パラレルワールド

やってしまいました〜(^^;) コアなヅカファンから足を洗って3年、さすがに懐かしくなりまして、つい、遊んでしまいました。まあ、お遊びです。
宝塚を観たことのないかたは、想像力で補ってくださいね〜(笑) 生徒さん達は実名で出てきますが、宝塚歌劇団はじめ、当作とは一切無関係です(笑)
資料が手元になくて、(ダンボール20個のどこかにいっちゃった)殆ど記憶を頼りに書いてます。うろ覚えの点は、笑って読んで下さいませね(笑)
舞台の専門用語が多いので、恐縮です(^^;)


 ある年の夏の終わり、ウィーンで初のドイツ語ミュージカルとして一大ブレイクした『エリザベート』を、日本で初めて、宝塚歌劇団が上演権を獲得し、輸入ミュージカルとして上演されることが決定した。
 その都内ホテルでの制作発表の席上に、大都芸能社長・速水真澄も、マヤを伴って列席していた。
 一路真輝が、会場にセットされたハプスブルク宮を模した階段を下りながら、主題歌を歌う。
タイトルロールである花總まりは、まだ若く、楚々としてシシィ役の扮装がよく似合った。
翌年2月から1ヶ月半の本公演に向けての、デモンストレーションである。ウィーンの制作スタッフも列席しての、レセプションであった。
この『エリザベート』が、一路真輝の実質の退団公演ともなる、とあって、それに先立つ秋の、東京公演のない『あかねさす紫の花』公演より早く、制作発表が執り行われた。
これは、演劇界にとっても、一大ニュースである。ミュージカルはマヤの守備範囲ではないが、後学のため、とでもいおうか、真澄はあえてマヤを同道した。

  ウィーン版『エリザベート』は、無論主人公はタイトルロールである皇妃エリザベートである。それを、男役主体の宝塚歌劇団が上演するにあたっては、死神トート役を主役に改変し、皇妃シシィの人生を通じて死に誘惑する死神として、一路真輝が扮する。
ウィーン版制作スタッフをして一目置かれ、認めさせた一路の歌唱力は圧倒的であった。
演出の小池修一郎も、いまだ制作にあたっては、抱負を述べたに過ぎない。
具体的にあの、シュールかつエキサイティングなウィーン版を、どう宝塚歌劇団が料理するのか、は、上演を待たなくては、想像もつかない、というのが、今日の制作発表であった。
一路にしろ花總にしろ、暗中模索、の気は隠せないものの、現時点では、役の雰囲気はまずまず、掴んでいた。ウィーン版も、観劇済みだという。
一路独特の、中性的雰囲気が、この世ならぬもの、死神トートの存在感をよく表していた。

  レセプションの後、簡単なパーティの席も設けられ、マヤは真澄に早速催促していた。
  「ねえねえ、速水さん、観たいわ、観たいわ。本公演。連れて行ってくれるでしょう?」
  「“演りたい”の間違いじゃないのか?」
  「ん……それはそうだけど……」
  「歌と踊りは、10年はかかるぞ。」
  「…10年ね、…、じゃあ、10年鍛えれば、演れるのね?」
  「おいおい、君の『紅天女』を演りたくて喉から手が出てやまやまなのは、歌劇さんだって同じだろう。この『エリザベート』の国内上演権は、彼らにしかないぞ。」
  「あぁ、そうだったわね…。エリザベート、私も演れればいいのに…。ああ、演ってみたいわ、エリザベート、ほんとに。」
  「まあ、10年は鍛えるんだな。そのあとで、お互いの上演権で交渉したらいい。」
  「『紅天女』を宝塚に渡すの?」
  「そうじゃなくて…。ま、君が歌劇に特別出演、というところだろう。もっとも、外部の役者で、宝塚大劇場の板の上に立つ者はまず居ないだろうがね。」
  「そして、君がエリザベートを演らせていただくんだよ。歌も踊りもまともにできるようになったらな。」
例によっていささか皮相な言い回しの真澄の挑発に、マヤは敢然と受けて立った。
  「速水さん、先生、付けてください。声楽と、ダンス。やるわ、あたし。」
  「歌劇に付け焼き刃は通用しないぞ。」
  「だからあ、10年先を見越してるんですっ! 10年計画なんだから!」
  「ハハハハ……。それは結構。いいだろう、指導教授を手配するよう水城くんに言っておく。」


 翌日から、早々にマヤには、ミュージカル役者に強い、芸大系の声楽教授がついた。
ソルフェージュから、コーリューブンゲン、コンコーネと、ごくごく初歩からのスタートである。
ダンスも同様、モダンダンス、クラシックバレエ、ジャズダンス、と広範にレッスンが始まった。こちらも、ごく初歩からの根気の要るスタートである。
亜弓なら、少なくとも、ダンスに関してはまずクリアなのだが、いかんせん『紅天女』とはいえ、マヤは初心者である。
目標がある、それがマヤには何よりの励みであった。
月影千草門下での厳しさに比べれば、まだ若い肉体を酷使するレッスンの厳しさ、など、マヤには何の苦労もなかった。
天性の集中力は、こと芝居、となると、マヤは空恐ろしい程のそれを発揮する。
呑み込みの速さには、指導陣は満足しつつ、日々高い要求をマヤに克服させていった。


