「寒……」

夕闇濃い銀座和光。
銀座通りはとりどりのイルミネーションが煌めき行き交う人波は
どの顔も晴れやかに足取りも軽やかだ。
気温は6度ほど。
年の瀬も押し迫った街を音を立てて北風が吹き抜ける。

この日のために、と真澄が誂えてくれた白いコートのフードにマヤは手をかけた。
コートの表地はシルクサテン。
フードから裾まで併せにはぐるりとシルバーフォックスがあしらわれ
裏地は全面リス毛皮。
薄地のセーターでも毛皮は暖かかったが頬に当たる風は酷く冷たかった。
マヤはすっぽりとフードを被った。
(手袋、持ってきてたよね)
マヤはバッグをごそごそと探った。
バッグも真澄からの贈り物。
愛らしいピンクのヴィヴィアン・ウエストウッドのトートバッグだが
マヤはブランド名などもとより知らない。
コートもバッグもブーツも、流行の高価なものらしい、ということは判った。
時折すれ違う若い女が何人か、ちらりと、立ち尽くすマヤの外貌を一瞥していった。

約束は6時だったが、もう20分ほど過ぎただろうか。

(あ、もしかして、メール入ってる?)
マヤは携帯をバッグから取り出した。羊皮の手袋では少し扱いにくい。
着信は18時16分。

『道が混んでいる。あと10分で着く。』

あと10分。
電話では毎日話していたけど、会うのは…
この前会ったのは…
夏休み?だったよね?

速水さん…

会える、もうすぐ…

ひとときマヤの動悸は高鳴り我知らず頬は緩んだ。

恋しい人の面影は今も鮮明にマヤの脳裏に浮かぶ。
穏やかな声音も、優しい呼びかけも、甘い囁きも、
俄に耳元に甦る。

会える、もうすぐ。

時めきはいつも躊躇いがちに訪れを告げ
恋い慕う想いの秘めやかな喜びにやがて胸がいっぱいに満たされる。

どれほど会いたかったか
どんなに慕わしいか
マヤはいざ会えば、何も言葉には出来ないだろう。
だが眼差しを交わせば、それで何もかも、きっと判ってくれる、
そう思う。



車が停まった。

「マヤ!」

(速水さん…!)

弾けるようにマヤは真澄の車の助手席に駆け込んだ。
マヤが扉を閉めると真澄はすぐアクセルを踏んだ。
車は銀座通りに滑り出した。

「待たせたな。悪かった。寒かったか。」

車の中はよく暖房が効いていた。

「うん、ちょっと。でももう大丈夫。」

ハンドルから片手を離して、真澄はマヤの手を握った。
真澄の掌は温かく大きかった。
マヤもそっと、少しだけ力を込めてその手を握り返す。
それだけで通い合う、想い。

街は恋人たちの森。
森深く分け入れば、訪なう人も無い。
世界は遠く隔たり、ひととき、ふたりだけの時が刻まれる。

真澄はハンドルを切るとその長い腕を伸ばしてマヤの肩を抱いた。

「久しぶりだったな。会いたかった。」

「…うん…。」

直截な真澄の率直な物言いにマヤは少しはにかみ、
おずおずと真澄の横貌を見あげた。
変わらぬその整った容貌、
変わらぬその恋しさ。
真澄の脣もとの穏やかな微笑み。

「あたしも、…」

「うん、何だ?」

「だからぁ。」

語尾を飲み込んだマヤに真澄は笑って
こつん、と、マヤのつむりをこづいた。

車は内堀通りから溜池方面への交差点を曲がった。

「クリスマスにデートなんて、なんだか出来すぎみたい。」

このふたりには初めてふたりで迎えるクリスマスでもある。

「俺も、そうだな。世間並みのことなど縁がなかったからな。」

「これ、なんの曲?」

「聖歌だ。『O Holy Night 』。」

「綺麗な曲ね。そういえばよく聞くような。」

「もう一度聞くか?」

真澄はCDをリピートさせた。

対向車のヘッドライトがマヤの瞳を輝かせる。
師走の都心の賑わいもまた、今は恋人たちふたりだけの世界。
信号で停止して、すかさず真澄はマヤに軽く口づけた。
そして何事もなかったかのように、また運転を始める。
マヤはまだまだ慣れない。
心臓の動悸が真澄に聞こえてしまうのではないか、と、恥ずかしかった。





「到着だ、お嬢さん。悪いがそちらから降りてくれ。」
真澄はパーキングに車を停めるとマヤを促した。

「ここ、なに?どこ?」

「六本木ヒルズだよ。少し歩くか。」

六本木けやき通りはこの時とばかり輝かしくライトアップされていた。
贅沢な極彩色の光の洪水。
道行けばマヤの白い頬にとりどりの色彩が映える。

「うわぁ、きれい…凄い…夢みたい…。」

黒目勝ちの瞳をいっぱいに見開いて、マヤは歓声をあげた。

「綺麗なのはきみだ。」

言って真澄はマヤの肩を抱いた。
マヤはそっと、真澄のトレンチコートの腕に頭をもたせかけた。

寄り添って、歩く。
ふたり、心躍らせて。
時間は今緩やかに流れをとどめ、冬の夜の雪とみまごう光に咲き初めた
ふたりの恋情をその歩みの先に花のように記して行った。


幸せか、と真澄の瞳が問う。

幸せよ、とマヤの瞳が肯う。


語ることなく話すことなく、その声も聞こえないのに、
瞳を見交わせばいま通い合う、その心の不思議にふたりはしばし酔う。




六本木ヒルズアリーナまで歩くと、ホーリーナイトコンサートに間に合った。
東京芸術大学の学生達のアカペラ合唱が、ふたりをいっそう浄らかな高みに誘った。


ショップのアーケードではクリスマスにちなんでシャンパンが振る舞われていた。
長身の真澄が人混みからグラスを二つ器用に取り分けるとマヤに一つを渡し、
柔和に微笑んでマヤに乾杯を促した。
真澄の笑顔にマヤの頬がうっすらと染まる。
シャンパンの泡沫もこの夜のふたりのために造型された魔法のよう。
媚薬のようなその酒の甘さがふたりの親密さをなお際立たせるようだった。

真澄はマヤに腕を貸して、ヴァンドーム青山の店内に歩み入った。
ここで真澄はクリスマスプレゼントをマヤに贈るつもり。
燦びやかな宝石の値札にマヤは恐縮至極だったが真澄は有無を言わせず。
プラチナのリングでメレダイヤをハート型に散りばめたアメジストの指輪を
マヤの左手の薬指にはめさせた。
石は可憐にカットされた凝ったデザインで、マヤの華奢な掌によく似合った。




食事は東京タワーを展望できるイタリアン。
気楽なイタリアンならばマヤもテーブルマナーに臆せず食事を楽しめるだろうとの
真澄の配慮である。
飲みやすい白ワインはフルーティな味わいが格別だった。
若く健康なマヤの食欲に真澄は笑い、会話もひとしきり弾んだ。


2006年の六本木ヒルズのクリスマスのテーマは"Eternal Moment"。
永遠の想いを輝きの中に閉じ込めた光のアート、「Eternal Lovers」をキービジュアルにし、
クリスマスイルミネーションの白と青の輝きと呼応しているかのような光の恋人たちは、
六本木ヒルズのいたるところで訪れる人々を永遠の瞬間へと誘う。
大切な人と過ごす最高の瞬間を、
忙しかった一年の最後に時間の尊さを感じたい人にふれてほしい永遠の瞬間を、
六本木ヒルズのクリスマスは用意していた。


その象徴とも言える東京シティビュー。
東京シティビューでは、今世界から注目されているインテリアデザイナー
森田恭通氏プロデュースによるクリスマス装飾が展開された。
新宿方面の夜景を望む吹き抜け空間に立てられた高さ約8メートルの巨大なクリスマスツリーは、「LOVE & PEACE」をテーマとした何百枚のモノクローム写真とLED照明で彩られていた。
このモノクローム写真は「LOVE & PEACE」の思いを込めた写真を一般から募集したものも含む。
森田の鋭い感性と最新の照明技術、そして海抜250メートルの上空から見下ろす夜景と融合した
幻想的な空間がそこにあった。

展望台では夜間はモエ・エ・シャンドンのサービスもあり、真澄の口もとを緩ませた。

「She keeps Moet et Chandon in her pretty cabinet......」

「え?なに?なんて言ったの?」

「いや、なんでもない。ただの歌の歌詞だ。」

「もうっ。あたしが判らないと思って…。」

「きみを揶揄ったわけじゃないさ。このシャンパンは名うての銘柄だということだ。」
「飲み過ぎるなよ、マヤ。せっかくの夜だ。酔いつぶれたら許さないぞ。」
「夜は長いからな。」

その終わりの一言には真澄はたっぷりと意味ありげな響きを含ませた。
マヤは始めきょとんとしていたが真澄の鋭い視線にぶつかるとぱっと頬を紅潮させた。
マヤのまなじりがほんのりと赤らんだ。

が、マヤは素知らぬふりを決め込む。

「見て、速水さん。あっちが新宿?」

「そうだな。」

幽邃の情緒とでも言おうか。
北風の強い夜であった。
眼下のイルミネーションは視界一杯に風に瞬き、虚空高くには三日月が浮かび。
限りある命である人として生み出されたにも関わらず、
永遠、をふと遥かに眺望できる。
それは錯覚なのかもしれない。
だが愛する者とともに望むほかのどこに、いつ、そうした幸福が訪れるというのか。
恋する者達は瞬きの間に永遠を紡ぐ。
星ぼしの瞬く間ほどのあわいのうちに。
人は夢を追う。
もしも、ただ一度でも、自らの真実に迫り得た時こそ、
おそらく愛惜に満たされたそれまでの長い夢は解き放たれ、贖われるのであろうか。
ならば真澄にとって、この夜こそ、真実。
愛することにもはや無能ではありたくはない。
愛を為すということは「高い」ことなのだ。


「マヤ?」

呼びかけると長い髪をさらりと揺らして、マヤが真澄を見あげた。
この愛しき者。
いま、この腕の中にあることが、何かの奇跡のようだ。
真澄はそう思う。

隣り合わせた若いカップルが人目も憚らずキスをしていた。
マヤは目のやり場に困る、と言うように、真澄の影に隠れた。
つと真澄は笑うとその長身でマヤを庇うようにマヤの肩を抱いてやった。
小柄なマヤの四肢は真澄の両腕にするりと収まってしまう。

「速水さん…」

「ああ。」

「綺麗。ね、…」

「ああ。そうだな。」

仄かにマヤの髪の香りがした。
真澄の胸の力強い鼓動は俄に早く、マヤには聞こえた。
マヤは軽く眩暈を覚えた。







通称「デスティネーションホテル」、ホテルグランドハイアット東京。
プレジデンシャルスイート。

ふたりだけの、夜のはじまり。

いま時は黙して、聖夜の恋人達を祝う。

くちづけは果てしもなく甘く激しく、互いの吐息は縺れ、肌と肌は隙間なく重なり合う。

「やさしくしてやる、マヤ、力を抜け。」

「俺がこわいか?」

マヤはもう何も言葉にはできない。


愛していると真澄が囁く。

愛していますとマヤが戦く。






祝福あれかし、祝せられた実りある愛に。

いま、神のみもと高く昇らんとする営みの真実に。

聖夜の神の寿ぎが、ふたりの夜にとこしなえにあるように。












終わり








『O holy night』

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O holy night, the stars are brightly shining
It is the night of our dear Savior's birth !
Long lay the world in sin and error pining
Till He appeared and the soul felt its worth
A thrill of hope, the weary world rejoices
For yonder breaks a new and glorious morn
Fall on your knees, O hear the angel voices !
O night divine, O night when Christ was born !
O night divine, O night, O night divine !

Led by the light of Faith serenely beaming
With glowing hearts by His cradle we stand
So led by light of a star sweetly gleaming
Here came the wise men from Orient land
The King of Kings lay thus in lowly manger
In all our trials born to be our Friend!
He knows our need, to our weakness no stranger
Behold your King! Before the lowly bend!
Behold your King! your King! before Him bend

Truly He taught us to love one another
His law is love and his gospel is peace
Chains shall He break for the slave is our brother
And in His name all oppression shall cease
Sweet hymns of joy in grateful chorus raise we
Let all within us praise His holy name!
Christ is the Lord, oh praise His name forever
His pow'r and glory evermore proclaim
His pow'r and glory evermore proclaim,Amen.









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