夢うつつ

written by すずしろ様










辛いのかい。悲しいのかい。
おまえが泣いていると母さんまで悲しくなってしまうよ。
さあ、顔をお上げ、涙を拭いて。
あんなにやりたかった芝居じゃないか。
母さんのことも振り切って飛び出して行ったじゃないか。
おまえは一人じゃないんだよ。
母さんはいつもおまえを見守ってるよ。
大好きな芝居じゃないか。
さあ、涙を拭いてあの光の中へ入ってお行き。


あうっ…
気付いたら窓際に座り込んで顔は涙でぐちょぐちょで、
何度拭っても涙が止まらない。
試演は待ってくれないのに
あたしは一体何をしているんだろう。


阿古夜の仮面は恋する乙女
その身を裂くことになろうとも、真実(まこと)の愛に生きられる。
阿古夜が心底妬ましい。

こころを殺して被った仮面。知りつつ被った偽りの仮面。

あたしは阿古夜の目線の先にあのひとの姿を映し出し、
自分で自分を追い詰める。


あなたのことを思うだけで胸がはずみます。
あなたの声をきくだけで心が浮きたつのです。
あなたにふれているときはどんなにか幸せでしょう
あなたの、あたたかさが、いとしい。


心を阿古夜で満たすほど、
あのひとへの想いが溢れ出す。
こころを抑えられなくなる。

偽りの仮面が剥がれ落ちて素顔の自分が晒される。
阿古夜の仮面が求めてくる。
あたしの真実を求めてくる。
あたしが全てを曝け出すまで手に取ることすら否定する。


仮面が被れない。
母さんが死んだとき以来・・・


それまでにも、それからも、大都芸能に関しては、悔しく、
惨めで、辛い事ばかりで
あたしは、大都芸能には関わらない、演じたりしないと
公言して憚らなかったのに。

逢いたい・・・
でも、もう遅いのだと諦めてしまった自分がいて・・・
それでも足は此処へ向かう。着いた途端後悔する。
少しだけでも・・・
たとえ一目だけでも、遠目でも姿が見たいと諦めた自分に
抗うせつない自分がいる。

そう・・・こんなに苦しくなるのなら

もっと早くその胸に飛び込んで問う勇気を持てば良かったのに。
あなたと一緒に流れ星を見上げたあの満天の星空の下で
冷たい雨から守ってくれたあたたかい胸の温もりの中で。

小さな流れを越えて確かめれば良かったのに。
あの一瞬魂が触れ合ったような時を感じたのは
あなたも同じなのだろうかと。
魂の片割れはあなただと感じた、あの夢のような一瞬を。

時は瞬く間に過ぎ去っていく。

此処にいるのはもうあたしには手の届かない人。


あの時あたしは此処の所属で
速水さんは社長さんで

速水さんは社長さんなのに
あたしはただの女優なのに

あたしを元の虹の世界へ戻そうと手を尽くしてくれた。
使い物にならない女優ならもう見限ってしまってもいいのに。
大都芸能のものだ、おれのものだ…って。

ふふっ

あのまま速水さんのものだったら、良かったのに。
あの時、契約書を返してくれなければ良かったのに。
今なら速水さんの深い優しさも、
あたしの将来を思う故の厳しさも
痛いくらい理解出来るのに。

あの時、あたしは未だ高校生で
何も知らずに速水さんを憎んでいた。

速水さん…
紫のばらのひと


おまえ、未だ泣いているんだね。
そんなに辛いのなら
そんな想いなら、
捨ててしまえばいい。
捨ててしまえば、また、
新しいものに出会えるさ

母さんを捨てたときの様に

いやあっ 母さん。
心臓がどきどきする。
違うの。母さんを捨てたんじゃないの。
あたしの魂が演劇を選んだの。
あたしはずっとそうなる運命だったの。
だから、だから。
ねえ、かあさん
許して・・・