 舞台役者がテレビドラマに出演すると、どうしても舞台で身に付いた芝居の大仰さと舞台の発声が、テレビでの演技には不自然になる。
ところが、マヤは高校生時代から両方をこなしていたために、『紅天女』本公演の間のドラマ出演も、難なくこなした。
真澄とのプライベートな関係はいまだ内密に伏せられていたが、マヤが明らかに“大人の女”に変わっていることは、周知の黙認を得ていた。
相手が誰か、芸能マスコミは何かと囃し立てたが、よもやの“本命”をスクープするには至っていなかった。


  一路真輝主演、宝塚歌劇団宝塚大劇場雪組公演、『あかねさす紫の花』。
 夏のレセプションですっかり“大好き”になった宝塚の舞台を観たい、観たい、とせがまれて、真澄は仕方なく1日、マヤにつき合って宝塚大劇場に赴いた。
 有名な花の道を通って、宝塚大劇場へ。
瀟洒な南欧風の煉瓦づくり。華やかなショッピングモール。正面入り口を入ると、凝ったゴージャスな内装。これが、震災で落下したシャンデリアか、と
マヤは見あげた。紅い深い絨毯。広々と豪華な正面ロビー。總スパンコールの目に鮮やかな男女の舞台衣装が、マネキンに飾ってある。
 内輪の根回しで、1日2回公演を、7列42番という絶好のロケーションでふたりは観劇した。
おりしも、中大兄皇子がダブルキャスト、という呼び物である。
 初演当時は、榛名由梨・中大兄皇子、安奈淳・大海人皇子、という格の高い演目であった。この日のキャスティングは、役替わりで中大兄皇子が三番手の轟悠、雨比古に二番手の高嶺ふぶきが回っていた。
東京公演の無い演目、ダブルキャストという目玉もあり、2400人収容の大劇場は連日盛況、この日も、平日に関わらずほぼ満席であった。
宝塚独特の、華麗にして耽美な柴田宥宏演出の万葉日本物。
重厚で高価そうな緞帳が開いて、開演である。
オープニング。主題歌に合わせて左右端のセリ上がりから登場する、皇子二人。
セリ上がりきって覆っていた顔を表すと、場内から一斉に拍手の嵐。
おそらくファンクラブの拍手であろう。タイミングのみごとに揃った、熱のこもった喝采である。それだけで、マヤは既に興奮状態だ。
生演奏のオーケストラの響きも迫力満点であり、主立った登場人物が豪華な日本物の衣装を纏い、これも宝塚独特のエプロンステージ・銀橋に勢揃いすると、その舞台美は圧巻である。
客席に、女優が来ている、それだけで、普段の舞台とは違う緊張感が、生徒の演技を微妙に変える。
特に、同じ女役のトップ娘役、花總まりの額田女王が、この日抜群に冴えていた。同じ舞台女優としての、意地もあろうか。
額田女王を巡る兄弟の三角関係、その演技が、花總の熱演で、舞台に鋭い、創造的な緊張感を生んでいた。轟の中大兄皇子は、出色の出来であった。
ともすると、主役の一路を圧倒する男役の美と迫力があり、主役の仇役に徹しながら、途中、兄弟不倫の額田へ贈る低音響く熱唱は、一路に遜色なく見事であった。
中盤、この3人による一号セリを一杯に使った踊りでの心理描写、炊かれるスモークも美しく照明に映え、生ピアノのカデンツァもドラマチックに盛り上がり、
微妙な3人の心理をうつくしく描ききった。
マヤもすでに陶酔状態で、拍手喝采である。
一路のファンは、年季の入ったファンが多く、舞台に応じた客席からの拍手の応援が、みごと、の一言に尽きる。
内輪の事情を知らないマヤは、舞台と客席が一体となったその独特の空間に、すっかり素直に心奪われていた。
宝塚大劇場の、高い天井、深いホリゾント、回る盆、宝塚独特の、素早い場面転換。絢爛たる群衆劇。暗転とスポットライト。
一種異様な緊張感を孕んだ舞台が着々と進む。
クライマックス、
紫の野原で中大兄皇子のものとなった額田と、大海人皇子が再会する場面では、劇場のスピーカーをぐるりと馬の駆ける音が一周した。
そして、一路・大海人皇子が、右花道から駆け寄ってくる。
この一路の醸し出す情感は、もともと品の良い一路らしい、清冽さに満ちていた。
そして、かの「茜さす紫野行き標野行き」「人妻ゆえに我恋ひめやも」の歌が交わされる。
花總の頬を、本物の涙が伝う。マヤはもらい泣きしていた。
ここで一度転換幕が下り、一路が銀橋を、切々と恋歌を歌い上げながら渡ってゆく。
この絶唱も、見事のひとことであった。マヤはまた、周囲ですすり泣くのに混ざって、もらい泣きである。真澄が黙ってハンカチを渡してやる。
そして、ラストシーン。
宴の天蓋奥中央に、轟の中大兄皇子、侍る群衆。
宴に、古伝通りに、酔った大海人皇子が、鉈を持って乱入する。
轟の中大兄は、来ていた衣装を階段に脱ぎ捨て、構わずそれを踏んで、駆け下りる。あわや、刺し交わすか、
というところで、大海人の哄笑。
そこで、終幕となる。
拍手が、劇場の後ろから波のようにさざめき湧き起こってくる。マヤは総身に鳥肌が立った。
自分も喝采しながら、緞帳が降りるのを、震えながら見つめていた。

