♪きよしこの夜
 星は光り 救いのみ子は
 まぶねの中に 眠りたもう いとやすく
 きよしこの夜
 み告げ受けし 牧人たちは
 み子のみ前に ぬかづきぬ かしこみて
 きよしこの夜
 み子の笑みに あしたの光
 輝けり ほがらかに
 アーメン

晴れて真澄と結婚したマヤが、初めてふたりで迎えるクリスマス。
マヤは速水邸のふたりの居室に、ツリーを飾った。
電飾は夢幻のように点滅し、煌めくたび、緑の葉にとりどりのオーナメントの影を落とした。
華やかなリースをドアに掛け、テーブルには4本の燭台に蝋燭をかかげ、
毎週1本ずつ、日曜の夜ごとに火を灯していった。
部屋の明かりを消し、ソファで真澄の腕の中で、蝋燭の火を見つめて、ふたり、静かに更けていく師走の日曜の夜。
新婚のふたりには、甘く、熱い、その夜。
ときめく心臓。愛撫さながらの吐息。
真澄が、柔らかくマヤの手を握って、マヤの耳元に愛を囁く。
真澄は燭台を寝室に持ち込み、蝋燭の仄かな明かりのゆらめく中、火が燃え尽きるまで、夜通し、存分に、マヤを愛した。
火影に揺れる、マヤの若々しい、瑞々しい素肌は、真澄の指先に甘く溶け、そしてひととき、熱く燃え立った。
今日はその蝋燭の4本目。年の瀬も押し迫った、クリスマスウィークである。

