「う・・・また失敗しちゃった〜」 マヤは台所のあちらこちらに散乱している、チョコレートの残骸を呆然と見つめる。 「うわっ、何やってるんだい!?台所がエライ事になっているじゃないか!?」 「う、うん・・・・・・ちょっと、チョコを。・・・ゲホゲホ」 稽古から帰ってきたばかりの麗は、慌ててガスの火を止め、換気扇を回す。 「まったく・・・ガスぐらい止めなよ。アンタねえ、ここに住んでるのは、私達だけじゃないって事をちゃんと分かってるのかい?部屋が爆発したらどうするんだよ!?」 「うっ・・・・・・そこまで言わなくても・・・」 「大体、手作りチョコを作るのに、何でこんな惨状になってしまうのかねえ・・・ただチョコを湯煎で溶かすだけだっていうのに・・・」 麗が周りを見渡すと、台所は見事にチョコまみれになっていた。 どういうやり方をすれば、台所がこんな状態になってしまうのだろうか。頭を抱えながら、マヤと二人で一生懸命、台所を片付けていく。 「まったく・・・台所を、チョコでデコレーションしてどうするんだい?」 麗がボヤきたくなるのも無理はない。ここ毎日、マヤはずっとこんな調子なのだ。 あまりの不器用なマヤの手付きに、麗は何度も手伝おうとしたが、マヤは『自分一人で作りたいの!』と頑として譲らず、結局、何個も鍋に穴が空く事態に陥っている。このままでは、家計の危機になりかねない。 「まあ、誰にあげたいのかは、あえて聞かないけどさ・・・チョコを作るのだけはやめておきな。アンタの不器用さじゃ、まともに出来上がるかどうかもアヤしいもんだ。正直、いちいち片付けに付き合わされる、私の身にもなって欲しいよ」 「やっぱり・・・バレンタインまでには・・・無理かなあ・・・」 「まあ、やめた方が賢明だとは思うね。別に手作りに拘らなくてもいいんじゃないのかい?やっぱりこういうのは、あげる事に意味があるんだからさ」 「普通の市販の物じゃ、心が篭っていないような気がするんだもん・・・・・・それに」 「それに・・・?」 「ううん、何でもない。ごめんね」 バレンタイン前日の13日、丁度オフだったマヤはため息を付きながら、冷たい木枯らしが吹く、繁華街の中を歩いていた。 「やっぱり明日は特別な日だもの。迷惑かもしれないけど、こんなきっかけでもないと、気持ちが伝えられないもん。・・・結果は分かってるけど、やっぱり行動してから、後悔する方がいいもんね」 マヤは取り合えず、百貨店の中に入っていく。バレンタインはもう明日に迫っている。手作りは諦めて、市販のチョコを買う事にしたのだ。 売り場の中に入ると、バレンタイン商戦、真っ只中だけあって、大きな専用コーナーがあちこちに設けてあった。 群がるようにチョコを選ぶ大勢の女性達の中に入っていき、宝石のように並べられているチョコを一つ一つ選んでいく。 高級な生チョコ、トリュフ、有名パティシエの手作りチョコ・・・ 「ウィスキーボンボンか・・・ブランデーボンボンもあるけど・・・こういう物の方がいいのかな?でも、速水さんって、高級なお酒を飲んでいるイメージがあるし」 マヤは様々なチョコを手にとっていくが、どれもピンとこない。 そもそも、あの際立ったルックス、しかも社長という地位に付いている真澄は、毎年、沢山女性達からチョコを貰う事だろう。ありきたりなチョコを贈った所で、そのまま人に渡されてしまうか、悪くて捨てられてしまいそうな気がする。 いや、そもそも自分からのチョコなんて、受け取ってもらえるかどうか・・・ 「マヤちゃん?」 聞き覚えがある声に振り向くと、マヤの後ろに、紙袋を持った水城が立っていた。 「水城さん?え、何で・・・・・・」 「久しぶりね、マヤちゃん。ふふ、バレンタインのお買い物かしら?」 「え・・・あ、その・・・えっ、えっと水城さんこそ、まさかチョコを?」 「違うわよ。昼休みを利用して、ここに買い物に来たのよ。・・・そうだわ、一緒に昼食でもどう?」 「え・・・でも」 「無事、「紅天女」を勝ち取ったお祝いも兼ねて、私が奢るわよ。今日はオフなんでしょう?この後、予定でもあるのなら別だけど」 マヤはふと、水城ならもしかして、真澄の好みのチョコが分かるかもしれないと思い、誘いに応じる事にした。 「へえ、綺麗な店ですよね。いつもここで昼食をしているんですか?」 マヤと水城は、百貨店の最上階にある、レストランフロアに移動していた。フロアの奥まった場所に、イタリアン専門のレストランがある。 レストランの中に入ると、淡い色調で纏められた上品な空間がマヤの目に入った。お昼時だけあって、かなりの客が入っているようだ。 「いつもは大都の食堂よ。まあ、ここの百貨店は結構利用しているから、お昼時に来た時には、いつもここで済ませるんだけど」 水城とマヤは奥の空いてるテーブルに落ち着き、料理を注文する。水城と会うのも久しぶりだったので、食事をしながら、マヤはお互いの近況を楽しく話し合っていた。 マヤは、魚介類のクリームパスタを頬張りながら、水城を上目使いに見上げる。何と言って話を切り出そうか、少し迷っていた。 「・・・・・・何か、私に聞きたい事でもあるのかしら?」 