  幕間。興奮状態のマヤは、ロビーで真澄が買ってきてくれたアイスクリームを上の空で口にしながら、ブツブツと額田女王に成り切っていた。真澄が苦笑する。
劇中曲のピアノ自動演奏が、ロビーに響いている。
ハタ、とマヤは我に帰った。
  「一路さんは声が高いから、女性だってわかるけど、あの中大兄皇子の人は凄いね。ほんとに女の人が演ってるなんて思えない。」
  「いい出来だったな。準主役の色が濃いほど、主役男役の正当派の白いイメージが対照的に浮き上がる。」
  「素敵、素敵〜〜。来て良かった〜。こんな舞台もあったのねぇ。」
マヤが夢中になって声高に喋る。
  「次のレビューも、歌劇ならではだぞ。楽しみにしているんだな。」
  「レビューって、なに?」
  「歌と踊りで構成されるショーの一種だ。宝塚オリジナルの演し物だ。」
  「そうなの…。」
  「まあ、期待は持てるだろう。」
  「そんな言い方しなくてもいいじゃない。」
  「ハハハ…。君の反応の方が楽しみだよ。」
またか、とマヤは内心ムッとしたが、ここは黙っていた。
 そして、演目の二つ目、レビュー『マ・ベル・エトワール』開演である。
“たいへん長らくお待たせしました……”一路のアナウンステープが流れる。
場内暗転。指揮者が立ってスポットが当たり、一礼。音楽開始とともに緞帳があがる。
ミラーボールが回り、そこは目映い光と色彩と音楽の乱舞。
否が応にもマヤはワクワクと時めいてしまう。
 次々羽根を背負って登場する絢爛たるスター達のオープニング。矢継ぎ早に衣装の早変わり。スターごとの持ち場面。
二番手高嶺は、なんと黒猫の被り物で、横転した。花總のダルマ姿のスタイルの良さ。いわゆる、バニーガールの衣装である。
轟は、正当派男役のシックなパリの風景をバックに、青春の回顧を歌う。
中詰めは華やかなパレード。銀橋中央に一路、花總、高嶺、轟、香寿、和央、亜蘭、と左右に順に並ぶ。
舞台正面のマヤは有頂天で大喜びしていた。
後半は、それぞれの場面に趣向を凝らして、スター達が乱舞する。
高嶺の女役に轟が男役で絡み、香寿の安定した歌唱力の歌をバックに、二人がムードたっぷりの絡みダンスを披露する。
かと思うと、80年代東京をイメージして作られたという場面では、香寿が女役で、これも見事なスタイルだ。
ディスコがはねると、花總がひとり飛び出してきて、松田聖子の“スゥィート・メモリー”を歌う。そして、華麗なフィナーレに続く。
一路雪組らしい、組子がアットホームによくまとまった出来の、佳作レビューであった。
ラインダンスにフィナーレの華麗さは、どの舞台の追随も許さない。
大階段に、羽根と光と色彩。組子の手にするシャンシャン(小道具)すら、光り輝いて見える。
主題歌を歌いながらのパレードで、役づけの順に銀橋に並ぶ。
ちょうど一路の真正面にいたマヤは、一路が視線を投げてよこしたのに気づいて真っ赤になった。ファンサービスまで、徹底している。これが、宝塚……。
マヤは心底、この舞台にぞっこんに惚れ込んだ。この舞台に、自分も立てたら…、そう願わずにはいられない、素晴らしさだ。
いつか、『紅天女』をひっさげて、この舞台に討ち入りしたい…、そんなことを、マヤは思うともなく思っていた。
次の『エリザベート』も、絶対観るわ。歌と踊り、なのね、判ったわ。私だって……。
マヤの瞳は強い欲求に、爛々と輝いた。
スター達の笑顔満面に、客席に向かって手が振られ、緞帳が降りる。夢のひとときは終わりを告げた。
「さよならみなさま」が場内に流れ、観客達の楽しげなそぞろなざわめきが、劇場に満ちた。
楽屋訪問も手配してあったが、それよりも、もう一度観たい、とマヤがせがむので、
真澄は仕方なく、大休憩に、2回公演目のチケットを阪急係員に用意させた。
今日は火曜日、翌日は休演日なので、休み前の一頑張りの公演である。
  マヤは、『あかねさす紫の花』は、既にすっかり諳んじてしまっていたが、二度目の観劇は、初めての先刻と違って、より、役者の細かい芝居がよく見えた。
 上級生たちは、さすがに心得ていて、同じ芝居を二度はしない。より感情的に、かつドラマティカルに、演技を変えていた。テンションも高かった。
『マ・ベル・エトワール』も、二度目は、歌と踊りの勉強のつもりで、こまごまと、かつ全体に、マヤ独特の冴えた目を通した。
だが、やはりレビューの愉しさには、心躍ってしまう。
フィナーレで一路が手を振るので、ついつられて、マヤも手を振りそうになってしまった。が、それはさすがに控えて、手を高々と挙げて、マヤは拍手を贈った。
 このあと、楽屋を訪ねてもよかったのだが、劇場入り口の花屋で高価な花を主立ったスター達に手配させ、それで二人は帰ることにした。