伊藤音楽事務所が西暦の奇数年に恒例で招聘しているパリ木の十字架少年合唱団のクリスマスディナーショー。
帝国ホテルの宴会場にセッティングされたそのディナーショーに、真澄は業界のつてで
マヤとふたり分のチケットを確保していた。
おりしも、日曜のクリスマス・イヴ。
帝国ホテルでも、ツリーがきらびやかにライトアップされ、正装した人々は賑わい、どの笑顔も晴れやかだった。
クロークにコートを預けると、真澄はマヤをテーブルにエスコートした。
じきに、フレンチのディナーが始まる。
「キッシュロレーヌ」のアミューズから始まるディナーコース。「炭火焼きした鴨のフォアグラのテリーヌ」、
「たらばかにのロワイヤル トリュフのカプチーノ浮かし」、そして「オマールエビのトゥルテ ソースナンチュア」、
「えぞ鹿のノワゼット 野生の茸の香味焼き」、「デセール ノエル」と、各国から届く食材を熟練の技で調理したメニューが
次々給仕されて並んだ。
真澄はワインはコースとは別に、格の高い品をグラスで注文した。
「おいしい…!」
「だろう?」
マヤがワインに舌鼓を打つと、真澄はさもありなんと微笑んでみせた。
飲みやすい軽いボディの赤ワインは、料理の味を格別にひきたてた。
食後のコーヒーの香りも芳しく、マヤの他愛ないお喋りも弾んで、真澄が穏やかに相槌を打った。
食器もひととおり片づき、しばらくすると、25名の少年達によるコンサートの始まりである。
この伝統ある合唱団は、ピアノ伴奏を伴わない。全曲を合唱のみのアカペラで歌う。
およそ、8歳から12歳までの、変声期前の少年達である。
3大合唱団であるウィーン少年合唱団、レーゲンスブルク大聖堂少年合唱団に比べると、
彼らが女声に近いボーイソプラノを用いるのに対し、このパリ木の十字架少年合唱団は、独特の頭声発声である。
少年の声独特の、透明で澄明な響きが美しい。変声期直前の少年の声の、独特の輝くようなその響き。
燃え尽きる蝋燭の、直前の一瞬の耀きに、それは似ている。
コンサート前半は、白いくるぶしまでの聖衣に木の十字架を胸に下げた聖歌隊の扮装で、
クリスマスにちなんだ聖歌が10曲ほど厳粛に歌われた。さすがはカトリック教会出身の合唱団である。
フランス語はもとより、ラテン語、英語、スペイン語、ドイツ語。
マヤには歌詞は判らなかったが、その合唱の高い音楽性には、陶然と感動させられた。
特にデスカントをつけたソプラノの少年は、フランス語の母音の発音のたびにその唇は正確に動かされて、
彼が並々ならぬ知性の持ち主であることを知らしめていた。
短い休憩をはさんで、コンサート後半では、少年達は紺色のシャツと紺色の半長ズボン、白のハイソックスという
制服に着替え、聖歌ではない一般的なクリスマスキャロルの数々が歌われた。
25名で6声も8声もを歌い分ける。ソロあり、トリオあり、みごとに訓練された、歌唱の連続。
のびやかな歌声から、倍音が幾重にも会場に響いては消えていった。
声楽を本格的に始めたばかりのマヤにとっては、非常に学ぶところの多い、感銘深い音楽の数々であった。
ひととおりプログラムを終えて、アンコールには日本語で「クリスマス・イヴ」が歌われた。
この合唱団独自のアレンジで、達者な日本語だった。
コンサートは盛会のうちに終わり、会場にさんざめく拍手にマヤもまた、手を大きく掲げて拍手を贈っていた。
「素敵だった!あんな小さい子たちなのに、凄い実力だわね。」
クロークで興奮気味のマヤにコートを着せてやりながら、真澄が応える。
「勉強になったか?」
「うん、すっごく!ああ、あたしもあんなふうに歌えたらいいのに…!」
「芸術に年齢は関係ない。才能が自然と本人に努力を要求するんだ。きみも同じことだろう?」
「あたしも、あんなふうに歌えるようになるなら、なんでもするわ!」
正面ロビーから、玄関に迎えに出た車に、ふたりは乗り込んだ。
車は内堀通りから皇居をぐるりと半周し、半蔵門から新宿通りに曲がった。
街中のイルミネーションも、この日は格別に華やかだ。
「青山に回って止めてくれ。そこで降りる。帰りは車を拾うから、そのまま帰っていいぞ。」
真澄は運転士に声をかけた。運転士は察しよく受け応えた。
「表参道入り口でよろしいですか?」
「ああ。」
「なに?またどこかに行くの?」
「行ってのお楽しみだ。せっかくのイヴだからな。」
真澄の指示した交差点で、車は停まった。
「行くぞ。」
真澄はマヤを促して車から降りた。
「ほら、ごらん。」
「わあっ!」
表参道の枯れた街路樹には、クリスマスのイルミネーションがどの木にも施され、延々と参道いっぱいに並んでいた。
「綺麗……」
「ここは初めてだろう?」
「うん、凄いわ…」
真澄はマヤの肩をしっかり抱き寄せて、ピタリとマヤと体を寄せた。
「寒くないか?少し歩こう。」
日曜のクリスマス・イヴ。ライトアップされた名所には人出も多く、通りの店のショーウィンドウも遅くまできらびやかだった。
しっかりと肩を抱かれて、上質な皮の手袋を通してではあったが、
マヤには真澄の手の温かさが伝わってくるような気がしていた。
マヤも、真澄の腰に腕を回して、真澄に体をもたせかけた。
景色にうきうきと、華やいだ気分、そして、甘やかな酔いが、無言でもふたりを満たしていた。
同潤会アパートの華麗なショーウィンドウを眺めてゆっくり坂を下ると、じきに明治通りにぶつかる。
交差点の往来も賑やかだった。
幸い冬の夜風もなく、賑わった街中で、冬の夜の寒さも忘れてしまいそうだ。
「素敵ね…」
真澄の腕に頭をもたせて、うっとりとマヤが口にする。
真澄はフッと笑って、返事の代わりに、マヤを抱く腕に、力を込めた。
交差点を流れてゆく車のヘッドライトも眩しい。
夜のさなか、光の洪水。
明治通りを渡ると参道は原宿駅に向かって、ゆるやかな登りになる。舗道には、外国人が露店を出してもいた。
街路樹のイルミネーションに沿って、ゆっくりとふたりは歩いた。
閉店して明かりを落とした店の前、通りでそこだけ急に小暗くなった場所で真澄はふと、足を止めた。
そして、肩を抱いたマヤを街路樹に導くと、マヤの背を樹にもたせかけた。
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真澄は身をかがめると、マヤの手をとって、そっと、マヤに囁いた。
「キスだ…マヤ…」
「えっ…、こんなところで…」
「誰も構っちゃいないさ…」
言うが早いか、真澄はさっとマヤを抱きかかえると、
マヤのくちびるを素早く、そして柔らかくふさいだ。
夜気に冷えて乾いたマヤのくちびるに、ひととき、貪婪に真澄はくちづけた。
「…ん……」
マヤは真澄の情熱に、思わず圧倒される。
そしていつしか、真澄の背に両腕を回し、真澄に縋りついていた。
くちびるを重ねれば、そこはすでに、ふたりだけの世界。
電飾も夜気も雑踏も車の往来も、すでにふたりには存在しない。互いが互いに没頭し、世界は姿を変える。
マヤの胸に広がる、甘酸っぱい陶酔。マヤは真澄に導かれて、ひと刹那、夜の果ての桃源郷を遥かにのぞんだ。
冷えたくちびるも、次第に熱を帯び、心臓は早鐘のように、ひととき、熱くときめく。
やがて、真澄がそっとくちびるを離すと、マヤは軽い眩暈を覚えて、真澄の胸に顔をうずめた。
「続きは、帰ってからな。」
真澄の囁きが、やさしかった。
クリスマスに賑わう往来からタクシーを拾って、ふたりは自宅に向かった。
車の中でも、真澄はずっとマヤの手を握っていた。
ヘッドライトを浴びて浮かび上がる人の影。眩しさに目を閉じては次から次へと、光景は流れてゆく。どこまでも。
すれ違うどの車も、今日はまるで夢のようだ。
マヤは、黙って真澄の肩に頭をもたせかけた。静かな、満ち足りたひとときだった。