「むぐっ・・・・・・い、いえ・・・その・・・な、何で??」 「ふふ、正直よね、貴方。すぐ顔に出るんですもの。真澄様にまた何か意地悪な事でもされたのかしら?」 「い、いえ・・・そんな事は・・・あ、あのう・・・バレンタインの事で、相談に乗って欲しいんですけど・・・」 水城は興味深い様子で、真っ赤になったマヤを見つめる。 「あら、誰にチョコを?」 「い、いえ・・・それは内緒です。実は手作りが無理そうなんで、市販のものを色々見ていたんですけど・・・どれもしっくりこなくて・・・その、沢山貰っている人には、ありきたりなチョコをあげたとしても、きっと目立たないっていうか・・・食べてもらえるかどうか・・・」 「それは、女の子に随分人気がある人に、あげたいという事なのかしら?」 「た、例えば・・・本当に例えばですよ?速水さんなんかはどうですか?・・・やっぱり社長さんだし、沢山会社の人から貰ってそうですし、紫織さんだっているし・・・その・・・」 しどろもどろになりながら、一生懸命説明するマヤに、水城は笑いがこみ上げてくるのを抑えられない。 「紅天女」の試演の時、舞台の上から切なく真澄を見つめるマヤの姿を見て、初めて、マヤの気持ちに気がついた水城だったが、こうも、あからさまに探りを入れてくるとは思わなかった。 「確かに・・・真澄さまはチョコを食べないわね。紫織様と婚約前は、かなり会社からも、外からも貰っていたみたいだけど・・・その時だって全部、見もしないで、私達、秘書課に処分を任せていたぐらいだし・・・」 「や、やっぱりそうですよね・・・冷血そうですもんね・・・ほんと・・・」 想像通りの答えに、どんどん気持ちがヘコんでいくマヤ。 やっぱりチョコをあげても、他の物と一緒に捨てられる確率は高そうだ。特に紫織という婚約者が居る今では、なおさら・・・。 (本当に分かり易い子・・・) 流石に、目に見えて落ち込んでいるマヤを可哀想に思い、水城はさりげなく、助け船を出す事にする。 「・・・・・・真澄様に、あげたいと思っているの?」 「い、いえっ!例えばの話です!そもそも、婚約者が居る人にあげられる訳ないじゃないですか!?紫織さんにだって悪いし・・・」 「別に、そんなに堅く考える事はないでしょう?例え義理チョコでも、真澄さまは喜ぶと思うわよ。貴方は、大都にとって大切な女優なんだし」 水城の言葉に、マヤは表情を曇らせる。 「・・・義理チョコじゃ・・・意味がないんです(ボソッ)」 「え?」 「ごめんなさい、変な事聞いてしまって・・・・・・あ、もうこんな時間ですね。ご馳走様でした。私、帰りますね」 何となく、気まずい雰囲気になってしまい、慌ててマヤは席を立つ。水城はそんなマヤを見ながら、何やら考え込んでいた。 「どうしても、良いチョコが見つからないのなら、別の物を探してはどうかしら?」 「別の物?」 「ええ、海外ではチョコだけではなく、花なんかを贈る習慣もあるみたいだし、最近じゃ、チョコが苦手な人の為に、ネクタイやライターなんかの、バレンタイン用の備品を売っている売り場もあるみたいだから」 「花・・・それにネクタイや、ライターですか?」 「でも、一番大事なのは、チョコやプレゼントではなく、マヤちゃんの心を贈り物に託す事だと思うの。本命の人にプレゼントしたいのでしょう?なら、ちゃんとマヤちゃんと、その人に相応しい物が見つかるはずよ」 水城は伝票を手に取ると、仕事に戻らないといけないからと、そのままマヤを残して、店を出て行ってしまった。 水城の言葉を反芻するように、マヤはしばらく考えていたが、やがてハッと思いつき、慌ててチョコ売り場の方に逆戻りする。 「そうよ、私の気持ちに整理を付ける為にも、コレが一番いいのかも」 マヤは先ほど目を留めた、「あるチョコ」とラッピング一式を買って、急いで百貨店を出て、アパ−トに帰る事にした。 そして、2月14日。バレンタイン当日の大都芸能・・・・・・。 「今年のバレンタインは、随分静かな事ですわね。例年なら、取引先や社内から、山のようにチョコが社長室に届けられて、秘書課では毎年、悲鳴を上げていたものですけど」 水城はいつものブルーマウンテンを上司に渡すため、社長室を訪れていた。相変わらず、仕事熱心な上司は、脇目もふらずに、書類と格闘を続けている。 「静かで結構な事じゃないか。毎年、この日になる度に、騒がしくて仕方がなかった。お陰で、仕事の能率が随分落ちていたからな」 「今は紫織様との結婚が、秒読みだからでしょう?皆、贈っても無駄だと理解しているのですわ。今日、仕事の能率が上がったというのなら、紫織様に感謝しなくてはいけませんわね」 上司――速水真澄は、水城の言葉に忌々しげに反応し、書類から顔を上げる。 「・・・それは、嫌味のつもりなのか?」 「嫌味の一つも言いたくなりますわ。チョコの処理に追われなくなったのは、ありがたいことですけど、余計な仕事がその分増えていますもの」 水城の言いたい事が分かったのか、真澄は気まずい表情を浮かべ、無言で煙草を噴かしていた。 「昨日も紫織様がアポイント無しで、ここに来ましたのよ。