written by papipapi



Chapter 1  <近くて遠いチョコレート>


“コンコンッ。”
カツン、というハイヒールの音と共に水城が社長室に姿を見せた。

「失礼致します、社長。お薬をお持ちしました。」
「ああ水城くん、そこに置いてくれるか。わざわざすまない。」

水城が持ってきたのは、胃薬の箱だ。
表面のラベルにデカデカと書かれた『ザスター11 医療用成分配合』の文字が
今の速水には、オーバーながらも少々神々しく映った。

…そう、前の晩から速水は、原因不明の胃痛に悩まされている。
自宅でも胃薬を飲んだものの一向に良くならず
昼前には更に痛みが増すに至り、仕方なく秘書室に内線を掛けた次第であった。

「社長、大丈夫ですか?今朝ほどからお顔の色が優れないようですが…。」
「いや、大したことはない。だが昨晩からどうも胃の調子が今ひとつでな。」
「まあ、珍しい事。普段は風邪一つお召しになりませんのに。
 ここ最近のお仕事振りを拝見すれば、胃も荒れようとは思いますが…。
お酒かお食事でも過ごされたのですか?」
「いや、ここ1週間は接待も入ってなかったからな。逆に酒も食事も控えてる位だ。」

水城の指摘通り、ここ数ヶ月速水が背負う業務は質量ともに尋常ではなかった。
というのも昨秋の『紅天女』試演後、速水は“二代目紅天女”北島マヤと
漸く想いを通じ合わせ、鷹宮紫織との婚約を解消するべく動き始めていたのである。
しかし大規模な事業提携への影響は勿論、お嬢様である紫織の
尋常ならざる執着や嫉妬も手伝い、事はそう簡単には進まなかった。
試演前に引き続き、先月末にも速水は紫織と会い再度婚約解消を申し入れたのだが、
紫織の態度は頑ななままであった。

更に互いの立場もあって、仕事以外では殆どマヤに会えない。
その現状も、思いが通じた今となっては
却ってストレスを増幅させる原因となっていたのである。

“流石の俺でも、胃潰瘍の一つや二つできていてもおかしくないが…”

まあ、無理もないであろう。
人呼んで『仕事の鬼』『冷血漢』。仕事のストレスには極めてタフと自認するこの男。
だが、『愛を失う女の狂気』『愛に溺れる男(=自分)の恋愛感情』という難題には
これっぽっちの免疫も無いのだから…。

「真澄様、酒や食事が原因でないなら、胃腸に問題があるかもしれませんわ。
業務を調整して、医師の診察なり検査なり受けられますか?」
「今日の夕方までの業務はどうなっている、水城君?」
「夕方まで、でございますか?午後2時から築報堂の社長との会談、
恐れ入りますがこちらを外すのは困難ですわ。むしろ夜の御予定…ぁ!!」
そこまで口にするや、水城は口ごもり、押し黙ってしまう。

「そうですわね、よくよく、お察し致しますわ。御事情は…。
しかし真澄様、御無理の余り病気になられたら却ってあの子に心配をかけますわ?
マヤちゃんに事情をお話して御予定を変えられては…」
「いや、マヤとの打合せは予定通りだ。
マヤも稽古や本公演準備で多忙だし、何より初の重要スポンサー廻りの打合せだ。
ここは絶対に変更はない!夕刻までの調整が無理ならこのままだ。
何、たかが胃炎、大丈夫…つっ。」

たかが胃炎だと自分で見栄を張っておいても
本来端正な筈の顔のゆがみっぷりが、速水の痛みのレベルを如実に表していた。

そもそも、スポンサー廻り自体開始が一週間も後である上、
メールか電話で水城が速水&マヤの予定を調整するだけで済む話なのだ。
にもかかわらず、速水が半ば強引に『今日の夕方以降』の時間帯にマヤとの打合せ、もとい、
マヤと会う『だけ』のための予定(=大義名分)をねじ込んでいたのである。

「しかしやはりお具合が…。マヤちゃんとの打合せは来週はじめなら変更可能ですが。」
「しかしもかかしもない!今日はこのままだと言った筈だ。」

どこまでも予定変更には頑なな速水。
強情さもここまで来ると手の付けようがない…と、
諦めの表情を浮かべる水城であったが、それでもなお口を差し挟んだ。

「真澄様、別に『例のもの』ならば今日でなくともよろしいではありませんか。
今日でも数日後でも、マヤちゃんの気持ちが変わる訳ではありませんわ。」
「な、何のことだ?」

