95000番ゲットpsyche様リクエスト:
       1.超甘甘(でも、最後まではいかない。一歩手前?)
       2.千客万来(主なキャスト、総出演)
       3.そして、ちょっとサスペンス仕立て
             ・・・というのをお願いします。
       あの典雅な文章で、このリクエストがどんな風に料理されるのかものすごく楽しみです。 
 ※ということで、以上の条件を満たしておれば、ストーリー他は私に一任されました。さて、どうしましょう(^^;ゞ  




  月影千草の遺志を継ぎ、マヤが尾崎一連脚色『紅天女』を30余年ぶりに演劇界に甦らせて、翌年。


 昨年の初演時はおりしも秋の文化庁芸術祭開催中の公演であり、マヤには芸術大賞、他主立った演劇賞を総ナメにした、それは記念の快挙であった。
今年は大都芸能では、四大都市縦断公演、と称して、4月から10月にかけ、東京、名古屋、大阪、福岡で、1カ月ずつの公演が予定されていた。
初演時、3カ月ロングランの日程を消化するうち、次第に神懸かりの演技に凄みを増していったマヤだったが、今年は再演、ということで、
また、新たな演技の幅が、注目されていた。その要求は、マヤのみならず、カンパニー全員、スタッフにも、及ぶ。
初演とはまた違ったプレッシャーもかかる、再演である。えてして、再演とは、そうしたものだ。


 まずは、皮切りの4月、大都劇場公演。
前評判でチケットは即日完売し、千秋楽はプラチナチケットと化した。
昨年の初演を観劇した観客も、また新たなそして、連年続けての感動を求めて、初日を待望した。
黒沼の指揮で、初日1か月前には、集合・顔合わせ。降り出しに戻って、日々熱い稽古が続いた。
晴れて、真澄と愛を成就したマヤは、今が演技人として迎えた初の旬。絶好調だった。
昨年、初演前に徹底して稽古された日舞が、さらに洗練された天女の動きをマヤに与え、真澄と交わす愛は、
阿古夜の恋の演技に大きく貢献し、迫真の恋情を生き生きと描き出した。桜小路も、一真役をさらに深め、マヤの練達に喰らいついていった。

 そして、迎えた初日。大都劇場ロビーは、開演前からさながら、熱狂の坩堝と化していた。
集う一般客の熱いどよめき、演劇界で名だたる人々の、津々とした舞台への注目。
大都劇場も、『紅天女』上演に当たっては、昨年から照明、音響、装置などの舞台機構を新たに新造していたが、今年はさらにバリライトも導入した。
バリライトで、舞台にはさらに幻想的な照明パターンが与えられ、いっそう深みのある日本の色を演出できることだろう。
衣装も、公演プログラムも、新たに手が加えられた。オーケストラピットにも、改築の手が加えられた。
1か月きりの公演とはいえ、広く世間の耳目を集めた以上、手抜かりは許されなかった。

 やがて、上演時間。
客席のライトが落ち、緞帳が音もなく上がる。
そして、マヤの発声を録音した効果音とともに、マヤの紅天女、登場。
客席からは、通常は無い拍手が、大きく湧き起こった。一種のアクシデントだが、マヤは超然とその拍手を受けた。
そして、訓練で倍音を身につけたマヤの発声で、今や誰もが熟知しているセリフが始まった。
「誰じゃ…私を呼び覚ます者は…誰じゃ…」
その一瞬のうちに、客席に、シン、と戦慄が奔る。そして、戯曲は始まった。真澄は、ひときわ感慨も深く、マヤをみつめた。



  無事、高評のうちに初日も出て、公演は順調にスケジュールを消化し、中日も過ぎた。
そうしたある日のこと。


 カンパニーの女役のひとりが、開演1時間半前の楽屋入り時間にはもちろん、ウォームアップ時間どころか、いつまで経っても出勤してこない。
開演30分前を切った時点で、黒沼は、代役を指示した。
カンパニーでは、その女役は村娘はじめ、南朝の朝廷舞台での女房役、精霊もこなす、脇役陣の固めどころの人物である。
芸名、篠田幸代、本名、野代美智子。好演プログラムにも、顔写真と配役表にきっちりと紹介されている。
代役には、代役待機組から大都に所属してまだ2年目の新人が抜擢された。
代役にとっては、絶好のチャンスである。誰かが休もうものなら、鵜の目鷹の目で、代役がそれを待っている。演劇界とは、そうした世界だ。
通常、舞台人というものは、熱があろうが疲労骨折しようが、捻挫の一つでもしようが、なにがあっても、舞台に穴はあけないものだ。
それが、いったいどうした理由があって、無断で舞台を休演するのか。