真澄様の婚約者ですから、無下にもできませんし、最近は連日ですもの。真澄様がお避けになっているせいで、どれだけ私達が迷惑を被っているか、分かっているんですの?」 「・・・君には、迷惑をかけてすまないと思っている。だが、今はあの人と冷静に話せる自信がない・・・怖いのかもしれないな。あの人と向き合うのが・・・」 「・・・前に見た、手首の傷のせいですの?」 水城はため息を付き、以前、病院で見た、紫織の手首の包帯の事を思い出す。はっきりと、真澄から事情を聞いた訳ではないが、何となく前後の状況から、二人の間に何があったのかは想像できる。 そこまでして、紫織は真澄の心を繋ぎ止めたいのだろうか。そんな不毛な関係が長く続くはずもないというのに・・・。 「全て俺の責任だ。だが、いくらそう思っていても、どうしても俺の心は、俺自身を裏切ってしまうらしい・・・・・・」 「本当に不器用な方ですこと。真澄様は、ご自分の心に嘘を付きすぎですわ。だからこそ、周りもその嘘に引きずられ、事態がますますおかしくなってしまうのです。紫のバラの事もそうです。・・・昨日マヤちゃんに会いましたわよ。バレンタインの相談をされました」 「・・・あの子が?」 「話を聞く限りでは、間違いなく本命の人が居るようですわね」 「・・・・・・紫のバラの人か?」 「いいえ、女性に人気がある人だと言っていましたわ。具体的に、誰かを指しているような言い方でしたわね」 水城の言葉に、真澄は飲んでいたブルーマウンテンを思わず噴いてしまった。咳き込む上司を尻目に、水城は更に、追い討ちをかけていく。 「ふふ、桜小路くんか、それともマヤちゃんの近くに居る、芸能人かもしれませんわね。幻のような紫のバラの人よりは、いつも身近に居る男性に惹かれるのは、当然の心理ですわ。あの子も、もう大人ですもの。幻だけで人生、生きていけませんものね」 「・・・まったく・・・本当に、君の言葉は強烈だな」 その時、社長室の内線が鳴り響いた。 「少し失礼します・・・・・・はい、水城ですが・・・はい、少々お待ちください。社長、噂をすれば・・・ですわ。紫織様が来られたそうです。どういたします?」 「・・・会おう。通してくれ」 「・・・分かりました。一度、ごゆっくり、話し合う事も必要だと思います。真澄様が恐れる気持ちも分かりますが・・・これ以上、嘘を重ねていては、空回りするだけですわ。もう一度だけ、自分に正直になる勇気をお持ち下さい」 やがて、高価な毛皮のコートを纏った紫織が、社長室に現れた。 二人の間に、僅かな緊張が走るのを感じながらも、水城はお茶の用意をする為、秘書室の方へと向かっていく。 「・・・お久しぶりですわね、真澄様。相変わらず、お仕事が忙しそうなのですね」 「ええ、この時期は色々と。いずれ、時間を取りたいとは思っているのですが」 我ながら、白々しい言い方だと思うが、どうしても、口調が頑なになってしまう。あの伊豆の別荘で対峙した時以来、紫織との関係は、徐々に冷え切った物に変わっていった。 気持ちがすれ違い、お互いを傷つけるだけの日々・・・。 マヤの紅天女の試演を見た後は、マヤへの想いがどうしても押さえられず、紫織と会う事が苦痛になり、最近はずっと会うのを避け続けていた。 紫織もそんな真澄の気持ちに、おそらく気付いているだろう。 「でもいくら忙しくても、今日は何の日か、ご存知でいらっしゃいますわよね?それなのに、いつも・・・いえ、今日という日にも、お電話一つ頂けないなんて・・・」 「ええ・・・本当に申し訳なく思っています」 紫織はため息を一つ付くと、持っていた大きな紙袋を真澄に差し出した。 「私、結婚に備えて、ずっと料理教室に通っていましたの。ぜひ、今日は手作りのチョコレートケーキを召し上がって頂きたくて・・・想いを込めて創りましたのよ。受け取って下さいますわよね?・・・今日はこれをお渡ししたら、すぐに帰るつもりですから」 真澄は受け取るべきか、しばらく迷っていたが、結局、紙袋を受け取るべく、手を差し伸べた。 「・・・ええ、ありがとうございます。喜んで」 「全部、召し上がって頂けます?」 「ええ、それは勿論・・・」 「・・・・・・嘘」 「え?」 「真澄様は確か、甘い物はお嫌いなのでしょう?こんな大きなケーキを全部食べられるはずないじゃないですか」 「・・・・・・紫織さん?」 いつもと違う挑発的な紫織の言い方に違和感を感じ、不審そうに真澄は問いかける。紫織は無表情に、じっと自分が持つ紙袋を見つめていた。 「以前、秘書室の前で、秘書の女性達が話しているのを聞きましたのよ。真澄さまは甘い物が苦手だから、いつも貰ったチョコレートを、秘書の方達に処分してもらっていると・・・」 「・・・・・・・・・」 「私は・・・私は貴方の婚約者ですわよね?なぜ、その私が貴方の好みを知らなかったのでしょう?・・・なぜ、なぜ貴方は、私にこんな簡単な事すら、教えてくれなかったのでしょう?・・・最近では、すれ違ってばかりの冷たい関係・・・本当に私達って何なのでしょうね?」 紙袋を抱えたまま、紫織は肩を震わせて泣き始める。