…そう、この敏腕秘書にはとっくの昔にバレているのである。
速水とマヤが両思いだということも。
更には速水が今日を心待ちにしていたことも。

で、胃痛に耐える上司を暖かく見守っていたは良いが、
余りに頑なな彼を見かねて、とうとう『例のもの』を口するに至ったという訳である。
瞬間、痛みで青白んでいた筈の速水の表情は、面白いように真っ赤に転じていった。

「よ、余計な邪推は無用だ、水城君!
今日の予定は純粋に仕事の打合せだ。公私混同と思われるのは心外だな。
ともかく薬は有難く頂くよ、下がりたまえ。」
「はい、社長。失礼致しますわ。
何かございましたらまたお申し付け下さいませ。」
水城はほんの僅かに眉を顰めつつも、静かに社長室のドアを閉め、退出していった。

“くっ、やっぱり図星か…”。

『今日の夕方以降』の打合せには勿論、理由が存在する。
それも邪推どころか、水城の予想ズバリの理由が。

“冗談じゃない。ここで打合せを中止にしたら
マヤが『チョコレート』を持ってきても受け取れないだろうが!
今日という日でなくては、何の意味もないんだ。
水城君は非常に優秀だが、やはり男女の微妙な情緒には疎いのが、玉に傷だな。“

速水は自分の女性の扱いの拙さを棚に上げて、心の中でひとりごちた。
…そう、実は今日は2月14日。
世間でいうところの『バレンタインデー』
当日である。

バレンタインデーにあたっては当然毎年の様に、
女子社員や所属女優・取引先から義理チョコ(→その大半は本気モードだ)が届いていた。
未だ諦めきれない紫織からも『ご一緒にお出かけしたい』と言われていたのだが、
特段チョコを好まない速水はそれらには目もくれなかった。

“マヤ…俺は、君からの〜できれば『本命』の〜チョコ唯一つ、それだけあればいい。
他のはどうでもいいんだ、秘書課でも誰でも適当に食ってくれればな…”

PC上の東証適時情報開示閲覧サービス画面と机上の日銀短観の書面に
目だけは一応、しっかり固定する。
だがその実、速水の頭の中は、マヤが持参するであろう?チョコの事で一杯であった。

何せマヤからは本命どころか、義理チョコさえも唯の一度ももらった事が無い。
マヤとの関係自体は、足掛け8年以上に及ぶとはいえ、その大半は反目の日々であった。
マヤが短期間大都芸能に所属したこともあるが、確かバレンタインの季節ではない。

しかし、今年ばかりは状況が違う。
何せマヤとは先月、目出度くも長年の悲願であった
『紅天女』上演権管理預託契約、及び所属契約を締結したばかりなのだから。

“表向きでも俺とマヤは『所属事務所の社長と所属女優』、
そして表沙汰にできないとは言え、俺とマヤは『相思相愛の関係(多分)』。
今年期待せずして、いつチョコを期待すると言うんだ!“

「今日ばかりは、マヤとの打合せが終わるまで倒れてたまるか!…あいたたっ!」

自らの意思とは無関係に段々と程度を増す胃痛の苦しさに悶々としながらも、
マヤが持参するであろう初の『彼チョコ』への期待に胸を熱く滾らせ(笑)、
何とかして夕刻までの約半日を乗り切ろう、と速水は決意を新たにしていた。


そして、速水にとって、長い長い数時間が経過した。

午後の築報堂社長との会談でも表向きは何とかクールフェイスを装ったが、
『タフな仕事虫』を自認する身にも、肉体的な辛さは既に臨界点レベルである。
折角水城が用意してくれた強力な胃薬。
しかし薬は何の効果もみられないどころか却って胃痛は激しさを増すばかりだ。
しかも…微かに吐き気まで感じ始めたのは、気のせいであろうか。

“『ザスター11』なんてヤブ薬じゃないかっ!!
水城君の薬選びのセンスは一体どうなってるんだっつ…ううっ。”

何の罪もない敏腕秘書の水城。何の罪も無い胃薬。
気の毒な彼女たちに思い切り八つ当たりをせざるを得ない程、
速水の胃腸には病魔の影?が忍び寄っていた。

苦痛の中でふと外を見やれば、
頭上の空が茜色と灰青色のコントラストを描いている。
時刻は、夕方5時45分。マヤとの打合せ時刻まで、あと15分に迫っていた。

“それにしても我ながら我慢強いことだ…。あと少しの辛抱じゃないか。
もうじきマヤも来る。打合せなんぞ10分やそこらで終わらせればいい。
マヤからチョコレートをもらうまでは、絶対、粘ってやる!“