 黒沼は演出助手に指示して、篠田の自宅に連絡を取らせた。が、電話連絡はとれない、という。終演後、自宅を訪ねさせても、留守だった。

 翌日からも、篠田は劇場に現れない。事実上、「失踪」という報告が、真澄に寄せられた。公には、病気による役替わり、とした。
真澄は、スタッフ、キャスト全員に箝口令を敷いた。そして、ことの次第の究明に、急遽取りかかる羽目に陥った。
無論、ブンヤなどに嗅ぎつけられるわけにはいかない。警察沙汰にすることは論外である。

「真澄さま、これが篠田幸代の資料ですわ。」
水城が、社長室に、急ぎ、報告書をまとめさせて、届けた。
真澄は、素早く目を通す。
出身は、東北、陸中の地方都市。実家は、旋盤加工工場を営む、自営業、か…。大都に所属して10年。
真澄は聖を動かして、まずこの実家に当たりをつけた。その日の午後には、東北高速の聖から、連絡が入った。
「真澄さま、篠田の実家は、昨年すでに倒産しています。それには、どうやら、山口組の関与も疑われる模様ですね…。」
暴力団、がらみ、となると、義父・英介の長年往来の人脈を繋げてみる必要もありそうだ。…厄介なことになった…。真澄は、渋面に苦り切った。
真澄は自宅にとって返し、英介に助力を求めた。

「大都の女優ともあろうものが、何をやっとるか。そいつには、今まで不審な動きは無かったのだろうな?」
「勿論です、お義父さん。昨年も、カンパニーで好演しています。大都所属では、実績は充分の女優ですよ。」
「それがこともあろうに…『紅天女』に穴を開けるとは…。真澄、おまえの管理が甘い。」
「済みません、お義父さん。急ぎますので、上層部のご紹介を頼みます。」
「…わかった。あとで、社に連絡させる。おまえは会社に戻れ。」
「はい、お願いします。では。じい、車を回してくれ。」
すかさず朝倉が、運転士に連絡を入れる。真澄は自宅雇いの社員に見送られて、大都芸能ビルに戻った。

「会長の手はずは整いまして?」
水城が、コーヒーを社長室に運んできた。
「ああ。だがな、実家が失踪の理由とも考えられんところだが…。」
「と、おっしゃいますと…?」
「舞台人の、宿命のようなものだ、よほどの故障がない限り、舞台に上がってしまうものだからな。」
「では、篠田本人の体調の問題かと?」
「いや、まだ判らんが…。まずは、実家の情報を整理してからだ。」
その日の夜には、聖が、英介の人脈を通じて、山口組支部と接触しているはずだった。深夜まで、真澄は聖からの連絡を待った。



 篠田の実家は、確かに山口組の資金援助断絶の末、倒産の憂き目にあっていた。
だが、篠田本人がその時点及び現在に至るまで、実家に立ち寄った情報は、一切無いということだった。真澄は、急ぎ、聖を東京に呼び戻した。
すると、男関係はどうなんだ?真澄は資料には無い、厄介なプライバシー情報相手に、やれやれと、肩を竦めた。

 翌日。自分の車で仮眠した聖に、真澄は今度は篠田の自宅を探らせることにした。環七沿い、世田谷代田のマンションである。
聖は直接マンション管理人室に管理人を訪ねた。
住み込み管理人の、人の良さそうな老人が出てきた。
「あんた、野代さんの会社の人かね?」
「え、…ええ。そうですが。」
「野代さんの相方さんから、合い鍵を預かってるだがね。会社の人が訪ねてきたら、部屋を開けるようにってことだ。」
思わぬ結果の早い展開に、聖は東北帰りの寝不足も吹っ飛んだ。
「ああ、じゃあ、お部屋にお邪魔させてもらいますよ。」

聖は合い鍵を受け取った。聖独特の、忍びやかな足取りで、聖はエレベータホールからエレペーターを上がった。
合い鍵で、マンションのドアを開ける。微かな、消毒薬の匂いがした。