いつもと違う紫織の様子に真澄は混乱し、どうしたらいいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。 お茶を運ぼうとしていた水城は、かすかに社長室の方から聞こえる泣き声を耳にし、ドアの前で足を止める。 流石に聞き耳を立てる程、無粋ではないが、紫織の泣き声だと直感し、しばらく社長室に誰も近づけないほうが良いと判断する。 「あのう・・・水城さん?」 秘書室に詰めていた、新人秘書が水城の背中に問いかけた。 「何かしら、社長に用事なの?」 「いえ、あの北島さんが下に来ているようなんですけど・・・社長にお会いしたいそうなんです。来客中だとお断りしたんですけど・・・それなら水城さんに連絡して欲しいと。秘書室にお通ししますか?」 「いいえ、ロビーで待たして頂戴。私が直接行くわ」 マヤがここに来た目的は察しが付いていたが、今はタイミングが悪すぎる。心の中で舌打ちしながらも、水城は急いでエレベーターに乗り込んだ。 大都芸能のロビーは、今日も大勢の社員や、芸能関係者が行き交っている。マヤは所在なげに、ポツンと受付の端の方で、水城を待っていた。 真澄が今忙しい事は知っていたので、会えない時は水城に会って、今日の真澄の予定を聞いておきたかったのだ。 「今日もまた、紫織様がいらしてたわよ。ここの所、連日よね〜」 「仕方ないわよ。社長、最近、前にもましてお忙しそうだから。直接ここでデートしないと仕方ないんじゃない?もう結婚式も間近だし・・・」 マヤの耳に、受付の女子社員達の会話が耳に入ってくる。マヤは思わず聞き耳を立ててしまった。 「今日は特別な日ですものね・・・私、紫織様が大きな紙袋を持っているのを見ちゃった。アレ、絶対社長へのチョコレ−トよ。きっと豪華なんでしょうね」 「なるほど〜今、社長室で熱〜いデートの真っ最中ってわけか・・・。きゃははは、今頃、紫織様ごと食べてたりしてね〜。」 「やだやだ、神聖な会社の中でねぇ。まあ、あたしらに取っては、萌えるシチュだとは思うけど・・・でもでも、冷静な社長が、そんな事するなんて想像つかないって、ふふふふ」 「まあ、会社の中では無理でも、外でのデートの時は当然・・・ねえ」 「きゃはははは・・・やっぱり想像つかないって」 マヤはたまらず、大都のロビーを飛び出す。水城が下に降りてきた時には、マヤの姿は何所にも見当たらなかった。 「真澄様・・・正直にお答えになって・・・紫織の事が好きですか?」 「・・・貴方を嫌う人などいないでしょう・・・貴方は非の打ち所のない、素晴らしい人だと思っています」 「・・・それでは、答えになっていませんわ。もしかして・・・恐れていらっしゃるの?私が今、社長室の窓から飛び降りるかもしれないと」 「・・・!!!」 真澄は息を呑んで、紫織を見る。 まさに紫織の言う通りだった。真澄の脳裏に、再び伊豆の別荘で対峙した時の記憶が蘇る。散々彼女を傷つけ、自分のせいで、そこまで追い詰めてしまった紫織への罪悪感・・・その想いがある故に、心を殺して、紫織の想いに答えようと努力してきた。 「・・・正直ですのね。貴方は口ではいくらでも酷い嘘が付けますけど、態度は単純なぐらい正直ですのね」 「・・・・・・・・・」 「ずっと、貴方は私に酷い嘘ばかり付いていましたわね・・・私はそんな貴方に、いつも違和感を感じていましたけど、貴方を愛していたからこそ、貴方の言葉を信じようと思いましたわ。でも結局、貴方が私に正直なって下さった時は、あの日・・・婚約解消を貴方が持ち出した時だけ・・・違いまして?」 「・・・・・・・・・」 「あの後の事は、私も随分取り乱して、色々酷い事をしたと後悔していますけど、そのせいで、貴方はますます私に対して、心を閉ざすようになってしまわれた。今もですわ、こんなに近くにいるのに、まるで遠い人と話をしているよう・・・」 「・・・紫織さん・・・僕は」 「もういいのです・・・正直、私、疲れてしまいましたわ。真澄様も・・・でしょう?お優しい方ですから、決して口には出しませんけど・・・分かるのです。以前の私は、ずっとそれに気づかないふりをしていました。でも、認めてしまったら・・・意外なほど、穏やかになれましたの。私・・・ずっと無理をしていましたのね」 紫織は紙袋を応接のテーブルに置き、そのまま出口に向かう。 「自分に正直になるきっかけを与えてくれたのは、あの子の紅天女の舞台ですわ。あのような素晴らしい舞台を見る事が出来て感謝しています・・・祖父の言った通り、本当に奇跡のような舞台でした・・・ありがとうございます」 「紫織さん!!」 「・・・さようなら、真澄様」 それは事実上の別れの言葉。真澄が引き止める間もなく、紫織は早足で社長室を出て行ってしまった。 「紫織様・・・?もうお帰りですか?」 水城が再び、社長室の前まで戻ってくると、ちょうど、紫織がドアから出てきた所だった。涙の跡はあったが、どことなく、紫織の表情は晴れ晴れとしている。 「ええ、もうここへは来る事はないでしょう。実は今日はケーキを作ってきましたの。真澄様にお預けしてありますから、秘書の方達で召し上がって下さいな。