やっぱり…おまえは莫迦な子だよ。
親は捨てられるためにあるものさ。
あの時おまえはもう親の手を離れていたということなのさ。
だから泣くことはないんだよ。
ほら、今もおまえ、
余計な物を握り締めているじゃないか。
それもすぐに、捨てておしまい。


あたしの手の中にあるのは紫の薔薇。
そして知ってしまった薔薇の真実。
ずっと待っていたけれど
紫のばらのあなたは
自分から決して名乗ってくれない。


おまえ、否定されるのが怖いんだろう。
それでも、言ってしまえばすっきりするさ。
だからお前はいつも愚図といわれていたんだよ。
ほら、丁度いいじゃないか、おまえ
ちゃんと捨てて
新しい自分を見つけておいで。


う…ん……はっ…

ティールームでいつの間にか、眠りこけていたらしい。
業界最大手の芸能社だから大物有名人の出入りも激しい。
自覚が無いな、女優なのに。
ここでも眠りながら涙してたみたいで
あたしの目はなかなか開かない。


本当に愚図だねえ。

何だか母さんの声があたしを急き立てている様に響いてる。

ほらほら早く…



「えっ…」

あたしが周りを見回すと、からかいを含んだ懐かしい声が…
聞きたくて、聞きたくて、でも聞いちゃいけないと思っている声が
頭の上から降ってきた。

「よく寝てたな、ちびちゃん」

げっ、速水さん…

「どのくらい、観てました?」

「そうだな・・・まだまだほんの10分だ」

そんなに長く観られてたんだ(///)

「社長さんがそんな暇でこの会社、大丈夫ですか」

「クッ…君こそどうした。
 目から涙が滲んで今にも泣きそうだったのが」
「だんだん機嫌が良くなって」
「終いには憑き物が落ちたようだった」
「そんないい夢だったのか」
 
「ええ、そりゃあもう」

「ほう、では是非ともお聞かせ願えませんか」

こんな場所で一世一代の告白をしていいものだろうか。
でもまた母さんに早く早くと急かされそうで

「ちょっと耳貸してください」

速水さんがあたしの隣に座る。
速水さんの顔がゆっくり近づいてきて
速水さんの匂いを間近に感じる。
速水さんの横顔はあたしの右横10センチ。
あたしは唇を速水さんにあと9センチ近付けて囁いた。

「紫の薔薇をありがとう」

顔を上げてあたしを見る。
端正な顔に赤味が差す。
綺麗な目を大きく見開いてあたしを見詰める。

こんな速水さんは誰も想像が付かないだろう。
驚きのあまり言葉も出ない。
そんな速水さんにかまわずに、再び耳元に唇を寄せる。
あたしはそっと囁き続ける。


試演のあたしを見てください。
ずっと速水さんが好きでした。
阿古夜の想いはそのまま、速水さんへの想いなの。
あたし、速水さんに伝わるよう頑張るから
速水さんにちゃんと伝わったら、
伝えられるような女優に成長したなって思えたなら、
今度は直接贈ってください。
よくやったなって一言を。
そして紫の薔薇を。


ふわっと優しいものに包まれた。
速水さんの腕の中とわかるまで少し時間がかかった。
場所を気にして離れようとするあたしに
速水さんは信じられない一言を呟いて、
あたしの動きを奪ってしまった。
その隙に優しかった腕が力を以ってあたしを縛り、
もう逃げることは出来ない。

「もうずっと、マヤだけを、愛しているんだ」

身を委ねて目を閉じる。
母さんが深々と頭を下げた。

ねえ。かあさん…怒ってないの?

かあさんは本当に幸せそうな笑みを浮かべてる。
春の風が撫でる様にかあさんが髪を撫でてくれた。

ほんとうに莫迦な子だよ
おまえが幸せだと、母さんも幸せなのさ。
マヤ、これもおまえの運命なんだよ。













終わり











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