 伊丹空港に向かうハイヤーの中、マヤは興奮を抑えられず、相槌を打つ真澄相手に、感想を喋りまくった。
  「歌と踊り、ね。よく判ったわ。雪組は歌が巧い組って聞いたけど、ほんとね。歌って、ああいう風に伝わるものなのね。」
  「私も、歌で、表現したい。『紅天女』とはまた別よ。踊りだって、身体を使った表現ってことでは、私だって訓練次第だわ。」
マヤの内で、新たに表現への情熱の火がついた。結構なことだ、と真澄は思う。役者の芸は、一生ものだ。どんな鍛錬でも、すべてが芸のこやしである。
『紅天女』地方公演、テレビドラマ出演、小劇場でのひとり芝居、など忙しく芝居のスケジュールをこなしながら、日々これ鍛錬の、歌と踊りのレッスンに、
マヤは明け暮れた。



 年明けて、雪組公演『エリザベート』が上演された。演劇各界注目の、初日であった。
台詞が無い、のである。全編が、歌。すべてが歌で綴られていく。
劇場には新しくバリライト照明が導入され、全くもって効果的な幻想空間を描き出していた。
狂言回し役の轟悠・暗殺者ルキー二が、上手(かみて)袖から銀橋に飛び出す。
最初のそのルキーニと、録音の裁判官のやりとりのみが、舞台上の台詞。著作権の都合か、通例の宝塚公演プログラムには記載のあった脚本も、無い。
つまり、雪組生徒は、全ての台詞を、歌唱で伝えねばならないのだ。
声が出なくなった時点で代役、とも決まっていたとのこと。一路があとから振り返ってこう言っている。
「客席が海の底のような沈黙。お客様の方が、緊張されていたようですね。」
 息をもつかせぬみごとな歌劇であった。ウィーン版のシュールな大道具使いはなく、
却って具象的また抽象的に場面を描く舞台づくり。
シシィ(エリザペート)役の花總は、あの有名なエーデルワイスをあしらった肖像画の衣装を自前で2着作ったという。
1着500万はかかっている衣装だ。ハプスブルク家皇妃の面目も躍如であろう。
 第一幕が、銀橋の一路・トートの絶唱で終わる。一瞬の沈黙の後、場内は割れんばかりの拍手と大きなどよめきが起こった。
幕間、観客のざわめきは、いつの公演にもまして大きかった。ウィーンからの取材テレビカメラが、ロビーをウロウロする。
この時点で、歌劇団は、今後長きに渡る大成功をほぼ手中に収めたといっていい。
轟悠のルキーニは、宝塚歌劇団の歴史に残る、名演であった。
元々のウィーン版が名曲揃いの傑作とはいえ、組子総動員の圧倒的な歌唱力で、公演はみごと、誰もが想像だにしなかった成功裡に終えられた。
演劇各界の評判も高かった。
真澄にしろこれでは関西まで足を伸ばさぬわけにはいかない。


  公演も後半、千秋楽も近づいた頃を見計らって、真澄はマヤと黒沼を伴い、『エリザベート』観劇に向かった。
公演日程が進むに連れ、立ち見客も、増えていく。
評判にたがわぬ、一路の見事にソフィスティケートされた舞台姿と歌唱。
演劇史に残る名舞台であった。
舞台には、魔物が棲むという。
宝塚版のためにウィーンスタッフが新たに書き下ろした一路のための曲「愛と死の輪舞(ロンド)」。
この絶唱は、魔物を呼び込むに充分の力があった。
実際、生徒にしろ観客にしろ、皇太子ルドルフ暗殺の後の場面、棺に泣き崩れるシシィに近寄る死神トート、場内の非常灯の照明まで消され、
ほとんど明かりの無いこの場面で、「出た」「見た」という声が多かったのだ。
マヤもその時、感動の戦慄とは異なる悪寒に、捕らわれもした。それほどの、舞台。
演劇、というものの本質に鋭く切り込んでゆく、名作中の名作であった。
演劇人として、この舞台に出会えたことは、僥倖であった。マヤは表面的な技能やら技術といったこと以上に、舞台芸術、というもの、そのものの本質的な価値に、真っ向から対峙させられた。
この感動は、マヤには意味深かった。大きな一歩を啓発された、と言っていい。
『紅天女』を得てしても、なお、マヤを本能的に惹きつけてやまぬ、演劇というものの本物の魅力が、そこに満ち満ちていた。
古くはギリシャ悲劇に溯る、演劇、という芸術。マヤは改めて、自分の運命、を感じざるを得なかった。
私は、舞台に立つ、そのために、生まれてきた。そのために、生きている。演じることのために。誰のためにでもなく。自分のため、ですらない。
純粋に、演じるために。
そのために、この命があるのだ……。舞台のフィナーレ、大階段のパレードにボロボロと涙をこぼしながら、マヤはそうした達観の境地にいた。
そして、心からの拍手を、舞台に贈った。
真澄は傍らで、そんなマヤに気づかぬ風情を装った。が、このマヤの演劇の人生を支えていくのは、他ならぬ自分であることを、強く噛み締めていた。
真澄にとっても、それは重大な、決意のひとときであった。




  『紅天女』北島マヤ初演の名声から10年。往年の大女優、大地真央にして、ようやく『ローマの休日』で芸術大賞を獲得した。
大都芸能社長夫人でありつつ、なお北島マヤとしての演劇活動は、若くしての名声から、成熟期に向かっていた。