 部屋の中はおよそ生活感がなく、きちんと片づけられていた。引っ越し直前のように、おおかたの荷物も梱包されている。
そして、リビングの机の上には、3通の封筒。

家族宛、友人・知人宛、そして、大都芸能宛であった。大都宛には、封はしていない。
聖はそれを開けてみた。
篠田本人の自書と見られる手紙と、何やら、病院の診断書が一通。

聖は、その診断書に目を通して、そっと眉を寄せた。
「スキルス性胃ガン …… 埼玉県立がんセンター」と、あった。

 リビングテーブル脇のゴミ箱には、錠剤の殻が捨ててあった。聖も、銃創を負った時に服用したことのある、モルヒネの殻だった。
埼玉県立がんセンターは、ターミナルケア(終末医療)では、緩和ケア(ホスピス)及び在宅ケアに実績のあるセンター、と聖も聞き知っていた。
では、篠田はここのホスピスに入ったというわけか…。

自書の手紙に、ざっと聖は目を通した。

『黒沼先生 マネージャー、そして速水真澄大都芸能社長様。
 我が儘を通しまして申し訳ございません。昏睡状態に陥りましたら、その時点でホスピスに入る手はずになっています。
 なんとか、千秋楽までは頑張りたいと思っております。それで、悔いを残すことはありません。
 もし、千秋楽まで保たなかった場合、舞台に穴をあけます。申し訳もありません。どうぞ、後のことを、よろしく頼みます。
 今月公演は、死に行く者の、最後の希望でした。ご恩は忘れません。公演の災厄は、一切、私が背負って参ります。
 どうか、無事、4都市公演が成功しますよう。一足先に、あの世から見守っております。
  篠田幸代こと野代美智子。』

聖は大都宛の封筒を上着の内ポケットにしまうと、部屋に鍵を閉め、管理人室に戻った。
「管理人さん、鍵をお返ししますよ。また、社の者が来た時は、よろしくお願いします。」
「ああ、どうもご苦労さん。」



 埼玉県北足立郡伊奈町。聖は環七を回って、水戸街道に車を走らせた。
車の中から、そろそろ出社したであろう真澄に、プライベートのホットラインで、ことの次第を手短に説明した。
「これからホスピスに向かいます。篠田を世話している相方も、そこで落ち合えるでしょう。」
電話口の向こうで、しばし、真澄は沈黙していたが、
「了解だ。では頼んだぞ。報告を待っている。」
そこに、水城がコーヒーを淹れて運んできた。
「何かお判りになりましたの?」
真澄は一瞬、沈黙した。
「まったく…役者ってやつは…それがサガ、といえばそうなんだろうが…」
「篠田のマネージャに、実家に連絡をとるように指示してくれ。本人は埼玉県立がんセンターにいる。」
「…それは…真澄さま…」
「病状の詳しい状態は、じき連絡が入る。」
真澄はいささかシニカルに口にした。
「…絵に描いたような不幸、ということか…。」
水城は語尾でそれを諫める。
「真澄さま…」
「家業は倒産、華やかな芸能世界で実績を積んだ娘も、不治の病で早逝…。まったく、世の中いろいろだよ…。」
「そもそもが、絶対の価値、などというものは無いんだ。全ての価値は、相対的なものでしかない。絶対の幸福も、絶対の不幸も無い。」
「人間誰しもが平等、などと言うのは、戦後民主主義の誤謬に過ぎない。元来が、人間など、不平等な存在だ…。
 幸福に人並みな人生を全うする者もいれば、いかようにも挫折する者もいる。それで当たり前だ…。」
「ウチの社員には、皆、せめて人並みに幸福であってほしいものだが…。俺の目の黒いうちにはな。だが、今回のようなこともあるということだ…。」
真澄は煙草の紫煙を深く吸い込み、言葉の吐露とともに、ゆっくり吐き出した。


 一方、聖は当地に到着し、病室を訪れた。
「大都のかたですか?私は松竹の大森といいます。こいつと…つきあっていました…。」
すでに過去形、にしている。その男は30歳そこそこだろうか。
病人は、つい昨日まで舞台に立っていたとは思えぬ、顔色の蒼白さ。力を失った窶れ。「維持液」と記された点滴。酸素呼吸マスク。
「もう、譫妄状態になっても、舞台のセリフばかりで…。」
大森は震える語尾を押さえた。
「昏睡状態に入って、余命10日、とのことです。ちょうど、千秋楽です…。ご家族へのご連絡をよろしくお願いします…。」
「…判りました。お気の毒です…。お気持ちはお察ししますが、どうか、しっかり、最期までついていてあげてください…。」
穏やかに、聖は彼に話しかけた。
大森と名乗った男は、黙ってこうべを垂れた。