今まで水城さんにも、色々ご迷惑をかけてしまいましたし」 「・・・紫織様?」 紫織は悲しげに微笑み、社長室を一瞥すると、そのままエレベ−ターに乗って去っていった。 「・・・・・・真澄様?」 水城が社長室に入った時、真澄は応接のソファーに腰掛け、ぼんやりと虚空を眺めていた。 結局、散々傷つけあったあげく引導を渡され、こんな結末を迎えてしまった。自業自得とは言え、あの人に何も報いる事が出来なかった、不甲斐無い自分に、つくづく嫌気がさす。 マヤへの想いを貫き通す事も出来ず、紫織への想いに答える事も出来ず・・・自分は本当に何をやっているのだろうか。 「先ほど、紫織さまにお会いしましたわ。どのような話し合いをされたのかは分かりませんけど・・・大都の社員としては、あまり望ましくない結果になってしまったようですわね」 「話し合いというほど、俺はあの人と積極的に話した訳ではないよ・・・色々あったが・・・やっぱり、あの人は非の打ち所の無い、聡明な人だったという事だ。俺のような、馬鹿な男には本当に勿体無い・・・」 「自嘲なさるのも結構ですけど、正直そんなヒマはありませんわよ。これからの鷹通との関係に、大きくヒビが入るのは避けられませんでしょうし、最悪の場合、提携話が白紙になる事も考えられます。すぐにでも対策を打たなければ、大都の従業員を路頭に迷わす事になりますわ」 水城の言葉に、真澄は思わず苦笑してしまう。 「・・・・・・確かに社員達が困るな」 「まるで、真澄様はまったく困らないと言う言い方ですわね。社長である以上、最低限の責任は取って頂きますわよ」 「君の方が、よっぽど俺より社長にふさわしいよ」 「ご冗談を・・・それより、先ほどマヤちゃんが、社長に会いに来ていたようですわ」 ぼんやりと、応接のソファに座り込んでいた真澄は、マヤの名を聞き、初めて水城の方に顔を向ける。 「・・・あの子が?なぜ?」 「さあ・・・なぜだと思います?案外チョコを渡しにきたのかもしれませんわね」 真澄は一瞬、はっとしたような顔をするが、やがて頭を振って立ち上がり、デスクの方へと歩いていく。 「・・・まさか。例えそうだとしても、義理だろう」 「そうかもしれませんし、そうでないかもしれませんわ。先ほど紫織さまがいらしていた時だったので、私が直接会いにいったのですけど、マヤちゃん帰ってしまったようで・・・」 「・・・そうか」 「一応、伝えましたわよ。気になるのなら、直接確かめてみてはいかがですか?・・・これ以上、自分の心に嘘を付かずに、正直になるべきです。」 水城は意味ありげに真澄を一瞥すると、社長室をそのまま退出する。 ―――それにしても、本当に歯がゆいカップルだわ・・・と思いながら。 「・・・自分の心に正直に・・・か。もう一度・・・もう一度だけ、あの子に・・・」 マヤは夜の繁華街をトボトボと歩いていた。 結局、いたたまれずに、あのまま大都芸能を飛び出し、夜の街を当てもなく彷徨っていた。 「はあ・・・何やってんだろう・・・私。これじゃ、あの婚約パーティの時と同じじゃない」 マヤの脳裏に、一大決心をして真澄に会いにいった時、婚約パーティの華やかな二人の姿に打ちのめされ、逃げるように去っていった時の事が思い出される。それ以来、ずっとマヤは、真澄への苦しい想いを引きずり続けていた。 紅天女を勝ち取った事で、少し自分に自信が持てたマヤは、もう一度勇気を出して、自分の想いを真澄に伝えようと決心していた。 丁度、バレンタインデーの時期だった事もあり、良い機会だと思ったのだ。 「決めたんじゃない・・・結果がどうなろうと、自分の想いに決着を付けるって・・・決心して、麗にまで手伝ってもらったのに・・・」 マヤは駅前のベンチに座り込み、ぼんやりと人の波を見つめる。小さな紙袋には、昨夜徹夜で、自分の想いを託したチョコレートが入っていた。 駅前の時計は、もう午後8時を指していた。 「8時・・・もうすぐ、バレンタインも終わり・・・。また、ずっと引きずっていくの?こんな想いを・・・」 マヤはベンチをすっくと立ち上がると、元来た道を駆け戻り、一路大都芸能に向かう。バレンタインが終われば、自分の勇気がまた萎んでいくような気がする。どうしても、今日の日に真澄に渡したい。 一心不乱に走り、ようやく大都芸能の玄関口にたどり着く。うまく行けば、退社する真澄を捕まえられるかもしれない。 社内はまだ明かりが付いていたが、流石に中の方には人影は見当たらなかった。 「こんな時間じゃ、速水さん帰ってるかも・・・水城さんも・・・」 マヤが玄関をうろうろしていると、丁度、近くを守衛が通りかかった。 玄関から中の様子を伺っているマヤに、守衛は不審な目を向けるが、守衛の冷たい視線を気にしつつも、マヤは真澄が会社に居るかどうか訊いてみる事にする。 すると、つい先ほど退社した所らしい。 「行き違いか・・・どこまで、ついてないんだろう・・・」 一方、真澄の方は、会社を退社してそのまま、マヤのアパートまで車を走らせていた。アパートの近くで、車を止め、マヤの部屋の窓を見上げる。 「・・・・・・?