359500番ゲット・HUYU様リクエスト:結婚して十年ほど。ある日マヤはハタと考えました。
 速水さんともうまく行っているし、女優業の方も順調にも関わらず、なぜか満ち足りず、
 そして漠然とした不安を抱いている今日この頃。
 敢えて気にしていなかったが日増しに空しさも加わって、耐え切れず一人旅に出ます(旅・・・?)
 そこでマヤの得たものは果たして何だったのか。後の成り行き等全てをユーリさんにお任せ致します。

※HUYU様いつも斬新なリクエストありがとうございます。





 マヤが真澄と結婚してちょうど10年。
真澄からは、スイート・テン・ダイヤモンドも贈られ、結婚当初と変わらず真澄は深い大きな愛でマヤを支え続けてくれている。
若くして『紅天女』の名声を恣にし、女優の地位も確立した。以来、第一線の芸能生活を送っている。
子どもたちも、大きな病気や怪我もなく、すくすくと健やかに育っている。
順風満帆の生活が続いている。


そんなある日、マヤはふと、思いに耽った。

すべてが満ち足りている筈なのに、この意味のない不安は何なのかしら…?
心の中に、ぽっかりと空洞が出来ている…。

漠とした、正体の無い不安に、マヤは囚われていた。

かつて、マヤが自我というものを持ったことがあっただろうか。

マヤは常に無色透明だった。亜弓が常に「自分」というものを持っているのに較べ、マヤに自我らしい自我というものは無かった。
あるのは、ただ芝居への情熱のみ。そして、真澄への愛。子どもたちへの愛。
それだけは、確かにマヤにはあった。
だが、いったい「自分」というものは?
マヤにとって、「自分」とは一体何なのか?
それがマヤには判然とせず、また、そのことを自らの言葉で考えることすら覚束なかった。
ただ、漠然とした、混沌とした不安のみが、マヤの胸に広がっていた。
芝居の最中は芝居に夢中で、全力で役にのめり込み、常に己れというものを無くしてきた。
だからこそ、マヤの芝居は「本物」であり、マヤが「本物」となることで、周囲の役者たちの演技もまた、「本物」になっていった。
舞台は虹の夢の世界。そこで、マヤは真実、生きていた。
それが間違っているとは、マヤは考えたこともない。

いいや、間違いではあるまい。マヤにとって、唯一無二の生き甲斐、生きることは、すなわち芝居をすることだった。
そこにこそ、マヤの真実がある。生命がある。
舞台の上で「紅天女」となり、千年の梅の木の精として生きる。
舞台の上の、その瞬間瞬間にこそ、マヤの生命の、かけがえのない輝きがある。
生命の燃焼。それ以上の、何を望もうというのか。

マヤは心の空洞に、敢えて気づかない振りをしていた。
そして、『紅天女』新春3ヶ月ロングランを終え、1ヶ月のオフ期間に入った。
オフ期間では、マヤはよき家庭人として真澄に仕え、子ども達に仕えた。
だが、日増しに募る、謂われようのない不安、心許なさは、マヤの心を大きく占めていった。

幸せな筈なのに…この虚しさは、いったい何なの…?

オフもあと一週間で終わるという頃、マヤはついに思い立って、一人、旅行に出ることにした。



「梅の谷に行ってくるわ。『紅天女』で、考えたいことがあるの。一週間で戻るから、心配しないでね。」
マヤはさりげなく真澄に告げた。
「そうか。道中気をつけて行くんだぞ。源造さんによろしくな。」
「愛子ちゃんと雄大くん、頼むわね。」
「ああ。心配しなくていい。」

マヤは旅立った。



 早朝に出発して東京から7時間。旅装のマヤは梅の里に着いた。タクシーを拾い、源造の待つ山寺へ向かう。
車はやがて山寺に着く。山寺では、源造が迎えに出ていた。
「いらっしゃい、マヤさん。お久しぶりですね。」
「源造さん、こんにちわ。ご無沙汰しました。源造さん、お元気そうで何よりですね。」
源造は髪に白いものが増えたとはいえ、変わらず頑健そうだった。
マヤは山寺の一室、仏間で月影千草の仏壇に拝した。
真澄から預かった札束の入ったご仏前を供え、線香を炊き、りんを鳴らす。マヤは手を合わせた。
(月影先生…あたし、来ました…)
居間で、源造の入れてくれた緑茶を飲みながら、マヤは源造と他愛ない会話を交わした。
「初めてこの梅の里に来て、もう10年以上経つんですね。」
「マヤさんと亜弓さんの『紅天女』のお稽古、源造はよく覚えておりますよ。」
「あの頃は必死だった…紅天女をなんとかして掴もうと…。」
「この梅の里、梅の谷が、私の『紅天女』の原点なんです。」
「そうですね。マヤさん、梅の谷へ行ってらっしゃい。」
源造は穏やかにマヤに促した。
「ええ。そうします。」
マヤは宛われた部屋に旅の荷物を置くと、梅の谷へ出かけた。