本当なら打合せ後、バレンタインの御礼と銘打って(こじつけて)
さっさと会社をバックれてマヤと食事に行こうと目論んでいたのだが、
従来の胃痛と吐き気に加えて胃腸の痛みが次第に移動する感覚にさえ襲われ、
流石の速水も食事は諦める外無かった。

“せめてチョコGETとスポンサー挨拶(←デート付)の目処はつけてやる!”
最悪のタイミングで異常をきたした己の体を呪いながらも
何とか気合を入れなおした瞬間、手元の内線が鳴った。

「社長、水城です。お加減はいかがですか?」

激化する痛みを紛らそうと、速水は再度、何の罪もないこの秘書にチクッと一言挟む。

「ああ、何とかな。『ザスター11』はどうも俺には合わないようだ。
吐き気がして胃の痛む所が移っているのが気がかりだが、今日中は大丈夫だろう。」
「まあ!…実はマヤちゃんが下の受付に到着していますが、お通しして大丈夫ですか?」
「当たり前だろう。主役なしでどうやって打合せするんだ?」

尤も、百戦錬磨の敏腕秘書に、その程度の皮肉が蚊の一刺しほども堪える訳もない。
見事なまでの秘書のスルーに返り討ちされつつも、速水は何とかクギを刺した。
「水城君、マヤに俺の胃の事は絶対に言うなよ。心配するからなあの子は。」

胃の具合が悪いなどとマヤが知ったら、今もなお妙に他人に気を使う彼女のことだ。
チョコを渡さずにとっとと帰ってしまう恐れもある。
そんなことになったら、速水にしてみれば
今日半日間の我慢と脂汗が全く持ってムダになってしまうのだ。

「…承知致しましたわ、真澄様。飲み物はいかがなさいます?
コーヒーでは余りにきつうございましょう。
マヤちゃんと同じミルクティーか煎茶、ハーブティーがございますが。」
「ああ、そうだな。俺もマヤと同じものでいい。」
「承りました。では準備致します。マヤちゃんもじき社長室に着きますので」
ぷちっ…内線が、切れた。

程なく可愛らしいローヒールパンプスの足音が響き、扉がノックされる。
「どうぞ」
速水が応えるとそっと扉が開き、マヤの小柄な体がひょっこり姿を見せた。

「失礼します!
こんばんは速水さん、じゃなかった速水社長、宜しくお願いしますっ。」
「ああ。元気そうだな、マヤ。
今日の打合せは二人だけだから言いかたも普通でいいぞ。」
「そ、そうですか?じゃあ『速水さん』にします。ここ昔から何度も来てるのに、
何か仕事だと思うと妙に緊張しちゃって。変ですよねっ。」
マヤはそう言いながら、ほんのり頬を赤く染める。

“こういう所が可愛いんだな、マヤは。すれていないというか…”

良くも悪くも今時の若い女子、とりわけ芸能人らしからぬマヤの風情。
以前よりおしゃれしているとはいえ、
シンプルなブラウスにセーター、フレアースカート。ごく薄い化粧。
『紅天女』になっても相変わらずの地味女優、といわれる所以ではある。

だが良くみれば地味な装いのマヤに潜むのは、鮮烈な『素材美』に他ならなかった。
真っ白な肌、さらさらの真っ黒なヴァージン・ヘアー、マスカラなしでも大きな瞳、
服の上からも判る豊かな胸、小鹿の如く筋肉の付いた細い美脚…、
派手派手の女優ばかり見慣れた速水には、彼女の素朴な愛らしさが、目に眩しい。

そして見惚れつつもさりげなく見れば、マヤの手には普段より一回り大きな鞄が。

“おっ、マヤのこの鞄…これは期待通りってことか?”