 その夜。
翌日は月に一度の1回公演なので、マヤは仲間達とゆっくり食事を済ませ、遅めに帰宅した。
シャワーを浴びて、軽くストレッチをする。と、電話が鳴った。
「はい。あ、うん、さっちさんのこと、なにか判ったの?え?」
「今から部屋に行く。マンションのすぐ下に居るから、鍵を開けておいてくれ。」
真澄はそれだけ言って、車から電話を切った。マヤのマンションの鍵は内外からの自動ロックになっている。
じきにマヤの部屋に真澄がやってきた。
「どうしたの?こんなに遅くに?人に見られなかった?」
湯上がりで薄着のマヤに真澄はさっと歩み寄ると、すばやくかき抱いた。
「…速水さん…?」
怪訝にマヤが尋ねる。
真澄の仕立てのいい背広の生地が、薄着のマヤの風呂上がりの柔らかい素肌に幽かに擦れる。
マヤの肩に頬をうずめ、もの憂い口調で、真澄が口にした。
「彼女だがな、末期ガンだそうだよ。すでに昏睡状態で、保ってあと10日。自分からホスピスに入っていた…。」
「そんな…まさか!」
驚いたマヤは、真澄の腕から逃れて真澄の顔を見ようとしたが、真澄はがっちりとマヤを抱き締めて離さなかった。
そのまま真澄はマヤを抱き上げると、リビングのソファに、マヤを抱いて腰掛けた。
「だって、昨日まで普通に舞台やってたのに…」
「緩和ケア、と言ってな。患者の苦痛を和らげることだけに主眼を置いた末期治療があるんだよ。それでも、限界だったんだろう…。」
「まったく…役者ってヤツは…」
真澄の顔は苦渋に歪む。
「そんなこと…信じられない…一緒に舞台、やってたのに…」
みるみるマヤの瞳が潤む。
「代役はどうなんだ。」
「…今日は初めだけ硬かったって。でも、うまくやったみたい…。でもなんで…。大事な仲間なのに…」
「大事な仲間だからこそ、篠田もギリギリまで粘ったんだろう…。」
「ほんとに?ほんとに、さっちさん、死んじゃうの?もう、会えないの…?」
「千秋楽から名古屋初日まで中4日で移動だ。出演者は葬式に出席は無理だろうな…。」
真澄も沈痛に、口にする。
「親の死に目にも遭えないのが役者という商売だ。仕方ないことだ…。」
「いいお姉さんだったのに…あたしのこと、可愛がってくれたのに…」
マヤは真澄の胸に取りすがって、ひととき、ひっそりと涙した。

「…マヤ…たとえなにがあっても、きみは俺より先に死んではダメだ…!」
真澄のその深い語調に、マヤは思わず真澄を見あげた。
「そんなこと…」
「ないとはいえないじゃないか…!なにがあっても、だ。いいな?…俺が生涯、愛する女はマヤ、おまえひとり……」
「きみなしの人生は、耐えられない…!俺は俺の信念で仕事をやってきた。だが、きみを失うくらいなら、そんな信念も曲げよう…!」
「速水さん……」
「マヤ…きみを俺のものにするまで、長かった。たが、ふたりで生きていく、これからの人生の方が、はるかにもっと長いんだ…」
「約束してくれ、決して、俺より先に死んだりしないと…!」
真澄にしたところで、今回の件は、他人事ではなく、真澄自身の深いところに訴えかけていた。
真澄は、マヤを強く抱き締めた。
「きみには、一流の医師団を、常ににつける。俺の手の届かないところに、ひとりで行ってしまわないでくれ…決して…!」
「…速水さんこそ、仕事で無理ばっかりして…。あたしだって、心配になる…。」
「俺も、マヤ、きみをひとりになど、させない。ずっと、俺達は一緒だ…なにがあっても…」