明かりが付いていない?・・・まだ、戻っていないのか?」 水城の言葉に動かされたように、ついここまで来てしまったが、いざとなればアパートの中に入る事も出来ず、そのまま、立ち尽くしてしまった。 「何所に行ってるんだ・・・こんなに遅くまで・・・」 煙草をふかしながら、しばらく待つが、マヤは戻ってくる気配はない。考えてみれば、今日はバレンタインデーだ。もしかすると、本命の彼氏の元にチョコを渡しに行っているのかもしれない。マヤが今日、自分に会いにきたと聞いて、つい期待してしまったが・・・。 そこまで考えて、真澄は桜小路の姿を想像する。 もしかすると、あいつにチョコを渡しにいったのだろうか?・・・そして、そのままあいつの元に・・・。 「・・・くそっ!」 真澄は苛立ちまぎれに、傍の電柱に拳をぶつける。 考えてみれば、今日、紫織に別れを告げられたとはいえ、世間では、まだ自分と紫織は婚約者同士だと思われているのだ。もうすぐ結婚する男に、チョコを渡しにくる訳がない。 「・・・戻るか」 絶望感を味わいながらも、のろのろと車を走らせ、帰宅する事にする。・・・全ては遅かったのだろうか。もっと自分の心に、正直になっていれば・・・。 ・・・いや、機会など今までたくさんあったはずなのに、それを全部無視してきたのは、自分自身だ。 「・・・自業自得か。そうだな・・・俺なんかが、幸せになっていいはずがない・・・」 マヤの事だけではなく、今まで会社の利益の為に、どれだけの人間の心を踏みにじってきたか分からない。報いだと思えば諦めも付く。 やがて車の前に速水邸が見えてきた。家に戻れば義父が居る。本来なら、紫織との事を一番に報告しなければならないが・・・。報告すれば、必ず一悶着あるだろう。正直、今日は義父を相手にする気力はない。今夜は誰にも会わずに、酒を煽って眠ってしまいたかった。 憂鬱な気分で車を走らせていると、速水邸の門の前に、ライトに照らされた小さな人影が見えた。 「・・・!?」 マヤは速水邸の前にぽつんと立っていた。 結局諦めきれずに、大都芸能を出てから、そのまま真澄の家まで押しかけてしまった。夜もかなり更けているので、門の向こうには誰の姿も見当たらない。微かに、館のあちこちに電気が付いているので、使用人達はまだ寝静まっていないとは思うが・・・流石にこんな時間に訪ねるのは非常識な気がして、マヤは逡巡していた。 立派な門構えに、セキリュティの一環である監視カメラが門の両端に付いている。勢いこんで来てはみたものの、いざとなると、圧倒されて呼び鈴を押す勇気が出てこない。 「速水さんが帰っているかどうかも分からないし・・・どうしよう。もしかしたら、今、紫織さんと過ごしているのかも・・・」 マヤはなかなか門に近寄ることが出来ず、側の塀を行ったり来たりしながら、何十分も門の向こうを眺める。 「完全に、私って不審者だよね・・・監視カメラに写ってたりして・・・もしかして通報されている・・・なんて・・・ね」 次々と暗い考えに陥りながらも、それでも帰る気になれずに、未練がましく門の向こうを見つめる。 その時、後ろの方から、車のエンジン音が聞こえた気がして、マヤは慌てて振り向いた。 「・・・!?」 振り向いた瞬間、眩しいライトの光が、マヤの身体を突き刺すように照らされた。 思わず目を腕で庇うマヤだったが、強い光の中、微かに足音がマヤの向こうから聞こえてくる。 「チビちゃん・・・?」 「は、速水さん・・・!?」 真澄は信じられないという顔をして、静かにマヤの方に近づいてくる。マヤの前まで来ると、思わず見惚れてしまうような、優しい笑みを浮かべた 「・・・俺の家の前で、何をやっているんだ、君は。爆弾でも仕掛けに来たのかな?」 「なっ・・・!!そ、そんな訳ないじゃないですか!私を何だと思ってるんですか?そんな無茶苦茶な事しません!」 「ははは・・・無茶苦茶を体現したような君に言われても、説得力がないな」 真澄はいつもの軽口でマヤに答える。 ・・・せっかく気持ちを伝えようとして、一大決心をしたのに、これじゃ・・・いつもと同じじゃない。 そう考えながら、マヤは再び落ち込んでしまう。真澄に取って、自分はいつまでたっても、無茶苦茶な事をいつもしている子供にしか見られないのだろうか。 このままいくと、喧嘩別れになりそうだったので、マヤは自分の勇気を振り絞って、目的を告げる事にする。 「えっと・・・その・・・コレ・・・を、速水さんに渡そうと思って・・・」 マヤはおずおずと、紙袋を真澄に差し出した。 「あ、あの・・・受け取って・・・くれますか?」 「爆弾をか?」 「だっ、だから、違うと言っているじゃないですかっ!!今日は何の日だか知らないんですか!?」 「・・・・・・」 「あ・・・あの・・・紫織さんが居る事は知ってます・・・けど・・・その・・・私の気持ちというか・・・伝えなきゃと・・・あ、あれ・・・その、つまりですね・・・」 思わない所で真澄と遭遇したせいか、マヤは用意していた言葉を忘れ、支離滅裂な事を言ってしまっていた。 真澄は真剣な顔をして、紙袋を見つめる。わざわざ、チョコレートをここまで届けに来たのだろうか?