そう思うだけでこみ上げる嬉しさを抑えきれない速水。
気まで大きくなってしまい、ついつい持ち前の癖(註:対マヤ限定)が顔を出す。
…そう、好きな相手には口が悪い→シャイな(?)男性お決まりの、アレである。

「おいおい、その程度で赤くなるとは。
いつもアポなしでここに来襲していた豆台風チビちゃんとも思えないセリフだな。」
「速水さんっ!あたしだって一応ちょっとは成長してるんですよ!
昔のことからかわないで下さいっ。ホント今でもいじめっ子、デスネ…。
もう、いいです!どうしようかとあたしさんざん迷ってたのに…」
「どうしようか、とは何のことだ?ん?」

勿論、『何のこと』どころか、喉元まで言葉がこみ上げているのであるが…。

“『チョコあるんだろう、マヤ?早く、くれ!!』”。

しかしマヤより11歳(←マヤの誕生日前だから正確には12歳)も年上のいい年した大人が
仕事そっちのけでチョコに執着するのもどうにも外聞が悪く、はばかられる。

とは言え、素直に『チョコを期待していいのか?』位言っておけばよかったものを…。
この妙な速水の見栄は結果論から言えば、完全な裏目に出た。
勿論、速水はまだそのことに気づいていないのであるが。

「もうっ!別に何でもいいじゃないですか!何でもありませんっ。」
あたしの顔が赤いって言うなら速水さんこそ今日は顔、青いじゃないですか!?」
「えっ?」
「『仕事虫』は働きすぎて脱皮したら青くなった、って言われちゃいますよ!」
「そうか?青いってのはいくらなんでも…気のせいだろう、マヤ。」
「そうですか?速水さん最近すごく忙しいって水城さんも言ってたし。
無理して倒れちゃったらと思うとあたしハラハラしてしまって…。
役者じゃなくても身体が資本ですよっ、速水さん。」
「マヤが気にしてくれるのは有難いが、幸か不幸か、俺はどこも悪くないぞ。」
「ならいいんですけど。打合せしたら、あたし早めに失礼しますからその分、
お家でぐっすり眠ってくださいね!絶対疲れてるんです、速水さん。」

マヤの言葉に、瞬間、速水は自分の不用意な一言を悔いた。
“しまったっ!!
マヤの意識がチョコからフェードアウトしてしまったじゃないか!“

どうやらマヤは、打合せ前にチョコを渡すか後で渡すか迷っていたらしいのだが、
速水の顔色が心配で気もそぞろの様子である。
心配してくれるマヤの気遣い自体は想いが通じた故のものでもあり、
以前の悪口の応酬と比べれば天と地ほどの違いに、それはそれで嬉しい。だが。

ズキ、ズキ、ズキン……

悪い事に、折角マヤ登場で僅かの間速水の記憶から遠ざかっていた件の胃痛は
マヤの気配りの言葉とともに、再び胃腸の奥底から怪しい響きを発し始めた。
一瞬、遠のく意識。

ズキン…
追い討ちをかけるように鳩尾の下辺りから脳髄の奥深くへ、一段と強い衝撃が貫く。

うっ、痛たたたっっ!!
流石の俺も限界だろう、これは…。とにかくもう猶予が無いっ!!
早くチョコだけでも、例の挨拶廻りの件だけでも何とかせねばっっ!!!“

「…速水さん。あの、どうしたんですか?
やっぱり何かボウッとしてるみたいですけど、大丈夫ですか?」

マヤの言葉に、一瞬遠のいた意識が再度、引き戻される。
なおも心配そうな表情のマヤに、速水は慌てて紙を手渡した。
「君も心配性だな、マヤ。君と一緒だから少しばかりホッとしているだけだろう。
 それよりこれが来週から月末迄の挨拶廻りのスケジュール表だ。
 予め黒沼さんには稽古の予定を確認しているから問題ない筈だが、どうだ?」
「えっ。そんなぁ…あたしなんかででも、ホッとできてます?」
マヤは速水の様子ばかり気になるのか、折角渡した表にはまるで目が行っていない。

「当たり前じゃないか、こら。
『あたしなんか』じゃないって前も言ったろう、マヤ。
目の前にいて『仕事虫』の俺がホッとする相手など、君以外いない。」
「そうですか?ホントにそうなら、良かったです…えっと…」

こんなささいなやりとりにも、やっぱりほんのり頬を染めるマヤ。
チラチラッと互いに視線を送りあうその場の雰囲気が
何となしに良い感じになってきてるのも、気のせいでは無いように感じられる。

“ああ、やはり可愛い。マヤ…
打合せ中でも仕事中でもどうでもいい。もうこれはギュッと抱きしめて…
ラブラブモードIN&チョコGETとこなければ、男がすたるではないかっ!”

下手なプライドでもってチョコを我慢し、打合せを優先させた事などすっかり忘れ、
速水がマヤに両の手を伸ばしかけた刹那、

うっ……!!!