『死なば 恋が終わるとは思わぬ』

マヤは、ゆっくりと、一真のセリフを口にした。

「死んで別れても…?あたしたちは一緒なの?」
「…ああ、そうだったな…阿古夜と一真のように……。『魂の片割れ』…肉体が滅んでも…この想いは滅びることがない…。」
「マヤ…きみはまだはたちそこそこ、これから、真の人生を始める年だ。
 これからの人生で女優として大成して、いずれ「北島先生」と呼ばれ、『紅天女』の後継者を育てる…
 俺にしたところで、実業の世界ではまだまだ青二才だ。健康でありさえすれば、どんな人生だって、これからの俺達には開けているんだ。」
「志半ばで倒れることは、月影先生はしなかった。奇跡と、先生は言ったが、人間、全生命の限りを誠心誠意尽くして、叶わぬ役割などないはず…。」
「なかには、今回の彼女のように、定められた寿命がある者もいるだろう…。だが、マヤ、少なくとも俺たちは――」
「…速水さん…あたし…一瞬、一瞬、舞台の上で全力を尽くして、絶対後悔しないで、生きていたい…たとえその舞台で倒れても…。」
「ああ…。死ぬまで、俺が見届けてやる。マヤ…俺が…。マヤ、俺の…宝だ…」
真澄は、言葉を切って、マヤを抱え直し、深く口づけた。想いの丈こめた、熱い長い口づけだった…。



人の夢、と書いて、「儚い」と読む。
人生は、時に苛酷に人を支配し、時に優しく、人に儚い美しい夢を見せる。
一瞬確かに存在し、流れては消えてゆく儚い虹の舞台の光芒こそ、人生の最も美しい夢の暗喩のようだ。
その舞台の世界に、マヤが生命を全うするつもりならば、真澄は、全力で、それを支え、守り続けるだろう。
マヤと真澄、ふたりともに、遥かな、儚い夢を、生涯夢みながら。



 マヤが僅かに身を震わせて、真澄の口づけに反応した。真澄はくちびるを喉元から首筋に移していく。
マヤの胸元の、かぐわしい乳房の谷。そこに柔らかく口づけて、真澄は身を起こした。
マヤを抱き起こすと、真澄は立ち上がった。
「帰るの?」
「ああ。明日は一回公演だな。いい舞台にしてくれ。」
「…うん…」
真澄が身体を離すと、マヤはそぞろに寒くなった。真澄の体温に包まれていた暖かさ…急にマヤは無性にそれが、恋しくなった。
マヤは真澄にそっと歩み寄ると、自分から真澄の背中に抱きついた。
「うん?どうした?」
真澄はやさしく囁いた。
「離れると、やっぱり寂しい…心細い…」
それは、可憐なマヤの本心だった。
「ああ…俺もだよ…。一晩でもふた晩でも、マヤを抱いていたい…」
真澄は振り向いて身を屈めると、マヤにそっと口づけを返した。
「死の床で闘っている仲間もいる。千秋楽まで、いい舞台を務めてくれ。」
「…そうね、そうだわね…。わかった。頑張る。」
「おやすみ。よく眠るんだぞ…眠れるか?」
「…ひとりで眠れる、かな…」
「おいおい、そんなことを言われたら、帰れないじゃないか。」
「…大丈夫。ワインでも飲んで寝ちゃうから。…でも、…」
また、マヤは絶句する。そして、ひと刹那思いこめて、口にした。
「速水さん…あたし…あなたが好きよ…」
「マヤ…」

しぜん、引き寄せ合うように、ふたりは抱き合った。そして、口づけを交わす。
ああ、このまま時が止まればいいのに…。
マヤはそう感じていた。
真澄は、マヤを抱き上げると、寝室に運んだ。そして、ベッドに寝かせてやる。マヤの手を包み込むように握りながら、
くちびるに、髪に、頬に、閉じられた瞼に、耳朶に、真澄は甘い口づけの嵐を降らせ、最後は長く静かに唇を合わせた。
「おやすみ、マヤ。眠ってしまうといい。」
言って、真澄は部屋の明かりを消した。
「おやすみなさい…ありがと…」
うっとりと、マヤが囁いた。
真澄は部屋を消灯しながら、ひとり、マヤの部屋から帰っていった。内側から、自動で鍵がかかった。



 翌日から、千秋楽まで、舞台はいっそう、引き締まった創造的なそれとなった。
「篠田がみているぞ!」
黒沼は、全員にそう指示した。
演技陣の生命が燦々と煌めく、限りある瞬間瞬間が、舞台に流れ流れて、留めようもない。
その中心にマヤはあって、洋々と孤高の高い次元を演じていた。
百万の虹、そのさなかで、人の夢を、はるかに紡ぎながら。
マヤ渾身の、『紅天女』であった。





終わり






2001/10/7

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