  2001年1月1日、宝塚歌劇団は、古来の元東京宝塚劇場、通称東宝を全改築し、歌劇専用の通年小屋として、リニューアルオープンした。
映画館、グルメ、ショッピング街を含めた総合アミューズメント・ビルである。
阪急グループの、東京進出。これで、かつて東宝に出演していた多くの演技陣は、宝塚歌劇によって東宝から締め出された格好になる。
大劇場と同等の、いや大劇場を更に上回る最新の舞台機構を有し、高級感漂う客席の前列部分中央には、SS席10000円を配置した。
もともと関西文化の宝塚歌劇が、東京を拠点として、どこまでやれるか。
前年までの仮小屋での通年公演を通して、阪急は相応の手応えを得ていたようだ。
元来、宝塚歌劇は、国会議員を含む愛宝会、有閑富豪婦人を多く含む歌舞伎役者後援会並みの緑宝会という特殊なファン層を囲い込んではいた。
また、卒業生に公明党参議院議員も数名いるように、創価学会の人脈も豊富ではある。
そこに、多くの一般大衆つまり、サイレントマジェスティを巻き込む方途として、この年歌劇団は四半世紀に渡るヒット作『ベルサイユのばら』を、
これもリニューアルして上演した。
かつての社会現象とまでは至らぬものの、伝説の舞台は、注目を浴び人気を博すには充分であった。
そもそも、宝塚歌劇草創者・小林一三の理念である、大衆向けの家庭的な娯楽、としての歌劇。
『ベルサイユのばら』は、その伝統理念にごく忠実な、優れたアミューズメント舞台だ。
パフォーミング・アーツではあるが、大衆娯楽、である。総合芸術、としての舞台とは、一線を画す。
この点が、同じ劇団ヒット作でも『エリザベート』との決定的な違いである。
北島マヤに『エリザベート』は、目指すべき目標であったが、『ベルサイユのばら』は、愉しい観劇に過ぎない。



  3年に一度の『紅天女』ロングラン、そして地方公演、ほか舞台、テレビドラマ、映画、小劇場での密度高い芝居の数々、ストレートプレイのみならず、
独唱で通す半ミュージカルのひとり芝居まで、マヤの芸域は広がっていた。
  時は満ちた。満を持して、宝塚歌劇団が、『紅天女』の宝塚版上演を要請してきた。無論、マヤが、新東京宝塚劇場こけら落とし以来初の、外部出演者、それも、主演である。
条件は、尾崎一連の脚色を一切変えないこと、以外は、音楽も群舞も、ある程度宝塚に相応しくアレンジすることをマヤと真澄は認めた。
東京公演の一ヶ月半一度限りである。
従来の『紅天女』の歌劇版、とあっては、全演劇界注目の必見作となった。
歌劇団は、組公演ではなく、オーディションを行い、専科生も含めて、全生徒からの選抜メンバーによる編成の特別公演、とした。
これだけで、すでにチケットはプラチナチケットと化し、一般客がそうそう入り込める公演ではなくなった。
相手役・一真には、雪組トップ、彩吹真央が決定した。
すべて女性による、『紅天女』。どれほど、本公演に近づけるのか、あるいは、全く新たな生命力を持った舞台となりえるのか。
マヤ自身も、楽しみであった。歌劇団は盛大に制作発表を行った。

  稽古は宝塚の通例に倣って、約一ヶ月。マヤには充分長い稽古期間である。
東京集合日の顔合わせでは、宝塚の生徒に混じると、マヤはいかにも「普通」の女優。
女性でもゆうに170センチを越す身長を持つ男役生徒も多い時代だ。
集合日、台本の変わりに配布されたのは、楽譜集、であった。
故・寺田瀧雄亡きあと、宝塚の音楽を支えてきた門下生・吉田優子女史による、渾身の、『紅天女』全曲歌唱楽譜である。
尾崎一連の脚本は、一語も漏らさず見事に音、に置き換えられていた。
『エリザペート』といい、宝塚はこうした翻案は、伝統的な力量を持っている。
一朝一夕に始まった作曲ではなかろう。この公演の実現の日に向けて、長く描き溜められていた楽譜なのだろう、と、マヤは想像した。
そこには、『紅天女』世界への深い洞察が、一音一音に表現されていた。
マヤはひたすらに嬉しかった。このように『紅天女』が生まれ変わること、かくも豊かな洞察を、音楽で表現できること。
学生時代は音符も読めなかったマヤだが、大成したものである。楽譜から、舞台表現を読みとれるまでになった。
マヤの身につけた歌唱は、正当派の声楽にマヤ天然の演劇感性をプラスアルファした、極めて情緒に訴える力の強い歌唱力である。
まるで、この公演を待っていたかのごとくである。
宝塚の生徒達は、それぞれの役作りに苦労していたが、マヤの天然の演劇天性には、学ぶところがすこぶる大きかった。
生徒の誰もが、知らず知らずマヤの影響下におかれていった。
そして、北島マヤをおいて他の誰も決して、『紅天女』たりえない、と日々実感していった。