体内の全ての胃酸が一気にこみ上げるがごとき吐き気と、
胃腸の収縮を一層促進させる地鳴りのごとき鈍痛が、もろに速水に襲い掛かる。

「速水さんっ?」
「い、いや。ちょっと…足のマメをつぶしたようだ、マヤ。」
「え、マメ? ヘえ〜っ速水さん意外ですね!マメできやすい方なんですかぁ。
だからさっきからちょっと変だったんですね!
ごめんなさい…あたし全然気がつかなくて。
マメって、営業さんとか歩きっぱなしの人がよくできるって思ってて。」

“うう。胃も痛むが心も痛む…
こんな俺のミエミエのウソでさえ本気で信じてしまうとは、マヤ…”

よりにもよって年がら年中社用車移動の俺だぞ、マメなぞ100年経ってもできるか、と
自分に突っ込みつつ、こんな言葉さえ本気で信じるあたり
いかにもマヤがマヤたる所以ではある、と密かに悦に入る速水。
だが如何せん、半端なき痛みは、徐々に彼から気力を奪いつつあった。
“な、何とかせねば…”
痛みに支配される意識でぼんやりと思ったところに、タイミングよくノック音が響く。

「失礼致します、お茶をお持ち致しました。」
水城が二人分のミルクティーを整えて、部屋に入ってきた。

「あっ水城さん、こんばんは!!」
「マヤちゃん、いらっしゃい。打合せお疲れ様。飲み物、いつもの…で大丈夫?」
「はい!水城さんのミルクティー本当に美味しくて。あたし大好きなんです。」
「有難う。ホントマヤちゃんには淹れがいがあるわ。
 マヤちゃんに美味しく飲んでもらうように頑張ろうって、いつも思うのよ。」
「水城さんも忙しいのに有難うございます。頂きます!
 …あれ、ミルクティーが二つ?速水さん、いつもコーヒーじゃなかったですか?」
「ふふっ、今日は社長がマヤちゃんに合わせるっておっしゃったのよ、珍しいこと。
そういえば今日は14日ね、2月の。だからじゃないかしら。ね、マヤちゃん?」

『2月14日』のキーワードに、またも頬を赤く染めて俯くマヤをよそに、
水城は速水の方を向いて、さりげなく目配せを寄越した。

それにしても、何たる手際の良いことか。
猛烈な痛みの中、速水は呆然と二人の遣り取りを聞くにまかせつつも
僅か1分弱で、胃腸の件はきっちり隠しつつ話題をしっかりバレンタインへシフトする
秘書の辣腕?に、いたく感心していた。

恐らくは速水の状態から、ろくに打合せが捗っていないと踏んだのだろう。
実際その通りであるし、水城の少々余計な配慮も今日は渡りに船ではあるが。

“マヤがらみでは水城君に尻を叩かれてばかりだな、俺は…”

大事な場面で水城に叱咤激励されつづける自分の不甲斐なさに、溜息を付く。
そんな速水の様子にはお構いなしに、水城は更に話を打合せ内容へ踏み込ませた。

「あ、マヤちゃん。打合せスケジュールの表、社長から頂いたのね?
 細部は社長の御要望を聞いて私が調整したんだけど、マヤちゃん大丈夫?」
「あ、はいっ!今頂いたところです。すぐ見ますね。
えっと、本公演初日3月10日迄に6箇所。速水さんとあたしで3回、
桜小路君と三人が2回、黒沼先生も一緒が1回。最初が2月20日…あれ、20日?」
「ええ。調整上の諸事情で21日から20日にしたのだけれど、20日無理かしら?」
「いえ大丈夫です。あたし20日誕生日なのでああ誕生日だな、ってだけで。」

タイミングよくマヤから誕生日の話が出たのをいい事に、
もはや意識朦朧状態に近い速水の代わりに、
水城は話を核心の話題(=速水的には、だが)に、グイグイと食い込ませてゆく。
その鮮やかさときたら、見事としか言いようがない程であった。

「そういえば!昔聞いたのに誕生日忘れてごめんなさい、マヤちゃん。
 20日は夕方前で終わるけど、彼氏かお友達と予定か何か、入れていたかしら?」
「そ、そんなぁ水城さん!!あたし彼氏とかなんてそんな、予定…ないです…
麗たちも2月後半は地方公演でいないし……(モゴモゴ)」

“何だその態度はっ。彼氏はここに、目の前にいる俺だろうがっ、マヤ!”
思いっきり、毒づく速水。
自分を見ずにただ恥ずかしがって否定するマヤの姿が、どうにももどかしい。

