「速水さん。今日の待ち合わせ場所ですけど、変更してもいいですか?」

 彼女の声を聞くのは、2週間ぶりだった。

「会社の近くにある桜並木。途中にベンチがあるでしょ?あそこでいいですか?」

 目の前にいる秘書が、意味ありげな目をしてこちらを見ている。

 どうしても緩んでしまう顔を見られまいと、背を向ける。

「ああ、わかった。遅刻するなよ。」

“早く会いたい” 甘い声が出そうになるのを我慢する。

 意識が携帯の方に行ったままの俺に、何かを含んだ口調で秘書が尋ねる。

「マヤさんからですか?」

「ああ。」

 「最近、お忙しくしてらしたから、久しぶりのデートですわね。」

 その原因を作っている本人にそう言われ、何か言ってやろうかと思った。
 何倍にもなって返って来なければ……来るに決まっているから言わないでおく事にした。

 「ああ、そうだな。」

 そう答える俺に、彼女はクスリと笑いを残して部屋を出た。



何かと理由を作っては毎日でも会いたがる俺に、“お仕事が優先ですよ”とマヤは言う。

俺が想うほど、彼女は想ってくれていないのか?
  時々襲うどうしようもない不安が、俺の中に独占欲を植え付ける。


束縛はしない。
 彼女の自立心に手を貸し過ぎない。
 彼女の選んだ仕事には手も口も出さない。
 プレゼントの限度額は彼女が決めた。
 キスの代わりに禁煙の約束もした。


彼女との約束は他にもある……

 プロポーズは彼女から。

 何時まで待たされるのか、見当もつかない。
 深い溜息をつき、仕事に戻る事にした。





約束の時間は11時。

レストランの予約時間までには少し早いが、少しでも長く一緒にいたくて、この時間を指定したのは、俺の方だ。

 秘書が気を利かせてくれたのか、仕事が予定よりも早く終わり、散歩がてらに桜並木を歩いてみる。
 
この1年、忙しくてゆっくりする暇等無かった。
 マヤとの時間だけは優先したけれど、何処かにその付けが回り、嫌味としか取れない予定外の仕事を、あの秘書はこれでもかと入れてくる。
 原因が、自分にある事くらいわかっている。
 それでも会う度に、その華奢な身体を腕の中に感じ、頬を寄せてくる仕種や、素直にキスに応じてくれる唇に、癒されるのだからしょうがない。
 それがどんなに短くて、あっという間の時間だとしても……

 
傍にいて欲しい時に、何時でも彼女を近くに感じられるのなら、この胸の中の乾きは収まるのだろうか?


 束縛はしない……何時でも自分の傍にいさせたいのが、そんなに悪いのか?

彼女の自立心に手を貸し過ぎない……何時でも貸すのに。

彼女の選んだ仕事には手も口も出さない……未だに未練タラタラな男を思い出し、嫌な感情を覚える。
 
プレゼントの限度額は彼女が決めた……誕生日に贈ったのはネックレス。
青木麗からその値段を聞いた彼女は、次の日に会いに来て、『限度金額誓約書』を俺に書かせたが、贅沢をさせて何が悪い?
 
キスの代わりに禁煙の約束もした……これだけは我慢ができる。

プロポーズは彼女から……すぐにでも、破りたい。


その指輪は、何時でも渡せるようにと、上着の内ポケットに用意されている。
ネックレスと一緒に買った誕生石の指輪には、「愛の言葉」という名が付いている。
あの約束がなければ、誕生日に渡したのに。
何時になったら受け取ってくれるのやら。





束縛はしない。
 自立心に手を貸し過ぎない。
 選んだ仕事には手も口も出さない。
 プレゼントの限度額はあたしが決めた。
 禁煙の代わりにキスを約束した。
プロポーズはあたしから。

 
束縛はしないと言いながら、理由を作ってはあたしに会いたがり、水城さんに怒られているのは、秘書課では有名な話。

 自立心に手を貸し過ぎないと言いながら、あたしは、仕事で使う資料を自分で揃えた事なんて、一度も無い。

 選んだ仕事に、桜小路君が絡むだけで彼の機嫌は急降下。

 誕生日に貰ったネックレスの値段を麗から聞いた時の驚きは、今でも忘れられない。
 
 キスの回数よりも、煙草の本数の方がずっと多いぞ、と彼は言う。

 誕生日プレゼントを渡された時、何かを匂わせるかと思っていたのに、車の中で待っている水城さんの所に、すぐに戻って行った彼。

 本当に、あたしからのプロポーズを待っているの?
 あたしよりずっと大人で、そういう雰囲気に簡単に持って行けそうなのに?
 “真澄様、指輪を持ち歩いているのよ”水城さんが言った事、本当?