・・・まさか、マヤは本当に? 「・・・俺が貰ってもいいのか?・・・君こそ、今日は何の日かちゃんと知っているのか?」 「し、知っています。もう・・・!いらないのなら、いいです!」 マヤは思わず、いつもの調子で言葉を返してしまい、踵を返してしまう。その途端、マヤの手が、真澄の大きな手に握り締められた。 「・・・いらないとは言ってないだろう。とにかく、入るぞ」 真澄はマヤの手を握り締めたまま、紙袋をマヤから取り上げ、門の脇に備え付けられた、インターホンを鳴らした。 「・・・俺だ。今、帰った。門を開けてくれないか?それから、客を連れてきたから、客間に通してくれ」 「えっ・・・ええっ!!」 マヤはそのまま強引に屋敷の中に連れ込まれ、客間に通される。こんな時間なので、使用人の数は少ない。真澄が自分の車を駐車場に入れる間、マヤは熱いココアを飲みながら、ずっと客間で待っていた。 やがて、スーツ姿の真澄が部屋に入ってくる。手にはコーヒーカップを持っていた。はじかれたようにマヤは立ち上がる。 「あ・・・あの・・・やっぱり、私帰ります。もうこんな遅い時間ですし」 「少しここで温まっていくといい。さっき手を握った時、随分冷たかったぞ。どのくらい門の前でうろうろしていたんだ?」 「え、えっとですね・・・その・・・こんな時間に怒ってます?やっぱり・・・」 「別に怒ってはいないさ。しかし、こんな夜遅く歩き回るのは感心しないな。・・・まあ、俺もあまり人の事はいえんが・・・」 「え?」 「いや・・・何でもない。それよりも開けてもいいか?この紙袋」 「・・・はい・・・」 マヤは複雑そうな顔をしながらも頷く。真澄はそんなマヤの様子を不審に思いながらも、紙袋をあけ、丸い箱に納められた中のチョコレートを取り出した。瞬間、真澄の瞳は驚愕に見開かれる。 「・・・紫のバラ・・・まさか・・・?」 よく見ると、薔薇を模ったホワイトチョコに、紫色のシュガーパウダーのような物が塗してあった。周りは透明なセロファンで綺麗にラッピングされており、一見すると小さな紫のバラの花束のようだった。 「・・・こ、これは・・・一体?」 「これ、薔薇チョコっていうんです。本物の薔薇の花びらを閉じ込めてある物とか、色々なバリエーションの物があるんですよ。紫色の薔薇チョコは流石に無かったので、ホワイトチョコの上に、紫色の金平糖をすり潰して、上に塗したんです。ラッピングは麗に手伝ってもらったんですけどね・・・私って不器用だし、うまくラッピングできなくて」 「そういう事を聞いているんじゃない!!なぜ・・・これを俺に・・・君は・・・」 「・・・ずっと、貴方から貰ってばかりだったから・・・今度はお返ししたくて。今まで貴方に受けたご恩を考えると、一生かかってもお返しできないと思いますけど・・・でも、大都の為に無くてはならない立派な女優になります。貴方に絶対に必要とされるような・・・速水さんのご結婚前に、自分の気持ちにけじめをつけたかったんです。このままだと、前に進めそうもないですから。バレンタインのようなきっかけがないと、こんな事伝えられる勇気を持てなかったし・・・」 マヤは声を震わせながら、真澄に精一杯の想いを告げる。今、真澄はどんな顔をしているのだろうか?自分の言葉をどんな風に感じているのか、確かめるのが怖くなり、思わず俯いてしまう。 やがて、永遠とも思える長い時間が過ぎ、真澄はぽつりと感情のない声で、マヤに声をかけた。 「・・・君は知っていたのか?一体、いつから・・・?」 「随分、前です。正確には梅の谷に行く前でした。・・・いいえ、その前からもしかしてと思う時は何度もありましたし」 「・・・そんなに前から・・・?じゃあ・・・君はまさか・・・」 真澄の脳裏に以前、自分に託された紅天女の台本が頭をよぎる。 マヤが試演前に、紫のバラの人への想いに苦しんでいた事、そして・・・バラを目の前で踏みにじった事・・・。 「・・・!?速水さん」 気がつくと、真澄はマヤを抱きしめていた。強く・・・強く。自分は何て愚かだったのだろう。こんな簡単な真実にずっと気付く事が出来なかったなんて。いや、薄々感じながらも、ずっと有り得ないと打ち消してきた。自分に正直にならなかった事で、こんなにマヤを苦しめていたなんて。 「マヤ・・・マヤ・・・すまない・・・本当に」 搾り出すように、真澄はマヤを抱きしめながら、ただただマヤにずっと謝り続けた。いつの間にか、真澄は涙を流している事にも気付いていなかった。 マヤはそんな真澄を労るように、優しく抱きしめ、真澄の広い背中をそっと撫でる。 「速水さん・・・いいんです。私の勝手な片思いなんですから。・・・紫織さんと幸せになって下さいね。私はこうやって、ようやく気持ちを伝えられた事で満足しているんですから」 マヤの言葉に真澄は一瞬、虚を付かれたように動きを止めるが、やがて自分の気持ちをまだ何も伝えていない事にようやく気付いた。 「俺が謝っているのは、君の気持ちに答えられない事じゃない。君をずっと悲しませていた事だ。こんな俺を許して、受け入れてくれるというのなら・・・伝えてもいいか?」 