はしばらくうなだれた。

しかし、すぐにいつもの眼光が戻ってきた。

そして、部屋を出ていった。








ACT5



夜が明けた。

真澄は久しぶりに、マヤのことを考えずにぐっすり眠っていた。

目が覚めたとき、もう時刻は昼近くだった。

”ああ、俺は倒れてしまったのか・・・”


初夏を思わせるような春の暖かい日差しと涼しげな風が部屋に吹いた。

そして、1枚の花びらが真澄の前に舞い落ちた。

「・・・」

梅の花びらに見えた。

次の瞬間、昨晩見た梅の谷の夢が真澄の脳裏にまざまざと甦った。

ウェディング姿のマヤ・・・



「・・・このままでは、本当に気がおかしくなってしまう・・・」

真澄は思わず嘆いた・・・

「あの暗い海・・・俺は、もう誰も愛せない心になってしまった・・・

あの紅天女の打ち掛け・・・俺は、母の復讐のために今まで生きてきた・・・

それが、君の瞳のまたたきで、全ては変わってしまった・・・


君といる時は、昔の自分に戻ったようだった。懐かしい気持ちになれた・・・

君と喧嘩をしている時、なぜか幸せを感じた・・・

紫の薔薇として動くとき、本当に嬉しかった・・・


それが・・・紅天女・・・

俺も、君も、この紅天女を目前にして何かが変わってしまった・・・

俺は、君への思いを隠して生きる事が、もう難しくなってきた・・・

君は俺にとって、あまりに大きな存在になってしまった・・・

せめて、紅天女の事は忘れて、もう一度君と一緒に歩きたい・・・

それだけでも、叶えてくれないか・・・

そうすれば、その思い出を糧にして

偽りの人生を生きていけるだろう・・・

そして、君の涙の理由を聞きたい・・・」



真澄はベッドから降りると、自分の書斎に歩いた。

そして、電話に近づき、受話器をとると、電話をかけた・・・・



「・・・はい・・・」

「・・・俺だ・・・速水だ・・・」

「真澄様!」

「聖・・・3ケ月振りだな・・・」

「真澄様、お聞きしました。無理をなさらない方が・・・」

「早いな、君は・・・いや、駄目だ、急ぎの件だ。頼めるか?」

「勿論でございます、真澄様」

「ありがとう・・・では、至急ある人に直接連絡をしたい。誰にもわからないように・・・」

「わかりました。」


真澄は、その人を聖に告げた。

「・・・真澄様・・・!一体何を・・・まさか・・・」

「・・・紫の薔薇の最後かもしれない・・・頼んだぞ・・・」

そう言った真澄は、電話を切ると、窓から遠くを見つめた。

その真澄の瞳には、目に見えるものは映っていなかった・・・




真澄の瞳には、マヤのまなざしが映っていた・・・

マヤが優しく微笑んでいるのが見えていた・・・

そして、マヤが話しかけて来た・・・

「・・・おまえさま・・・」

真澄もかすかに微笑んだ・・・


「幸せな幻・・・マヤ・・・俺は・・・本当の君に会いたい・・・」

真澄はそう呟くと、ゆっくりと瞳を閉じたのだった・・・
















続く









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