 速水さん……本当はね、何時でもあなたの傍にいたいの。
 許されるのなら、あなたの時間の全部が欲しい。
 でもね、あなたには、優先しなきゃいけない事が沢山ある事を、あたしは知っている。
 水城さんは“ごめんなさいね”と言ってくれるけれど、あなたに急な仕事が入るのは当然の事だから、それは仕方のない事。
 だって、その原因はあたしだもの。
 でも、それを口にしてしまえば、あなたはきっと辛そうな顔をするでしょ?
 なのに、あなたの顔を見ると、どうしても甘えちゃうの。
 あまりにも短いその時間がもうすぐ終わるとわかっていても、最後には、あなたからのキスがどうしても欲しくなって、無意識の内に強請っている事に、きっと気付いているでしょ?
 なのに、あなたはそんな事に全然気付かないふりをして、あたしが欲しいだけのキスをしてくれる。
 だから、あたしは安心して、あなたとの次の時間を待てるの。





時計の時間はちょうど11時。

 桜の木の下で、あなたは何だか難しい顔をしている。

 何を考えているの?
 お仕事の事?
 それともあたしの事?

ほら、桜色に染まった並木道がこんなに綺麗なのに、全然気付いていないでしょ?
最後に会った時、この桜並木の話になったら、“あそこの桜を見る時間はないだろうな”って言っていたあなた。

そんなあなたの為に、この景色を見せてあげたかったのに……


「待った?」

 声をかけたら、あなたの顔から難しい表情が一瞬で消えた。
 あたしに会えただけで、そんなに嬉しそうな顔をしてくれるのね。
 そう、何時も嬉しそうな顔をしてくれるから、あたしはあなたの傍に何時でもいたくなるの。
 あたしの幸せは、あなただけが与えてくれるから、必要とされる時には、何時でも傍にいられるようにしてあげる。

 そう決心したら、何だか嬉しくなって涙が出た。





久しぶりに会う彼女は、春の色を纏ったような笑みを浮かべている。
頬に触れながら彼女の顔を見詰めると、その瞳には涙が浮かんでいた。

「どうした?」

思わず焦る。

「何でも無いの。」

「本当に?」

「本当に。」

どうして、頼ってくれない?

「なら、いいが。相談なら何時でものるぞ。」

「ありがとう。ね、桜が綺麗ね。」

「ああ、そうだな。」

彼女に言われるまで、この景色を楽しんでいなかった事に気付き、思わず苦笑する。

花びらが舞い散る中、彼女が小さな子供のように、落ちて来る花びらを両手ですくいながら、俺にも“やってみて”と誘っている。

胸の中に、暖かい物が込み上げて来る。


マヤ、お前が傍にいてくれなきゃ、俺は何一つ楽しめなくなってしまったようだ。
マヤ、お前の為なら、俺は何だって我慢する。
マヤ、どうやったら、お前を幸せにしてやれる?
マヤ、もっとお前を自由にしてやった方がいいのか?
マヤ、俺と一緒にいて、本当に幸せなのか?


気付くと、彼女が俺の両手を、その小さな手で包んでいた。

「速水さん。あたし、あなたを幸せに出来ている?」

一瞬、言葉が出なかった。

「なっ!……莫迦だな。お前が幸せにしてくれなきゃ、誰にも出来ないさ。」

包み込まれた両手を通して、彼女の温もりを感じる。

「じゃ、これから先もあなたを幸せにしてあげる。」

「え?」

「速水真澄さん。あなたは、あたし北島マヤと結婚してくれますか?」

驚く俺に、彼女が尋ねる。

「指輪、ちゃんと持って来た?」

そう言いながら、彼女が左手を差し出した。

“本当に?”

無言の問いに微笑みながら、彼女の唇が俺の唇に重なる。


マヤ。やっぱり、俺を幸せにしてくれるのは、お前だけだよ。
そして、マヤ。きみを幸せに出来るのも、俺だけでいたい……永遠に。















END






リカリカ様コメント

かえで様御作の「桜の木の下の真澄」さんと
拙作の真澄さんには大きな隔たりがあり過ぎて頭を痛めておりますが、
これ以上話を広げて
絵の中の真澄さんを描き出すのは絶対に無理!
と言う事で、皆様にはご理解いただきたいと願うばかりです。


かえで様コメント
作品拝読しましたーv
シャチョーのベタ惚れ具合が可愛らしい。
彼女の為なら何でもしてあげたい。
でも当の本人からストップが掛かって欲求不満(笑)
くすりと笑える速水さんの気持ち。十二分に伝わりましたv
桜の下で誓った言葉通りに幸せになっておくれよー!

桜の絵からここまで出来るんですねぇ。
前回も書いたんですが、字書き様の想像力には脱帽です。





HN:(無記名OK)



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