  「ただいま〜。」
 夜半近くまで続いた稽古もはねて、マヤは上機嫌で帰宅した。
  「お義父さまはどう?」
迎える真澄に、開口一言マヤは尋ねた。真澄は平静に応じる。
  「変わらないよ。」
速水英介も、老齢に近く、もともと不自由な下半身から腰まで弱くして、寝付くことが多くなった。
血は繋がらないとはいえ、孫にも恵まれた。厳しかったその人生の幕を英介は安穏と静かに下ろそうとしていた。マヤはまず、英介の寝室を見舞った。
  「お義父さま、お休み?……新しい『紅天女』ができるのよ。お義父さまも必ず観にいらしてね……」
マヤは眠る英介に、静かにひとりごちた。そして、ひととき、祈るように眼差しを深めた。
  子どもはそれからだ。娘は5歳。息子は3歳。ふたりとも、よく寝かしつけられている。
専任の乳母役がついているとはいえ、子どもには普段から寂しい思いをさせているかもしれない。
それでも、自分の演劇こそ、子供達に伝える第一の財産、とのマヤの信念は揺るがない。真澄にしても、それに反対する理由も無い。
  「稽古はどうだ?歌劇の娘さん達は苦労しているだろう?」
  「まあねぇ。でも、『あかねさす』の頃に比べると、プロとアマくらい実力は違うわよ。みんな、昔と違って能力は底上げされてるわ。」
  「君のブラッシュアップを楽しみにしているよ。」
  「ええ、待っててね!」
もはや、マヤは余裕綽々である。稽古が楽しくて仕方がない、といった様子だ。今に至っても、マヤにとって一番に自分の舞台を観て欲しいのは、
この夫となった、真澄その人である。
ひと風呂浴びて、マヤは寝室に入った。ドレッサーで髪を整える。
  「“清く正しい”宝塚の舞台に既婚女性が立つ時代になったとはな。」
  「なにそれ。」
  「もともと宝塚は未婚女性の集団なんだよ。結婚した女性は舞台に立てない。結婚するなら、退団しなきゃならない。」
  「21世紀になって、いろいろ試行錯誤したからなんじゃない?私の『紅天女』だって、その一環でしょう?」
  「本人が判っているなら一番だ。」
ともすれば、ベッドに横たわっても演技空間のどこかに飛んでいってしまいそうな精神でいるマヤを、真澄はゆっくり抱き締めて、夜は更けていった。



 “春 すみれ咲く…”と歌い出される、「すみれの花咲く頃」。もとはシャンソンである。昭和初期に白井鐵造よって、導入された。
以来、宝塚の有名なテーマソングとして、定着して久しい。
“宝塚グランドロマン・住友VISAシアター『紅天女』”初日である。
早春の気配漂う、日比谷の劇場街。僅かな当日券を求めて、早朝から抽選を待つファンの行列が、長々と日比谷公園にかけて並んだ。
初日の早い楽屋入り、初日挨拶、お祓い、本通し、と終えて、あとは開演を待つばかりである。
楽屋はいわゆる“幹部部屋”、組長らと一緒だった。マヤ特別の楽屋ということはない。それが、宝塚の風習と言えば風習である。
所狭しと胡蝶蘭の5本立てが絢爛と居並ぶ。
 そろそろ開場時間、という頃、亜弓が楽屋を訪ねてきた。組子たちも、色めき立つ。亜弓は『紅天女』の数ヶ国海外公演を受け持って久しい。
  「マヤさん、お久しぶりね。」
  「あらぁ、亜弓さん、観にいらしてくれたの?」
  「もちろんだわ。この公演を観ないで日本で何を観るの?フフフ…」
  「調子はいかが、と訊くまでもなさそうね。わかるわ」
  「そう?亜弓さんにそう言ってもらうなんて。嬉しい。楽しんでいってね。」
ここに至って、マヤは無邪気なものである。
  「さっき速水社長に下でお会いしたわ。お元気そうで何よりね。」
  「あ、そう?ふふ…」
真澄の話題には、マヤは面映ゆい。結婚何年経とうが、いまだ、初な照れがある。
床山が、マヤの鬘を直しに来た。そこで、亜弓は激励して出ていった。開演20分前である。
それから、早変わり室の衣装替え最終チェック、マイクチェックを済ませ、
マヤはホリゾント脇のスタンバイに向かった。
ぷ厚い緞帳の向こうから、客席のざわめきと、興奮の雰囲気が伝わってくる。いよいよ、マヤの集中が、極度に高まった。
  開演5分前の音楽が響く。じきに客席の照明が落とされ、ざわめきが緊張を伴った静けさに変わる。彩吹によるアナウンスが流れ、舞台は開演となった。