とは言えマヤ自身、水城が二人の事に気づいているのを知らない。
しかもマヤを『彼女』にできない原因はそもそも100%、
紫織と婚約までした速水にあるのだ。毒づいたところで仕方ない…
溜息をついたところに、続けてマヤがポツン、ともらした。

「あ、そういえば20日って、桜小路くんがどこか行こうとか何とか、言ってくれてたかも。」

“何!桜小路だとっ!冗談じゃない、あいつなんかに先手を打たれてたまるか!
…全く、こういう時だけ恐ろしく手回しが早い奴だからな。
マヤに四六時中モーション掛けている暇があったら、一真役の稽古でもしろっ!“
  
極限の痛みの中、頼もしい秘書の話しっぷりに、いざチョコに話が来るまで水城に任せて
おこうとしたのだが、今のマヤの言葉は速水にとってあまりに、『ツボ』にはまり過ぎた。
…そう。ここ1年間ほど速水を過敏にさせるキーワード、『桜小路』。
いてもたってもいられなくなり、速水は渾身の力で痛みを隠して
平静を装いながら話に加わった。

「マヤ、20日の予定がまだなら挨拶の後で俺に付き合ってもらうぞ。」
「えっ?突然どうしたんですか?あたしは大丈夫ですけど。
20日って何かありましたっけ?速水さん。」
「あるも何も、20日はマヤの誕生日だろう?
マヤの誕生日プレゼントを今年はゆっくり選びたいんだ、マヤと一緒にな。」
「え〜っ!!」
「え〜っ、て、俺と一緒では嫌なのか、マヤ?」

契約後は少しはましとは言え普段は滅多に一緒にいられない、マヤと速水の二人である。
てっきりマヤが喜ぶだろうと痛みをこらえて提案したのに、
意外なマヤの返事に速水は内心、ガックリと頭を垂れた。
“痛みに苦しむ俺に追い討ちをかけないでくれ、マヤ…”

「え、そんなぁ。嫌な訳なんてないです!
 でもあたし、もう一生分でも十分すぎる位、速水さんからプレゼント頂いてて。
 これでまたわざわざ一緒に買ってもらうなんて、贅沢すぎてばちがあたりそうです。」
「そう言うな、マヤ。紫のバラは俺が勝手に選んだだけだろ?
君の欲しいものを聞きながら選ぶのがいいんじゃないか。
何か欲しいとか、行きたいとかないのか、マヤ?」
「うーん、今欲しいものないんですよ…紅天女がちゃんとできればいいです、あたし。
 そうですね…あえて言うなら最近稽古忙しくて全然美味しいケーキ食べてないんです。
お腹一杯ケーキが食べられればそれであたし、すごい幸せになっちゃいます!!」

「そうか。じゃあ………ヴっっ…ぐぐっ…

今日一日、何度も何度もこらえていた臨界点が、その瞬間、速水に訪れた。
ドサっ。
…大きな音とともに、速水の大きな体が打合せ用テーブルの上に、崩れおちる。

「きゃ〜っ速水さんっ!!」
「社長!真澄様!」
マヤと水城、二人の悲鳴が社長室に響き渡った。

「速水さん、どうしたんですかっ!しっかり、しっかりして下さいっ!!
 水城さんどうしよう、速水さんさっきから顔色悪かったんです!」
「真澄様、お気を確かになさいませ!
マヤちゃん、ちょっとだけ真澄様について差し上げて!すぐ病院の手配をするわっ」

多少は速水の昏倒の原因に心当たりのある水城、流石にマヤより冷静である。
何箇所かに内線で指示を出し、マヤに声をかけるとすぐに部屋を飛び出していった。

「速水さん、まさか死んじゃったり…そんな、そんなダメっ!目を開けて下さいっ!
あたし、あたし今日頑張ってチョコ作ってきたんですよっ!速水さ〜ん!!」

“マヤ、チョコをくれる前に勝手に俺を殺さないでくれ…。
にしても、何をやっているんだ俺は…もう少しでチョコだというのに。
 うう、痛い…体が動かん。折角マヤが手を握ってくれているというのに。“

猛烈な痛みと吐き気とともに混濁してゆく意識の中で、速水は微かに認める。
半泣き状態で呼びかけるマヤの「チョコ」という言葉を…。
その言葉を耳にするや、速水の意識は徐々に彼方へと、遠のいていった。




Back/Next



SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO