「我々の記憶は年月を経て心の中で変容し、一種、人類に普遍とも言える
 永遠の“記憶”となって、ある時、心にふと甦ってくる。
 この“甦った記憶”こそが、あらゆるもの、生の真実への鍵である。
 我々は実際にその経験を持ちながら、その意義を掴み損なっている。
 その時にこそ、本当のことに我々は気づくべきなのだ。」
( T.S.エリオット 評論集『詩の効用と記憶の効用』)








たとえば開演5分前。
序幕の囃子方と地謡もスタンバイして演出助手のキューを待つ。
出は袖からホリゾントへ。
天冠の飾り一つも揺らさないねと、いつもみんなが不思議がる。
その時にはもう舞衣の重さも感じていない。
精霊達の浄化のエネルギーが流れていく。強く、強く。
そうしてあたしが空っぽになると、あたしは紅梅の女神の依代となる。
そのあとはもうあたしには解らない、自分が何物なのか。
自分が一羽の鷹なのか、嵐、あるいは大きな歌なのか。
いつものように幕が開き、梅の谷に、あたしは還る。




普段の指定席ではなくたまには最前列で観てとマヤが笑っていた。
確かに。
最前列中央では視界を遮る前方の観客は皆無、舞台は全て、まるごと自分だけの世界となる。
舞衣の幽かな衣擦れの音すら聞き分けられるが、舞台を滑る足袋の音は聞こえない。
僅かの期間でよく収得したとつい感心もする。
役者の発声も地謡の鍛えられた謡いも鼓と笛の音も、この位置では全て
生の音の響きで耳に入る。
この公演の序幕・三間四方のために改装した大都劇場では反響板も設えたが、
生で耳に入る音にはアルファ波でも出ているのではないか、
そう自問するほど感覚が揺さぶられる。その心地よさ。
マヤの眼には、劇場客席は映ってはいないのだろう。
今は封印された梅の谷が見えているはず、その確信には間違いはない。
およそニューエイジ系精神世界には疎い身ながら、
マヤからおそらくは発せられているのだろう神の息吹、
そのエネルギーを、想像力で感得してみるのも一興だ。
紅天女がかざした扇、そこから、
目には見えない光を幻視する観客も或いは存在するかもしれない。
この舞台は単なるパフォーミングアーツではない。
哲学思想での思索やこの国の宗教史、現実世界の不思議と謎そのものを舞台上に具現させる
『演劇』という人の創造物の凄味。
それはまさに観客の人生を変えるほどの、ひとつの奇跡。
古くはギリシャ悲劇に溯る、演劇の真髄をも見据えて。
そのような、舞台芸術。
そのように、興業主としては世に送り出した。
この選択には絶対の自信がある。
が、高いチケット代を払って劇場に足を運ぶ一般観客のために、いかなエンターテイメントを提供するかについては、諄いほど黒沼さんと議論した。
北島が具現しうる天女像すなわち女神、それが最高のエンターテイメントかつ芸術、と、
黒沼さんは譲らなかった。啓蒙してしかるべき、とも。
演劇の玄人筋ならばそれで通じるが。
ごく普通の一般観客にとっての能舞台のように、予め種々の予備知識が要求される観劇であってはならない、というのは興業主の欲目だっただろうか。
『悲劇の誕生』に通じている観客でなければこの舞台の醍醐味は解らない、
などということではサイレントマジョリティには通用しない、と主張したが。
なかなかどうして。
黒沼さんもやってくれる。
この演出ならば。
一度観劇した観客が舞台から投げかけられる問い、
その答えを紐解くために、二度三度、一般客は劇場に通わざるを得ない。
初演としては、これなら成功を見るだろう。
劇評ライター達には具体的な講評叙述は一切伏せるようにと厳に指示を徹底している。
この初演の千秋楽以降には、
かつて月影先生がマヤについて原田女史に語ったという言葉が、間違いなく現実のものとなっていくだろう。
その時こそ。
マヤを支えマヤを守り抜いて行く役目が課される。
約束しますよ、月影先生。
必ずあなたの後継者を、そしてそのまた後継者が育つまで、
一生を賭けて全力で守っていきます。




人の子に許された愛をフィリースとエロスと言う。
人の子であるがゆえに阿古夜も一真も、愛する者のため使命のため、此岸にあっては
エロスから通じてゆくタナトスを選択する。すなわち死。
肉体は滅びても魂は滅びることはない。
シナリオのラスト近く、千年からなる梅の木は伐られ紅天女が出現する。
その舞は彼岸で展開される、という設定。
劇中では紅天女は阿古夜の仮面を被っている。
一元客には一度の観劇ではただ圧倒されるだけで理解できまい。




あめつちこぞりて ものみな頌えよ
み恵みあふるる 紅大御神みたまに

終幕、キャストの斉唱にエコーがかかる。
流浪の旅僧となった一真がひとり舞台に残って座し、瞑目して、音もなく緞帳が降りた。
見ていたものはマヤの生命の燃焼か、
マヤを憑代とした紅天女だったのか。
演じていた本人にも今はまだその境界は解けていない頃だろう。
その証拠に。
カーテンコールで真正面に微笑むマヤの瞳は現実を捉えてはいない。
あの腕を掴んで引き寄せ、無理矢理にでもこちらを振り向かせたい、
そんな詮方ない衝動に苦笑いする。
マヤにまだ残る天女の残像、
それは決してこの手で触れてはいけないもの、
ずっとそこにそのままで輝いているべきもの。






終演してすぐは体が熱い。
しばらくは何が何だかよく分からない。
黒沼先生は、とにかく水分を多めに取れ、って。
汗は全然かいていないし別に喉は渇いていないけど?

「だからと言って毎日2リットルを飲んでしまうのか?」

「あ…速水さん、」

「お誘いありがとう。いい舞台だった。最前列もたまにはいいな」

「お水だと飲めちゃうのよねぇ、いくらでも」

「水っ腹だと食事も誘えないじゃないか。ほら、ご褒美」

いつ貰っても嬉しい紫のバラ。
汗もかかない、喉も渇かないのにと言ったら、
速水さんが社長の顔に戻った。

「もうすぐ中日だから。黒沼さんの指示通りで過ごすんだぞ」

「はい、頑張ります」

今日は帰る、ってことかな、速水さんは黙って楽屋を出て行った。
黒沼先生はピンクカルサイトのタンブルを初日に用意してくれた。
速水さんにもらった匂い袋に入れていたけど、早変わりでお衣装さんがすぐ忘れる、
そう言ったら、速水さんがタンブルじゃなくてブレスレットにしてくれた。
楽屋では、あの人は煙草は吸わない。
頑張れのひと言もない。
でも、今なら分かる、何も言われなくても。
谷でひと目見た時判った、あたしの魂の片割れ。





“頑張れ”と、ひと言で肩を叩く、
それはリーダーシップを執る者には最も暗愚と、通説になって久しい。
何をどうすればよいのか、逐次順を追って具体的な指示を出す。
それが則ち激励と受け止められることが望ましい。
叱責もまたしかり。
このあたりの心得は黒沼さんにも徹しているようだ。
演劇史に名を残す、この公演の重責を担う覚悟もまた。
マヤのことは、正月2日からのこのひと月と10日、黒沼さんに任せておけばいい。
マヤの今後への布石には既に着手済み。
今はただ見守るだけだ。無事の楽日まで。
マヤ、謡い踊れ、霧が紅く染まるあの谷が、呼んでいる。
















互いに妻と呼び夫と呼び、
多忙ながら束の間のひとときを共にして過ごし、
ふたりが迎えた初めてのマヤの誕生日。

この年は平日だったが、真澄は早々に親しい内輪だけでの祝会をセッティングしてやっていた。
『つきかげ』の公演をふたりで観る。
終演後の面々をペニンシュラに集めて気楽なパーティ。
笑顔が弾け、若者達に日々開かれて訪れる未来への希望に、全員が頬を輝かす。
気の置けない昔馴染み達に囲まれて、笑い転げるマヤもまだ僅か22歳。
若い日のかけがえのないひととき、それは瞬間に過ぎ去ってゆくもの。
過ぎたその瞬間に、現在は文字通り過去となっていく。
希望というものは時間軸の未来にだけ存在し、
現在や過去には存在しないものだろう。
希望、未来、可能性。
マヤはこれから人生を始める年齢だ。それらがマヤには今最も相応しい。
真澄にしろ仕事柄実年齢よりは多少老成しているかもしれないが、
『男三十にして立ち』。
ようようマヤと共に歩む地歩を固め、英介との確執も乗り越えた。
仲間と笑い合うマヤを見つめれば、ひととき真澄に愛しさが募る。

「目指すはブロードウェイ、なんてさ。どうですかね、社長?」

「団長、あたしは夢は見ないよ。夢は醒めてしまうから」

青木麗。マヤが姉とも慕うこの娘のしなやかな知性は真澄にはいつも新鮮だ。

「ほんと、食えないヤツ。麗の過去生は絶対男に決まってる」

「あんたねぇ、細川。役者のゲーマーなんて絵にならないからやめときな」

どっと笑いが起こっていっそう盛会となった。
やがてほろ酔い加減のマヤの瞳が潤んだ頃。
真澄が閉会の挨拶を告げ、一同からマヤに小さな花束が贈られた。





速水邸。
終の棲家を得たという安堵はマヤの年齢ではまだ無い。
ただ、帰るべき家があり、血縁はなくても父と呼べる人がいる、
家庭を営む日常がある。
紅天女本公演初演の頃のマヤには考えられなかったそれは様変わりだった。
誕生会でケーキの蝋燭は吹き消した。
真澄に連れられてリビングに入ると、テーブルには紅いラッピングの包み。

「わぁ、プレゼント? 開けてもいい?」

「コートを脱いで着替えたらどうだ? 消えて無くなるものじゃないから」

「うーん、なんか酔っちゃったかな、じゃ、お風呂入ってくるね」

「溺れるなよ」

真澄が楽しんで揶揄うのにもマヤはすっかり慣れた。

湯上がりの肌を自室で整えマヤがリビングに戻ると、真澄も着替えて書面に目を通していた。

「何読んでるの? 仕事?」

「いや。去年の初演データ」

ページを繰った真澄の手元から、ぱらりと紙片が落ちた。

「落ちたけど、速水さん」

「ああ、済まない、取ってくれ」

「あれ、これ……? 写真? いつかの? こんなの栞にしてたの?」

マヤが手渡したのは、新婚早々に朝倉が撮影しまくったふたりの写真、その一枚。

「いい趣味だろう?」

「はいはい、わかってますよーだ。先回りするんだから、いっつも」
「プレゼント、何かな」

「多分、想定外」

へえ、と目を瞠るマヤの素肌の素顔は、今では真澄しか知らない。

「わぁ、可愛い! これ、オルゴール? 紫のバラも付いてる」

マヤの両の掌に乗る大きさのクリスタルケースの中には
プリザーヴドフラワーに囲まれた瀟洒な西欧の城。
背面の捩子に軽くマヤが触れるとハープアレンジの音色が鳴った。
旋律の第一節を聴いて、マヤの肌に戦慄が奔った。

「キャッツ、よね、これ。『メモリー』?」

「そうだ。歌えるか? トロイメライは亜弓くんに贈ったから」

「えっと……“メモリー 月明かりの中 美しく去った 過ぎし日を想う”……」
「あとはわかんない、覚えてない…」

「そのうちDVDを買ってやるよ」
「トロイメライは卒業だ。こんどはこの曲をきみのテーマソングにする」

「テーマソングがプレゼントなの?」

「そういうこと。おいで」

ふたり専用のソファ。マヤは真澄に並んで腰を下ろす。
オルゴール底面の凝った作りの旋盤で、ミニチュアのノイシュバンシュタイン城がゆっくりと回る。
寄り添えば、薄着の夜着に伝わる互いのぬくもり。

「いつか……」

「いつか?」

「いや、なんでもない」

「綺麗な音色…。もしかして、オーダーメイドとかだったりするの?」

「さあ、どうかな。気に入ったか?」

「うん、とっても。ありがとう、嬉しい、ほんとに。大事にするね」

「この写真の時に読んでいたのがこの本だ」

初演資料の下から真澄が取り出した一冊の背表紙には
『詩の効用と記憶の効用』と記されていた。

「台本以外の本を読むと眠くなるって、知ってるでしょ?」

「眠れない時、がきみにあるとも思えないが。その時に読めばいい」

「ううん、一人で眠る時はこれを聴くから。あ、止まった。もう一回」

「それは枕元で、な。寝るぞ」

「あ、はい。あの…?」

問うより先に、オルゴールを持ったままのマヤは軽々と真澄に横抱きにされた。
三つある寝室のうち最も広い部屋の扉の先、
薄闇に、ふたりの姿は消えた。







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Four Quartets No.3 〜The Dry Salvages II〜 ” BY T. S. Eliot

The moments of happiness-not the sense of well-being,

Fruition, fulfilment, security or affection,

Or even a very good dinner, but the sudden illumination-

We had the experience but missed the meaning,

And approach to the meaning restores the experience

In a different form, beyond any meaning

We can assign to happiness. I have said before

That the past experience revived in the meaning

Is not the experience of one life only

But of many generations-not forgetting

Something that is probably quite ineffable:














終わり










かえで様コメント
ある日常の瞬間を切り取った絵になりましたよん。
…その割には…な絵ですが。
何時もと違って、太い線でグワーと描いてみました。
速水さんが若いっす!そして珍しく髪の色を茶系でまとめて見ました。
そして背景が何故かポップい(日本語ヘン)

一体この絵にどんなSSを………

紫苑さん、大丈夫ですか?こんな、ほやややぁ〜〜んとした曖昧な絵で…
好き勝手に描いた後で言うのも何ですが。

とか言って、えーーーーーい!紫苑さんに丸投げ〜☆
宜しくお願いします。

では、お任せしました。


紫苑より

『誕生日12のお題』から「今、幸せ?」のお題で作画をお願いしました。
かえでさんの作画ご発想である“日常の瞬間を切り取った”画題を生かす内容にはまとめました。
ではどんな日常か?
拙作ではお決まりのお約束で行こうかとも思ったのですが、
それでは面白くないなあ、少し目先を変えるか、と変化球です。
かえでさんのイラストを写真、として作中で扱わせていただくのも2度目ですが、
やはり私にはこのイラストはこう見えた、こう解釈した、というワケです。
昨年11月から始めた自分の楽しみのためのジカキで、元々の傾向にさらに拍車がかかりました。
つまり、殆ど文章にくどくど書き込まない、最低限の言葉に限定する。
あとは読まれるかたがご自由にご想像下さいと投げかける。
エリオットをモチーフにしましたが、文中では一切何の説明もしていません。
スミマセン。
ご興味を持たれましたら、図書館へどうぞ。
謎解きが待っているかも??








HN:(無記名OK)






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