  指揮者が客席に向かって立つ。一礼とともに、パン、と拍手が切られる。それに続いて期待の喝采が湧く。
拍手の頭出しは、トップスター・彩吹のファンクラブが受け持っているのだろう。昨日の舞台稽古に、ファンクラブ幹部が入っていた。
ホリゾント中央最奥に板付きでスタンバイして、すべてはマヤの耳に入っていたが、聞こえてはいなかった。
集中とともに、ときめく胸の高鳴りだけがあった。
  笛の音が朗々と響き、音もなく緞帳があがる。
コーラス室の生徒達が、モニターに写る指揮者を見ながら、アカペラ(無伴奏)で母音5音程の五重唱をする。
舞台は真っ暗で、装置の一つもない。
重唱がいっとき激しさを増すと、ホリゾントにボウっと薄闇が描出され、マヤの紅天女がシルエットで浮かび上がる。
アカペラ五重唱をバックに、バリライトとスポットが当たり、マヤのアカペラが始まる。
今回、マヤは独唱にイタリア式のベル・カント発声も取り入れていた。マヤのソプラノの高音が、まさしく、ベル・カント(美しい声)であった。
紅天女、登場である。
観客の喝采をものともせず、華麗な衣装と被り物を纏い、雲の上を滑るように紅天女が歌いつつ舞台中央に進み出る。
ホリゾント幕に、照明で梅の木が描き出される。
宝塚らしい重厚な舞台装置を想像していた客達の予想は見事に裏切られ、ごくシンプルな、天女の存在感のみが、舞台空間に悠々と広がった。
その幻想美。
それは、マヤの若い日に、梅の里で師・月影千草の一人舞台を観た時と、同じ夢想を、描き出していた。
演出にも、マヤの意志が多く反映されているのであろう。客席の真澄にも亜弓にも、マヤの意図が、ひしひしと伝わった。
あの日の梅の谷の千草を、マヤはこの公演で再現するつもりなのだ。
ならば、歌劇は、最も適切な表現方法と言えた。
全台詞が、歌唱。その抽象性が、あの日の千草を伝えるのに、最も適していた。
宝塚の名を借りた、マヤによる月影千草の再現。真澄達にしてみれば、してやったり、の、マヤの快挙であった!
  母音独唱から、聞き慣れた冒頭の台詞、「誰じゃ 私を呼び覚ます者は 誰じゃ……」が、これ以上はない的確なメロディに乗って、マヤに歌い継がれる。
この時点で、真澄は、この公演の成功を確信した。
あとは、歌劇団生徒の努力である。
それがなかなかどうして、20代半ば中心の女性のみによるとは思えぬ迫力と実力の程が披露された。
これは、相当マヤの影響大だなと、真澄は得心した。
マヤを中心とした演技の円が幾重にも重なり、円の求心は、常にマヤに向かっていた。
そのバランスは、僅か一ヶ月程度の稽古で為し得るとは思えぬほどの出来であった。
確かに、マヤの言ったとおり、生徒の実力は、総じて底上げされている。これは、楽しみな公演になった。真澄は満足していた。
梅の谷のあの日、傍らにまだ生前の紫織を伴って、月影千草に魅入られたかつての時。今日のこの日を、よもや真澄は想像だにしていなかった。

途中30分の休憩を挟んで、3時間に及ぶ歌唱劇のクライマックス、
一真と阿古夜の対決は、出色の出来であった。
もともと、ごくごく下級生の頃から、彩吹は歌唱力で出世した生徒だ。
切々たる恋心を歌い上げながら、合い矛盾する殺意との二律背反を、巧みに全身全霊で表現していた。
所作事も、美しく決めている。
女性の演じる男ゆえの、不可思議な透明感。
男役を窮めるほど現れてくる、性を超越したこの世成らぬものの魅力。
それが、紅天女世界に、もののみごとにはまった。
マヤの阿古夜に、充分拮抗する、その存在感の不可思議さであった。
通常公演で生の男優の演じる一真よりも、マヤの紅天女が、より凄絶に天女として映える。
これは、収穫だった。今後の『紅天女』に、よい結実をもたらすだろう。
彩吹の渾身の斧が、一瞬早く姿を消したマヤの阿古夜のいない空間に向かって、振り下ろされる。暗転。無音。
静寂のなかに、読経が小さく響いてくる。そこからあとは、宝塚独自の、フィナーレである。
通例のラインダンスこそ省略されたが、『エリザペート』同様、『紅天女』にも、フィナーレは演出された。
大階段を梅の谷に見立てた、精霊達の群舞。また、孤高の仏の道をゆく、男役の揃ったダンスを従えた彩吹・一真のソロ独唱。
さらに、8人口の2・3番手男女群舞の間に彩吹が早変わりして、大階段を使った、彩吹とマヤの、情熱的なデュエットの洋舞。
これぞ、宝塚、の華麗さであった。
『紅天女』、にも関わらず、宝塚、おそるべし、といったところだろう。
ひと頃の純名理紗を彷彿とさせる、若き研1生による主題歌エトワールがあり、フィナーレパレードも、きっちりと通常公演通り、結びつけられた。
マヤはまるで10年も宝塚の生徒をやっているかのごとく、ごく自然に周囲に溶けこんでいた。
マヤがシャンシャンを持って、銀橋でパレード。真澄は、さすがにこれには笑った。
マヤはそれに舞台上から気づいていたが、満面の笑みはくずさなかった。しかし、内心は、あとで文句の一つでも言わぬことには気が済まない。
  無事、滞りなく、宝塚版『紅天女』は終演となった。初日の例によって、下りかけた緞帳が途中で止まり、再び上がって、初日の舞台挨拶となった。
組長の挨拶に続き、トップスター・彩吹の挨拶、彩吹のエスコートで、マヤが挨拶に立った。
  「みなさま、本日はこの宝塚歌劇団による『紅天女』を、お楽しみいただけましたでしょうか」
そこで、パンと、拍手が切られる。劇場一杯の喝采となる。
  「わたくしが上演いたします通例の『紅天女』は、今日ここに新しく生まれ変わりました。宝塚歌劇団のみなさまに、心からの感謝を申しあげます。」
堂々たるマヤの晴れがましい姿である。
真澄には、いつにまして誇らしい。宝塚歌劇団をしてマヤひとりが席巻したのだ。
再び主題歌の演奏があり、二度目のパレードを終えて、緞帳が下りた。が、カーテンコールの拍手が止まない。
この日、東京宝塚劇場の緞帳は、3度、上がっては下りた。