ここは変わらない…。

谷は紅に染まり、神気に満ち、谷の霊性は、マヤの心の空洞に鋭く迫った。

谷の最も奥まった大きな梅の木の傍らに、月影千草の石碑がある。
マヤは跪いて石碑に詣でた。
(月影先生…教えてください…この虚しさは、いったい何なんでしょう…)
(マヤ…よく来たわね…)
(マヤ、人は誰も孤独よ…誰もたった独り、その孤独を背負って、生きていくのよ。)
(マヤ、あなたは自由よ。すべての桎梏から解き放たれて、あなたの魂は自由なのよ。)
(人の魂は彷徨(さまよ)うわ、自由を求めて。でも、あなたは自由。)
空の彼方から、千草の声が聞こえてくる気が、マヤにはした。
(孤独…先生…!)
(自由…先生…!)
(あたしは…自由…!)



私の求めてきた生き方は何?
見つけたはずの道が見えない。
今、すべての過去から解き放たれて、自由を手に入れたのに、何処へ行くの?
大空をゆく鴎ならば、暗い夜明けも迷わずに、一度目指した地平の果てに、辿り着くというの?
夢とうつつに挟まれて、揺らぎ続けている胸の想い。
一人になりたい。
孤独は恐い。
生きていたい。
でも突然、消えてしまいたい。
大空を行く鴎のように、暗い夜明けを飛べるなら、無くしてしまった大切なものを見つけだせるの?
命の炎を、もう一度燃やしてくれるものを。
今の私は立ち竦んでいる。
昨日と今日の狭間で、命の炎をもう一度、燃やせる時は来るの?



マヤは千草の石碑の前で、『紅天女』の一場面の舞いを舞った。
梅の花びらが、はらはらと散りしきった。



その晩は山寺に泊めて貰い、マヤはさらにひとり旅に旅立った。
奈良から大阪に出て、宝塚に周り、並んで取った当日券で宝塚歌劇を観劇した。
演目は『エリザベート』。
一幕序盤のクライマックス、エリザベートが自我に目覚める歌唱 『私だけに』 は、マヤの彷徨する魂を、激しく揺さぶった。

“私の人生は 私のもの!”
“私が命 委ねる それは 私だけに!”


ああ、そうね、そうなのね。人は誰しも、こうして、自我に目覚めていくのね…。

『エリザベート』ではシシィの彷徨する魂に、マヤは自分を重ね合わせて観劇していた。
愛と死の輪舞。生と死の饗宴。遥か遠い次元のエリザベートの生の昇華。
暗殺者ルキーニに心臓を刺し貫かれる時、エリザベートは微笑んでいた。

あたしも、あんなふうに死ねるのかしら…。愛と死を成就させて…。
エリザベートは、生と戦い続けた…そして、自ら死を愛し、死に愛されて、人生を全うした…。
あたしは?あたしは?
あたしの自我は?あたしの闘いは?

舞台の感激に涙しながら、マヤは自問自答していた。


魂とは、本来いついかなる時にも自由であろう。
それを縛るのは、他ならぬ自分自身なのだ。
現実と魂の呼びかけを現況の中で折り合わせていくのが、知性、というものであろう。



その夜は宝塚ホテルに泊まり、宝塚の華やかな雰囲気に包まれて、マヤの沈んだ心もしぜん、浮き立った。



 翌日はマヤは新大阪に向かい、新幹線に乗って広島で下車した。
広島で、マヤは原爆ドームを見、原爆記念館を訪れ、平和記念公園に回り、慰霊碑に手を合わせた。


平和…。日本が平和だから、あたしはこうして芝居を続けていられる。
世界中では、いつもどこかで戦争が起こっているのに、日本はこんなに平和でいいのかしら…。
憲法第9条。戦争の放棄。
安定した世の中の日常があるからこそ、あたしは舞台に立っていられるんだわ…。
平和の恵みに感謝しなければ…。
もし世の中の平和が保たれなければ、真っ先に切り捨てられるのは、演劇や娯楽。
そんなことになったら…。
あたしは、やっぱり、舞台が無ければ生きていけない…!
マヤは改めて確信していた。