やがて車は速水邸に到着した。
ふたりは、それぞれの自室でシャワーを使い、夜着に着替えて、ふたりの居室に戻る。
真澄は使用人に申しつけて、部屋にシャンパンを運ばせた。
マヤは4本目の蝋燭に火を灯した。
クリスマスツリーの電飾が、今日は格別に華やいで見える。
真澄はシャンパンの栓を開けると、それぞれのグラスにシャンパンを注ぎ、片方をマヤに手渡してやった。
「乾杯だ。」
「メリークリスマス!」
マヤがグラスを掲げる。杯を合わせると、チンと鳴るグラスの音も美しい。
ふたりは喉ごしも爽やかなその杯を飲み干した。
マヤはグラスをテーブルに置くと、自室から運んできた、なにやら大きな包みを真澄に差し出した。
「真澄さん、これ。クリスマスプレゼント…。」
はにかみながら、マヤは催促する。
「開けてみて。」
「ありがとう。何だろう?」
真澄は、リボンで綺麗にラッピングされた包みを、丁寧に開けていった。
出てきたのは、手編みのカーディガンだった。モスグリーンの地に、縦横に白い星をあしらってある。
「これは…きみが編んだのか?」
「ふふ…昔、セーター編んだことあるの。子どもの頃に覚えたことって、忘れないものなのね。」
新婚で忙しい女優業の合間を見て手作りしたのかと思うと、真澄には、そんなマヤがいっそう愛おしくてならなかった。
真澄はガウンを脱いで、パジャマの上から、そのカーディガンに袖を通した。
「どうだ?似合うか?」
「ふふふ…」
真澄は照れ笑いするマヤを抱き寄せて、額に、頬に、髪に、唇に、キスの雨を降らせた。
「ありがとう…マヤ、嬉しいよ。大事に着よう…」
真澄はカーディガンを脱ぎ、元通りにきちんとたたんで、ラッピングに戻した。
「今まで、クリスマスなんぞ、俺には縁がなかった。だが、今はこうして、マヤ、きみと過ごせる……」
「あたしも…。こんなステキなクリスマス、初めて…。」
「それは良かったな…俺も忘れないよ…」
言って真澄は居室の明かりを消した。そして、軽々とマヤを抱き上げると、寝室に入っていった。
真澄はダブルベッドの羽掛布団をめくると、そっとマヤを横たえ、ベッドサイドランプの代わりに、
燭台を居間から運んだ。
蝋燭の焔はゆらゆらと揺らめき、これから始まるふたりの、長い、熱い夜を照らし出す。
真澄はマヤにゆっくり覆い被さると、深々とマヤに口づけ、
真澄のパジャマと揃いの生地の、マヤのネグリジェのボタンをゆっくり外していった。
「あ…ふ…」
真澄の指先に、マヤの素肌が敏感に反応する。
ふたりのクリスマスイヴの夜は、激しくまた深い愛の営みと交歓のうちに、ゆっくりと更けていった。

♪O come,all ye faithful,
 joyful and triumphant,
 come ye,O come ye, to Bethlehem.
 Come and behold Him,
 born the King of angles;
 O come,let us adore Him,O come,let us adore Him,O come,let us adore Him,
 Christ the Lord.
…Glory to God,in the highest,
 O come,let us adore Him,O come,let us adore Him,O come,let us adore Him,
 Christ the Lord.
(讃美歌第111番「神のみ子は今宵しも・O Come,All Ye Faithful 」 “Adeste Fideles”)

『いと高きところには 神に栄光があるように 地の上では み心にかなう人々に 平和があるように。』(ルカによる福音書)





終わり

2001/12/20


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