  上級生から順に風呂を使い、着替えて楽屋出をしていく。日比谷劇場街にズラリと整列したファンクラブたちが、「出待ち」をしている。
真澄は楽屋口に黒塗りの車を手配させていたが、マヤは他の生徒に倣って、同じように、帝国ホテルまでの短い歩道を歩くことにした。
初日のこの日、マヤが出てくると、ファンクラブたちから、拍手が起こった。マヤは嬉しい驚きとともに、その短い幸せを満喫した。
宝塚のファンの人達って、徹底してるのね。
トップスターと同年齢の大女優に、ファンたちもまた、心酔させられていたのだ。
もとより、宝塚には、ファンとスターとの温かい交流の長い習慣がある。


  帰りの車中、マヤは早速真澄に食いついた。
  「なんであそこで笑うのよ!いいじゃない、私がパレードやったって。」
  「それはそうだが…ハハハハ」
真澄は声を上げて笑った。真から楽しげである。
  「そんなに見物だったわけ?」
マヤは拗ねる。真澄の笑いはまだ止まらない。
  「いや、きみ…アッハッハッ…」
  「いいわよっ。笑ってなさい!フン!」
マヤはそっぽを向いた。確かに、真澄が笑う通り、究極に内輪ウケなのだが、マヤとしては真面目に仕事をしたつもりだったから、余計に腹が立った。
いいわよ、明日からはこの人は観ないんだから。あら、でも麗たちにも笑われちゃうのかしら…。それは心外な気が、マヤにはした。


  帰宅すると、英介の容態が悪化したとのことで、急遽そのまま車を入院先に向かわせた。
役者は、親の死に目にも遭えない、という。因果な職業である。


  昏睡状態が続くだけだったが、絶対安静、面会謝絶はしばらく続くだろうとのことである。
英介なくして真澄はなく、真澄なくして、マヤはないのである。
大事な人を、またマヤは失おうとしていた。好事魔あり。

  「お義父さまに、観て欲しかったのに……」
マヤは真澄の胸で泣いた。真澄も引き締めた唇が歪む。ギリっと歯を噛み締めて、真澄が言った。
  「義父のことはまかせなさい。君は明日も早いんだろう。今日はこれで帰ろう。明日からは俺が充分手を回しておく。」
悲しみを振り切って、舞台に向かう。それが、せめてもの英介の恩への、マヤに出来る唯一の報いだった。



  各界から絶賛を受けて、公演はいよいよ佳境に入っていった。
千秋楽まで残り、一週間。最下級生に至るまで、上達がありありと見られ、一糸乱れぬ宝塚らしい群衆歌劇が仕上がりつつあった。
英介は、依然眠ったままである。渦中の人、マヤは、すでに常々の「憑依」に憑かれたように、冴え渡った舞台を披露していた。
『紅天女』本公演3ヶ月のロングランに比べると、あっという間の日々だったような気が、マヤにはする。
まだ、演じ足りない、もっと演じたい。
すっかり仲間となった歌劇の生徒とも、もっと芸の交流を深めたい。
時間が、惜しい。
マヤはそんな思いに囚われた。
まだ、演れる。もっと私は演れる。その確信が、マヤにはあった。それを、この一週間に凝縮させるのだ。
全て燃焼させて、悔いなく、終えたい。
マヤのその執念が、舞台全体を全く凄絶なものに変えていった。
一期一会の、稀有な瞬間瞬間が、舞台に流麗に流れていく。流れ、流れてとどまりようがない。
宝塚の生徒たちは、何を持ってして北島マヤが「天才」と賞されるのか、身をもって理解していった。


  そして迎えた千秋楽。これで、もう一生立つことのないであろう舞台の、最後。
マヤの深い思いのたけこめた、魂傾けた唯一無二の、全力の熱演であった。
そのマヤの放つ舞台上の奇跡の輝き、それをこの千秋楽の日に目にすることのできた観客は、まさに幸運な人々であった。
真澄は、あらためて、マヤをいかに支えて行くか、意を新たにする思いの、千秋楽だった。
鳴りやまぬ喝采、歓呼のどよめき、人々の熱狂。
生徒たちは、マヤの舞台挨拶に、舞台上で偽らず涙を流した。
日比谷劇場街を埋め尽くすファンに見送られて、マヤは宝塚版『紅天女』を演じ終えた。演劇史に、また新たな一歩を印して。




  その足で、マヤは真澄と英介を見舞った。そして、その夜半過ぎ、英介はまるでそれを待っていたかように、眠ったまま、永眠した。
『紅天女』によって、えにしを得た、マヤにとってはこの世で唯一、父と呼べる人の、静かな最期であった。
  英介の死で締めくくられたこの公演は、マヤの生涯で忘れられない数少ない舞台となった。真澄にとっても、全くの同様である。




  2年後―――。大都芸能が、宝塚歌劇団に対し『エリザペート』上演権許諾に動いた。
主演はもちろん、北島マヤ。一路真輝以来の、外部許諾である。
正式な上演許諾は得ないものの、すでに内諾は周知の事実である。先々年の『紅天女』の成功からして、否やはありえない。

  マヤは、まさしく10年越しの、夢を叶えたといっていい。
34歳。女優としてマヤは名実共に絶頂期にあった。
次の舞台が、マヤの天性を誘ってやまなかった。








終わり

2001/2/9


 

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