広島で一泊し、マヤは更に西を目指した。
何故、西を目指すのか、マヤ自身にも判ってはいなかった。
西方浄土。そんな言葉が、頭のどこかにあったのかもしれない。西へ行けば、極楽浄土に近づくのかもしれない。
マヤは長崎を目指して旅した。



マヤは長崎でも原爆記念館を訪れ、教会の夕拝に参列した。
教会の最後列にマヤは列席し、敬虔な信徒たちの信仰告白に黙って耳を傾けた。

私の求めているものは何?
私を満たしてくれるものは何?

マヤは佐世保に足を伸ばし、その夜はハウステンボスのリゾートホテルに泊まった。
翌日はウェルネスセンターに足を運び、リラクゼーションをひとり、楽しんだ。
サウナ・ジャグジー・フットケアマッサージ。ここのリラクゼーションメニューは日常の疲れを癒してくれる。
この場所で思い切りリラックスすれば、誰もが笑顔を取り戻せる。
マヤもまた、その日常を離れた空間で、心身の疲れを癒した。

マヤはハウステンボスに滞在し、その豊かなリゾート空間で、自由を満喫した。



 そして、旅の最後の日。マヤは長崎に戻り、原爆記念館にほど近い公園で、早咲きの桜に見入った。
桜は早くも満開で、吹きそよぐ風に花びらが散り初めていた。
マヤがふと気づくと、車椅子に乗った老人と、車椅子を押す老婆の姿があった。
車椅子の老人は、枯れ果てたか細い儚い身体をして、風がそよげばそのまま命を失うのではないかと、マヤには見えた。

「綺麗な桜ですね、おばあさん。」
マヤは老婆に声をかけた。
「ほんとにねえ。奥さん。」
老人は苦しげに下顎呼吸をしている。
「おじいさん、今日が最後の桜ですよ。」
老婆は老人に静かに話しかけた。
しばらくマヤは黙って、桜と老人とを見つめていた。
半時ばかりも過ぎただろうか。ふと、マヤが気づくと、老人は息をしていなかった。
「おばあさん!おじいさんが…!」
「救急車を呼びましょうか!?」
「…いえ、いいんてす…。この桜の木の下で亡くなることが、この人の最後の願いでした…。」
マヤは愕然とした。
人の死に、思いがけず立ち会ってしまったのだ。

こんなにあっけなく、人とは死を迎えるものなの!?

マヤは酷い衝撃を受けていた。
「さあ、うちへ帰りましょうね、おじいさん…。」
「奥さん、さようなら。」
老婆の頬に、涙が一筋伝った。そして、老婆は、静かに車椅子を押して、公園から去っていった。
満開の桜が、散りしきっていた。




ああ、命よ…!
あたしの命もまた、いつかああして、最後の時が来る…!

私の求めているものは何?
私を満たしてくれるものは何?

それは命…!
この命ある限り、あたしは生きよう…!精一杯…!
あたしの最期のひと呼吸まで、あたしはこの命を燃やそう…!

マヤの心の空洞は、生命への烈しい想いによって埋め尽くされた。

もう一度、舞台に立とう。初めて舞台に立った時のように。
そして、愛する人と共に生きよう、最期のひと呼吸まで。
真澄さん、愛子、雄大。
あたしは愛しているわ…!
愛して、生きていこう。この命ある限り…!




彷徨いの果てに、マヤは答えを見い出した。
まるで新しく生まれ直したような想いが、マヤにはした。


「お帰り、マヤ。」
「ただいま、真澄さん。」
夫婦のリビングで、マヤは真っ直ぐ真澄の前に立った。そして強い光を放つ双眸で真澄を見つめて言った。
「真澄さん、愛しているわ。」
「マヤ…。」
真澄は黙って、マヤを抱き締めた。
「愛しているよ…マヤ…。」



その年の秋、マヤは『紅天女』の演技を変えた。
より清冽で、より崇高な、それは烈しい演技だった。


満開の桜の木の下で死んでいった老人を、マヤは生涯、忘れることはなかった。








終わり






2002/12/15

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