「え・・・?」 真澄はマヤの瞳を覗き込みながら、一言、一言噛み締めるように、積年の自分の想いをようやく口に出した。 「君を愛している・・・多分、君と初めて会ったその時から・・・」 「え・・・ええええええええええええええぇぇぇぇっっっ!!!」 「(キーン!)・・・き、君・・・頼むから、耳元で絶叫しないでくれ・・・」 「あ・・・ああっ・・・ご、ごめんなさい!!って、そうじゃなくて・・・!し、信じられない・・・あの・・・もしかして、からかってます?」 真澄は黙って、マヤの手を握り、自分の胸にそっと当てる。激しく高鳴る胸の音・・・心なしか、握られた掌が少し湿っているような気がする。 「これでもかなり緊張して、君に気持ちを伝えたつもりなんだぞ。信じてもらえないのなら、俺の立場がない。そもそも、伊達や酔狂で今まで君に長年、あれだけの援助をすると思うのか?」 「え・・・じゃ、今まであんなに援助してくれたのは・・・」 「最初は純粋に、君のファンになったから・・・でも、君が成長するにつれて、君の演劇にかける情熱や、ひたむきさに惹かれていって・・・気がついたら、君の事がたまらなく好きになっていた。君に嫌われている事は十分理解していたから、名乗り出られない分、俺の全身全霊で、紫の影として君を守りたかった・・・」 マヤは信じられないというように、呆然としながら真澄を見つめる。 「そんなに前から?じゃあ・・・何で、紫織さんと婚約を・・・?」 「言っただろう。君にずっと嫌われていると思っていたと。報われないと思いこんでいたから、自分の心に諦めを付けるために、義父のすすめる彼女と見合いをしたんだ。自分の気持ちに嘘を付いて、婚約までしたが・・・でも、結局君を諦める事はできなかった。そんな態度が、紫織さんにも嫌というほど伝わったんだろう。今日、彼女に見事に振られてしまったよ」 「え・・・じゃあ、もう紫織さんとは・・・??」 「正式にはまだ先になるが、もう俺達は、婚約者同士では無くなった。これからは息を付く間もなく忙しくなるな。もしかしたら、大都全体が揺れる事態になるかもしれんが」 真澄の言葉に、マヤは複雑な表情をするが、やがて心配そうに真澄を見上げた。 「その・・・大丈夫なんですか?会社同士の事って、良く分からないんですけど、それって速水さんが、辛い立場になってしまうんじゃ・・・」 「・・・じゃあ、君は紫織さんに頭を下げて、彼女と結婚した方がいいというのか?」 「そ、それはっ・・・!!」 思わず叫ぶマヤを、真澄は愛おしそうに見つめ、マヤの頭を安心させるように撫でる。 「心配しなくてもいい。全部俺の責任だから、俺が周囲を納得させて、決着を付けてみせるさ。俺の経営の腕は知っているだろう?・・・大都を潰すようなヘマはしない。その為には、君に協力して欲しいんだが」 「え・・・な、何ですか?私に出来る事なら、何でも・・・!!」 真澄はマヤの肩を抱き、真剣な表情をする。 「全てが終わるまで、君が俺を信じて待ってくれる事だ。・・・約束してくれるのなら、俺はこれからどんな困難にも耐えられる。・・・約束してくれるか?」 「・・・はい。でも・・・」 「・・・・・・?」 「待っているだけでは寂しいので・・・時々、お電話くれますか?時間のある時で構わないので・・・」 あまりにいじらしい言葉に、真澄は再びマヤを抱きしめる。そしてそのまま、マヤの唇にそっと触れた。 「・・・・・・!!!」 「約束するよ。俺は約束を守る男だからな」 「(真っ赤)は・・・はい・・・信用しています・・・」 マヤは身体から火を噴きながら、そのまま戸口へとノロノロと移動する。 時計を見ると、もうすぐ12時。二人に取って、奇跡ともいえるバレンタインデーが、ようやく終わりを告げようとしていた。 「あ・・・あの・・・私、帰りますね。無事にチョコも渡せましたし・・・その・・・速水さんからも素敵なプレゼントを頂いたし・・・」 「・・・帰るのか?泊まっていったらどうだ?」 「なっ・・・!何を言うんですか!?まだ、早すぎます!!・・・その・・・心の準備が!!」 「客室なら開いているし、もうこんな時間だぞ。使用人に準備させるから、泊まっていけばいい。この屋敷は初めてじゃないだろう?」 「え・・・?あ、そう・・・ですね・・・でも・・・」 「何だ?期待外れな顔をしているな。ははは、チビちゃんも本当に大人になったものだ。そんなに、俺の部屋に泊まりたかったのかな?」 「かっ・・・帰ります!!もう・・・もう・・・大嫌い!!」 マヤは真っ赤になりながら、照れ隠しのように、慌てて小走りに部屋を出ていった。 「冗談だ。・・・車で送っていくよ」 笑いながら、真澄はコートを引っ掛け、部屋を飛び出していったマヤの後を追う。 外に出ると冷たい空気の中、冬の星座はとても美しく輝いていた。長い時間を経て、ようやく気持ちが結びついた、初々しい恋人達を祝福するように・・・。 ―――Fin GURIKO様より |
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